流れ星に願いを
どうも、カラスらしい。
羽音を追いかけて走り込んだ横道で、紲はふわりと舞い落ちた黒い羽根を拾った。それは見事な漆黒で、町中に淀むように張り付いた闇なんかより、ずっとずっと深い色をしていた。
力強い羽音は裏通りを抜け、町の奥へと向かっていく。紲は黒い羽根をしっかりと握ったまま、必死でそれを追いかけた。
通りを抜けて、川沿いを走り、橋を渡って。空を切る音は、迷いもなく町を進んでいく。まるで、紲をどこかへ導くように。
住宅街を抜け、大通りを走り、微かな音を頼りに進んで。
辿り着いた場所は、町外れの大きな洋館だった。落ち着いた色合いの漆喰の壁。古く、風格の漂う鎧戸。広い庭には、たくさんのハーブが植えられている。
そこは、紲のよく知る場所だった。屋敷の主のことも知っていたし、彼女が既にいないということも。
黒い背の高い門は、紲が手を掛けると軋んだ音を立てて内側に開いた。わずかな隙間をすり抜けて、紲は庭に入り込む。
薄明かりの庭。月光が足元に作り出す影を見つけて、初めて照らされていたことに気付く。明けない夜の中、今までずっと。
空を見上げて、影を探す。
カラスの姿はそこには無かった。あったのは、古びた風見鶏。高いとんがり屋根の天辺で、風を待っていた。いつまで待っても吹かない風を、ただ、じっと。
姿など、見間違いだったのかもしれない。羽音など、聞き間違いだったのかもしれない。そんなはずはない。心の中で、思いが巡る。
そのとき、足音が庭に響いた。屋敷の入り口へとまっすぐに続く、小道の砂利を踏みしめる音。振り返った紲の目に、人影が映った。
背の高い青年だった。闇の色よりなお濃い、黒の髪と瞳が目を引いた。それは光の中でも色を変えない、生粋の黒だった。
深い海の底。日の光を振り切った更に先には、こんな黒があるのだろう。どこか、冷たさを感じる色だった。その黒に威圧されているかのように、彼の周りだけ、闇が薄らいで見えた。
「…あれ。女の子?」
声が届いた。些か掠れた、落ち着いた声。そこに、どことなく怪訝な響きが含まれている。
青年は長い脚をかがめて紲と視線を合わせると、言葉を続けた。
「悪魔の類かと思ったんだけど、ただの人の子か。君、どうして目が覚めたかわかる?」
紲が静かに首を振ると、相手は困った表情を浮かべた。
「おかしいな。自然に目覚めたってことかな。まじないが弱かったのかな」
おかしい…。
自分より十は年上だと思われる青年が、さっきからしきりに首をひねっている。
その様子があまりに生き生きとして見えたから、紲は思わず声を立てて笑ってしまった。
「あはは。あははははっ」
目の前の男は決まりの悪そうな表情を浮かべて、紲の笑いが収まるのをじっと待った。
「俺は烏戒(うかい)。君の名前は?」
「紲。八歳。町の北側に住んでるの。カラスを追いかけて、ここに来て」
久々に人と出会えた嬉しさからか、紲はまくし立てるように喋り出した。
「みんな、目が覚めないの。夜が終わらないの。淋しくて…」
言った途端に嗚咽が漏れた。しゃくりあげる紲の頭を、烏戒が静かに撫でた。それから、申し訳なさそうな口調で言葉を続ける。
「ごめん。本当なら、君もまだ眠っているはずだったんだけど」
明けない夜。その理由を、烏戒は知っているようだった。
「大丈夫。あと少ししたら、夜は明けるよ」
そう言って、烏戒は静かに立ち上がる。
「俺は、行かなきゃいけない場所があるんだ」
彼は思案顔でしばらく口を閉ざし、それから紲に問いかけた。
「君も一緒に、星を見に行く?」