牧神の目覚め
――あいつ、すごく面倒見がいいんだ。ギルド……同じチームみたいなもんだが、そこに新人が入ると、操作方法から何から懇切丁寧に教えているし、俺みたいに深夜しかプレイできない状況って点では、貴重な仲間だった。たいていのプレイヤーは夜12時頃で落ちてしまうからなあ。
――俺とPanは、2人でしょっちゅうクエスト……化け物狩りに行っていた。いろんなお互いの話もたくさんしたよ。
――Panの本名を、知っていますか?
――いや、知らない。オンラインゲームをしている間は、相手のハンドルネームと、そいつがどんな行動をするかだけが重要なことだから、リアルの個人情報の話をしたってなあ。野暮なだけだし。
――オンラインゲームをしない私には、相手の素性を知らないのに仲良くなれる、ということ自体あまり信じられないです。
――まあこれはやってみないと、わからないと思うよ。こういうテキストチャットだけなのと、画像がついてそれぞれがメイキングしたアバターを動かしながらっていうのは、全然感じが違うからな。
――まあそれは、話の重要部分ではないので、特に突っ込みません。とにかく、あなたとPanは、リアルの個人情報はお互い知らないままだけれど、ネット上で手伝えることなら手伝うくらいに仲良くなったってことですね?
――ああ。そういうことだ。Panには世話になったからな。
――わかりました。
どうやら、秀明が何か事件に巻き込まれたとこいうのではなさそうだ。でもなぜ秀明は、そんなことをするのだろう。
――しっかし俺も、不思議だよ
――何がですか?
――あんた、確か「Panは3ヶ月半前に死んだ」って言っただろ?
――はい。
――俺、昨夜も一緒にゲームしたぜ?
――ええつ!!
一体どうなってるんだ。それなら別に本人がチャットに出てきても良さそうなのに。
――それは、何時頃ですか?
――ん~、ああ、午前2時~5時頃かな。
確かに、普通の人は眠っている時刻だ。
――俺、バイトが午後4時から11時半までなんで、その頃になんないと遊べねえんだよ。今日は休みだけど。あいつもそんな時刻からログインするから、ちょうどいいんだよ、一緒に遊ぶのに。
結局その夜、この相手とはそれ以上の情報を得ることはできなかった。
孝は、情報を整理することにした。
まず、孝がいない間に、このパソコンを操作している者がいる。
パソコン内にファイルを残したり、IDやパスワードのクッキー(画面上に連動する記憶)を残しているということは、この部屋に来て操作をしたか、遠隔操作かのどちらかだ。
遠隔操作の線は薄い。なぜなら、孝本人はそれほど裕福な訳でもなく、遠隔操作で有益な情報を引き出すことも、植えつけることもあまり相手にとってメリットが無さそうだからだ。
オンラインショッピングもしないことはなかったが、孝は用心してクレジットカード払いはしないことにしていた。多少手数料がかかっても代引きか銀行振込、もしくはプリペイドカードでの支払いにしていた。この点でもクレジットカード詐欺の可能性もない。
そうすると、やはり「この部屋」で、孝以外の誰かが操作を行ったことになる。誰かが鍵を複製したのだろうか?しかし何のため?
それに、もう1つ気になる点がある。
このパソコンを使っていると思われる人物、ハンドルネームPan――奇しくも亡くなった秀明のペンネームと同一だが――は、ほぼ深夜から早朝にかけてのみ、活動しているという点だ。
Panは、ポータルサイトに、使用しているSNSやブログ、作品発表のためのホームページなどへのリンクを公開していた。
クッキーなどの痕跡は、孝が気付いたものは丁寧に翌日消してあったが、ネット世界に発信している文章や書き込みについては、消すつもりはないようだった。
つまり、このパソコンを使っていることは知られたくないが、自分の存在を世にアピールすることはやめたくないらしい。
Panの書いたもののなかで、ツィッターなどアップロード時刻を確認できるものを見ると、どれもがほぼ深夜から早朝にかけてだった。あのなりすまし野郎の証言通りだ。
たまに、孝の休日に、日中の書きこみがあったが、それは孝が家で昼寝をしている時だった。
家で、昼寝?
孝は、ある考えに思い至った。
(Panがパソコンを使っているのは、僕が「寝ている」時なんじゃないか)
そう思い、もう一度Panの書きこみ時刻を確認してみる。
Panがパソコンを使っていた時刻は、まぎれもなく孝が「在宅」で、しかも眠っている時間帯だけだった。仕事に出ている時は、外出している時に使った形跡は無かった。
(僕が寝ている間だけ?誰が?何のために?)
(「生まれ変わるんなら、俺、ペットがいいよ――」)
突拍子も無く、居酒屋で飲んだときの秀明の言葉を思い出した。
健太郎を見る。健太郎はなぜかびくり、と身体を強張らせたように孝には見えた。
(ありえない。そんな――でも)
荒唐無稽な仮説に頭をぶんぶんと振り、孝は否定しようとした。健太郎はちぢこまり、うつむいている。
孝はA4のコピー用紙を半分に切り、マジックで片方に「YES」、もう一方に「NO」と書いた。その紙を床に置き、横に並べた。
「まさかとは思うけどな……ケンタ、おいで」
健太郎は不思議なくらい賢い犬だった。ペットショップの店員も、教えてなくても人が言った言葉はほぼ理解している、と言っていた。排便もトイレの犬用の場所に行って器用に済ませるし、孝は健太郎のしつけというものをほとんどしたことがない。しつけが不要なほど賢かったのだ。
その健太郎が、動かない。
「どうしたんだよ。呼べばいつも来るだろ?ほら、おいで」
再び促され、しぶしぶといった様子で健太郎は孝の前まで歩いた。上目遣いに孝を見る。まるで叱られた子供のようだと孝は思った。
しかし、健太郎は犬である。どこまで普通の犬と違うのか、まずは状況の確認からだ。
孝はYES、NOの札を、健太郎から見て上下があっているように置いた。
「これはYES・NOのカードだ。この言葉の意味がわかるなら、YESのカードに前足を置いてみてくれないか」
――YES
健太郎は、YESのカードに片方の前足を置いた。
ひょっとしたらこれである程度、健太郎と意思疎通できるかもしれない。我ながらバカな考えだとも孝は思ったが、今はこれくらいしか確かめるすべを思い当たらない。
「あなたの名前は、加藤健太郎ですか」
――YES
健太郎は前足を一度軽く上げ、再びYESの札に下ろした。
「あなたの飼い主は、女ですか」
――NO
孝はわざと、質問の内容を理解しているなら「NO」と答える筈の質問をしてみた。
この答えにより、健太郎は偶然YESだけを押さえているのではなく、こちらの話を理解していると、孝は判断した。
「あなたは、僕のはパソコンを誰かが使ったのを知っていますか」
――YES
「それは、どろぼうが家に入ってきたのですか?」
――NO
「それは、悪い幽霊ですか?」
――NO
――YES
健太郎は一度「NO」を指し、それから迷ったように「YES」に前足を置き換えた。
何を考えているのだろうか。