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龍虹記(りゅうこうき)~禁じられた恋~・其の一

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 嘉瑛が愉快そうに肩をすくめて見せる。
「敵味方構わず、女と見れば犯し、許しを乞うて逃げ回る者まで無惨に殺すというではないか。そんな残虐非道を繰り返すあなたに、人の道を説き、我が父を貶める資格があるのか。父は確かに最後の最後で領主としてではなく父親として生きることを選んだが、それまでは一度たりとも民を思わぬことはなかった。無益な殺生をしたこともない。最後に父が取った行為はけして君主として正しかったとは申せぬが、あなたに私の父のただ一度の過ちを追及することはできないだろう」
「よくぞ申した―と、賞めてやりたいところだが、生憎と俺は澄ました顔で説教されるのが大嫌いでな。よく憶えておくが良い、小僧。この下克上、たとえ血を分けた親兄弟だとて殺し合う、それが乱世というものよ。一国でも多く勝ち得、領地を切り取ってこその武士、もののふではないか。俺はの、欲しいものは手段を選ばず手に入れる主義なのだ。そなたの妹万寿姫は、白海(しろかい)芋(う)のごとき佳人だと聞く。そのような花のように美しい姫を手に入れるだけで、足利将軍家の流れをも汲む名門の血筋をも取り込むことができる。俺が万寿姫に眼をつけたのにも、それなりの理由があるのだ」
 白海芋とは、外形は水芭蕉に似ており、初夏にこの辺りでよく見かける花だ。長く筒状の花はラッパ型で、純白と薄紅色のものがある。実は花のように見える筒状のものは萼で、花は中央にある黄色い芯の部分に当たる。
 里芋科で、昔、外つ国から渡ってきたといわれている。白い花をつけるものを白海(しろかい)芋(う)、薄紅色の花をつけるものを紅海(べにかい)芋(う)と呼ぶ。
「止めろッ、妹には手を出すな」
 千寿が必死の形相で叫んだ。
 当然ながら、千寿と共に村長の家に匿われていた万寿姫も囚われの身となった。
「ふん、そなたの弱味は妹か」
 嘉瑛がさも面白そうに口許を歪める。
「安堵せよ。既に万寿姫には対面しておる。まさしく噂に違わず、白海芋のごとき麗しい姫ではないか。今宵辺り、姫の許で過ごそうかと愉しみにしておるのだ」
 下卑た笑いを浮かべる嘉瑛を千寿が射殺しそうな眼で睨み据える。
「ま、薄汚れた兄とは似ても似つかぬ花のような姫だな」
 この城に連れてこられて丸三日、千寿は水と薄い粥を日に二度与えられるだけで、後は納戸部屋のような狭く薄暗い場所に閉じ込められていた。風呂も何日も入っておらず、着の身着のままであったため、身につけている小袖袴も垢まみれ、顔から身体中汚れていた。
 嘉瑛はひとしきり陰にこもった笑いを洩らすと、真顔になった。
「小僧、俺の脚許に這いつくばれ」
 千寿はプイとそっぽを向いて、嘉瑛の命を無視する。
 と、嘉瑛が口許を歪めた。
「俺はこれでも万寿姫には嫌われとうはない。できれば、婚礼を挙げるまでは手を付けまいと思うておるのだ。さりとて、兄がそのように強情では、俺もどこまで姫に対して紳士的にふるまえるか判らぬな」
 刹那、千寿が悔しげな表情になった。
 嘉瑛はニヤリと厭な笑いを浮かべ、顎をしゃくる。
「飼い犬のように、俺の脚許に這いつくばるのだ」
 千寿は唇を噛みしめ、そろそろと前へと進んだ。嘉瑛の脚許にひざまずく。
「それで良い、では、俺の脚に口づけよ」
「―!!」
 流石に千寿の顔色が変わった。
「さて、妹姫がどうなっても構わぬというのだな」
 口笛を吹くように愉しげに言う嘉瑛をキッと見据え、千寿は呟いた。
「―卑怯者」
 千寿は両手を後ろ手に縛られたままの格好で、顔を地面に近付けた。嘉瑛の草履の先に顔を更に寄せ、唇で軽く触れる。
 あまりの屈辱と怒りで心の中は煮えたぎりそうだった。それでも、万寿姫の身の安全には代えられない。
 刹那、嘉瑛が満足げな笑いを浮かべる。次の瞬間、千寿の小柄な身体は勢いよく蹴り上げられ、後方に吹っ飛んだ。
 あまりの仕打ちに、家臣たちが顔を見合わせるも、嘉瑛の暴虐ぶりに意見する者はいなかった。誰もが余計なことを言って、主君の逆鱗に触れるのを怖れたからだ。
 鞠のように宙を飛んだ少年はドサリと地面に音を立てて落下した。身じろぎもせぬ少年を、家臣たちが不安げに見つめている。
 当の嘉瑛は顔色一つ変えず、平然としている。
 ややあって、千寿が緩慢な動作で身を起こした。千寿の唇からは紅い血が糸を引いて流れ落ちていた。が、千寿は静かな瞳で嘉瑛をはるか後方からじいっと見据えている。静謐なその瞳は、かえって底知れぬ凄みというのか怖ろしさを窺わせた。
「な、何だ、その眼は」
 嘉瑛が臆したように言い、千寿に近寄り、間合いをつめた。真っすぐに千寿を見つめる漆黒の瞳が獲物を狩る獣のように凶悪に光っていた。
「気に入らぬ。生意気なこわっぱだ」
 嘉瑛が呟き、足先で千寿を蹴り上げた。
 それでもなお、千寿は口から、額から血を溢れさせながら、何の感情も宿さぬ瞳で嘉瑛を見上げている。
「こいつめ」
 嘉瑛は千寿の落ち着きぶりに苛立ちを募らせるように、千寿を幾度も蹴り上げる。
「お館さま、お止め下され。いっそのことひと想いに殺すおつもりがないのであれば、そのように乱暴に扱うては、このこわっぱが死んでしまいまする」
 流石に見かねた重臣が控えめに言上した。
「敵方の総大将の遺児、しかも嫡男にござります。この場で首をお刎ねになった方がよろしいのでは」
 また別の者が言う。
 嘉瑛は顎に手をやり、しばし思案するような風情を見せた。
「いや、こやつは殺さぬ。まだ幼い子どもながら、この俺にこうまであからさまに刃向かうとは不愉快でもあり、面白くもある。まぁ、殺してやりたいのは山々だが、ここはしばらく飼うてみるも一興」
「さりながら、お館さま。敵将の忘れ形見にございますぞ。生かしておいては、後々の禍根を残すことにもなりましょう」
 家臣が恐る恐る言うのに、嘉瑛はギロリと睨む。
「何じゃ、そちは、俺がこの小僧に倒されるとでも申すか」
「い、いえ、滅相な」
 口ごもる家臣を醒めた眼で眺め、嘉瑛は視線を再び千寿に移す。
「良いか、そなたは今日から俺の飼い犬じゃ。犬に千寿丸なぞとたいそうな名は要らぬ。今よりは犬丸と名乗れ」
 吐き捨てるように言っても、千寿は相も変わらず静かな瞳で嘉瑛を見上げているばかりだ。
 少年の頬が突如として鳴り、家臣たち一同は眉をひそめ、眼を背けた。
「たいそうな名を賜り、恐悦至極に存じまする」
 そのときだけ、千寿がやはり瞳と同じ、抑揚のない声で告げた。
「ええい、どこまでも気に喰わぬ奴だ」
 もう一度、蹴り上げられ、千寿の身体が鞠のように撥ね、地面に転がった。
 今度こそ動かなくなった千寿の身体を、嘉瑛はまるで棒きれを転がすように足先で蹴った。その刹那。
 千寿がわずかに顔だけ持ち上げて嘉瑛を見た。
 怒りや憎しみの果てにある感情を何と呼ぶのか、人は知らない。まさしく、そのときの千寿の瞳は、そんな空しさを宿していた。
 嘉瑛を憐れむかのような、蔑むかのような瞳に、嘉瑛が鼻白む。
 後はそのまま舌打ちして去ってゆく嘉瑛の後ろ姿をぼんやりと眺めながら、千寿は意識がすうと遠のいてゆくのを感じていた。
「大丈夫か」
「もう死んでいるのであろう」