センチメンタルシティ
「ね、ねぇ……?」
おずおずと、顔を覗き込みながら声をかける。すると、彼女はゆっくり顔を本から引き剥がし、僕の瞳を見つめた。
「なぁに?」
夢で見た通りの、低く歌うような声。
それに少し安心して、僕は先を続けた。
「いや、えっと、矢追……、さんだよね?」
「そうだけど……」
そう言って、自らの上履きをぱたぱたさせる。ここにも矢追って書いてあるでしょ? と首をかしげながら。
「君は確か……、高山くんだっけ」
本は開いたまま。目線はつながったまま。首は傾いたままで、僕に答えを求めている。
高山って……、ニアピンなのか、これは。
「高橋だよ、高山じゃない。そういえば矢追さんと話すの、初めてだね」
一瞬、不思議そうな顔をするも、そうね、と言って微笑んだ。いや、はにかんだと言ったほうが正しいかもしれない。
「それで、どうしたの? 高崎くん」
ようやく本に栞を挟んだ彼女が尋ねる。高山くんでも高崎くんでもないという誤解を解かずに本題へ。
「矢追さんって、本読むのとっても早いよね」
「え、そう? あんまり自覚はないんだけど……」
目を丸くした彼女は、速いかな、僕……、と呟く。
「でも君だって、いつも本読んでるじゃん」
そう言われて僕は彼女と同じように驚く。彼女の視線は、僕の膝上にあるハードカバーへと移っていた。長いまつげが眼鏡の奥で揺れて、きゅっと唇を引き結び、文庫本を握りしめている。そういえば、彼女は自分のことを”僕”と呼ぶんだな。
「あの、すみません……」
頭上から声がする。顔を上げると貸し出しの生徒が来たようで、図書館専用のカードと二、三冊の本をカウンターに置いた。
作品名:センチメンタルシティ 作家名:もの