流れ星に願いを
「世界は今、喪に服しているんだ」
烏戒は、真面目な顔でそう言った。
「亡くなったのは、一人の魔女でね。彼女の想いを世界に還す間、夜に待っていてもらったんだ」
「想いを、還す?」
問い返す紲に、烏戒はしっかりと頷いて見せた。
「魔女の想いには強い力が宿っているから、そのままにしておけないんだ。苦しみや悲しみが残っていたら、災いになってしまうから」
その言葉に、紲は歩きながら首を傾げた。緩やかな傾斜の丘陵地帯を、烏誡は紲の手を引いてゆっくりと進んでいく。町を抜けて、二人は小高い丘を目指していた。
「魔女の最期の想いをガラス玉に移して、世界に託して来たんだ」
ほら。そう言って烏誡がガラス玉を一つ、紲に差し出した。
紲の手の平にすっぽりと収まる大きさのガラス玉は、温かな緑色をしていた。それは月の光を受けて、きらきらと光っている。
「きれい」
「それには、魔女の優しさが篭められているんだ」
「これは、還さなくていいの?」
ガラス玉を渡しながら紲が尋ねると、烏誡は頷いた。優しさは災いにはならないから、と。
「他には、どんな想いがあったの?」
紲が興奮した様子で聞く。
「悲しみと苦しみ。それから、切なさがあったよ」
真っ黒な烏誡の目は、どこか淋しげだった。
「悲しみは夜空の果てに。苦しみは静寂の海底に。切なさは、風の始まる地に還した」
「どうやって?どうやって、空の果てや海の底に行ったの?」
烏誡は、簡単なことだよ、と答えた。
「俺は、人ではないから」
隣で紲は首を傾げるのを見て、烏誡は楽しそうに笑った。
「使い魔。魔女に仕えていたんだ」
「そうだったの?すごい!」
紲はその言葉に驚くどころか、目を輝かせた。町で見かけたカラスが、烏誡だったのだろう。拾った羽根と同じ色の髪と目をしている。
「空の果ては、単純に、高く高く飛んでいけば済む。海の底へは、知り合いの人魚に頼んで届けてもらったよ」
烏誡は静かに、その時のことを語ってくれた。
「空の果ては、寒い場所だった」
大地から離れて。世界で一番高い山の頂よりも、ずっとずっと上。月にさえ手が届きそうな空の彼方に、大きな雲が浮いていた。
なにもかもを飲み込んでしまいそうな。悲しみさえ飲み込んで、ゆっくりと溶かしてくれそうな。そんな大きな雲だった。
烏誡は雲を司る主を呼び出して話をつけると、冷たい青のガラス玉を雲に溶かしてきた。
次に向かったのは、静寂の海底だった。
「これは、一番簡単だったよ。俺の知り合いに協力してもらったからね」
海の上で烏戒が二、三度名前を呼ぶと、顔見知りの人魚が水面に姿を現した。事情を話すと彼女はすぐに承知して、黒いガラス玉を受け取ってくれた。
しばらくすると、彼女は再び水面に顔を出し、笑顔を見せた。ガラス玉は齢を重ねた阿古屋貝が受け取り、苦しみを真珠に変えてくれることになった。
「最後に風の始まる地に向かったんだけど、これが、なかなか見つからなくてね」
風の始まる地というのは、風の神霊の居場所のことだという。けれど、その居場所を見つけるのに、とても大きな苦労があったという。
夜を留めておくために、世界の時を止めているのだ。風は流れることを止め、全て空気に混じってしまった。おかげで風の始まりを見つけるのに、五日もかかってしまったのだという。 やっとの思いで神霊を見つけ出すと、烏誡は透明なガラス玉を託した。切なさのガラス玉は南風が受け取り、想いが消えるまで守ってくれるのだという。
烏誡はそこで言葉を切り、しばらく無言で歩いた。