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龍虹記(りゅうこうき)~禁じられた恋~・其の一

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 途中で何度も脚が竦んで立ち止まった妹を、千寿はその度に励ましながら進んだ。
 やがて、その地下道は城の裏手にある古井戸に至る。半ば朽ちかけた縄ばしごが垂れているのを見、千寿は自分たちが間違いなく脱出に成功したことを知った。
 用心しながら自分が先頭に立ち、ひと脚ひと脚、縄ばしごを登ってゆく。登り切ったところで井桁からひょいと顔だけを覗かせ、素早く周囲を見回した。
 やはり、誰もいない。流石に、このように城から離れた場所に放置されたままの古井戸など敵は眼も暮れなかったに相違ない。
 千寿は軽い身のこなしで井桁を跨ぎ、地面に降り立つ。続いて後から出てきた万寿姫に手を貸してやった。
「兄さま、私たち、これからどうなるのかしら」
 妹が怯えたように言って縋り付いてくる。
 そのか細い身体を抱きしめながら、千寿は微笑んだ。
「そなたは何も案ずることはない」
 と、遠方でゴォーと地鳴りのような音が響き、千寿はハッと音の聞こえてきた方角を見やった。
 城が燃えている。
 夜空を焦がしながら、白鳥城が燃えていた。千寿と万寿姫が生まれ育った城、父や母と過ごした城が燃え尽きようとしている。
 千寿の眼に、かつての白鳥城がまざまざと甦った。白亜の城が威容を誇って、ひっそりとそびえ立つその様から、人はいつしか白鳥の城と呼ぶようになったと、父はいつも誇らしげに語っていたものだ。
―ほら、見てごらん、我が国は豊かで、無益な戦もない。
 天守に登り、父と並んで眼下にひろがる光景を眺めながら、千寿は思ったものだった。
 白鳥の城は最も美しい城、そして、父が治める白鳥の国に住む領民たちもまた飢えることもなく、戦火に追われることもなく安穏に暮らしている。
 現実として、白鳥城は城主の気性をそのまま映し出したような城であった。白鳥が翼をひろげた様にもたとえられる女性的で優美な平城は、戦うには向いていない。今回、木檜嘉瑛との戦で白鳥城がこんなにもはやく落城したのも、ひとえに城があまりにも無防備なことにもあった。
 通親は民を思い、善政を敷いた名君として領民からも慕われていた。
 作物は秋になれば豊かに実った。だが、悪魔のような男がその豊かで平和な国を一瞬にして荒れ野と変えてしまったのだ。攻め入った嘉瑛方の兵たちは村々を焼き払い、村人を皆殺しに、女を犯して殺戮を重ねた。
―許さぬ、木檜嘉瑛。無念の中に死んでいった我が父、母の恨み、いつしか晴らしてくれる。
 千寿の眼に、赤々と燃える焔が映じていた。
 それは、父母を灼く紅蓮の焔であった。
 愉しかった日々が、自分を育んでくれたものがすべて燃え盛る焔に灼かれ、灰燼に帰そうとしている。
 紅く染まった千寿の眼が濡れていた。
 万寿姫があまりの光景に悲鳴を上げて、千寿の胸に顔を押しつける。妹の身体をなおいっそう力を込めて抱きしめ、千寿は自分の中で荒れ狂う怒りと憎しみに耐えていた。
 群青色の夜空には月も見えない。
 時々、彼方から響いてくる鬨の声が千寿の耳に虚ろに聞こえた。

 その数日後のことである。
 木檜嘉瑛の面前に一人の少年が引き立てられてきた。
 嘉瑛の居城木檜城本丸の庭にはその日、重臣一同がずらりと居並んだ。縁廊に腰掛けているのが当の嘉瑛、家臣たちは皆、その背後に座っている。
「面を上げい」
 嘉瑛の声が響く。少年は両手を後ろで一つに縛られている。地面に胡座をかいているが、嘉瑛が再度声をかけても、終始うつむいたままであった。
「聞こえぬか、面を上げよと申しておる」
 嘉瑛の声が甲走る。が、やはり少年は微動だにしなかった。
「こわっぱ、生命が惜しいのであれば、お館さまの仰せには素直に従うことじゃ」
 重臣の中から声をかける者がいた。
「良い」
 嘉瑛はその者を手で制すると、やおら立ち上がる。
「流石は強情者の親父どのの血を引くだけはあって、倅もやはり意地だけは人一倍のようじゃ。しかしながら、長い物には巻かれよと申す諺も知らぬでは、やはり、意地っばりなだけの阿呆だとしかいえぬではないか、のう、こわっぱよ」
 嘉瑛は階(きざはし)を降りると、草履を突っかけ、つかつかと少年に近寄る。
「どれ、その強情者の面構えをとくと拝ませて貰うとするか」
 顎に手を掛けてクイと顔を持ち上げられた。
 咄嗟に顔を背けたものの、グイと物凄い力で顔をねじ曲げられる。
 いやでも、憎い敵の顔が眼に入ってきた。
 濃い眉が印象的な精悍な風貌の男だ。身の丈は相当のもので、武芸の鍛錬も欠かさぬことを物語るかのような偉丈夫であった。これだけを見れば、いかにも戦神と讃えられる天下無双の名将の風格を備えているようにも見える。
 ただ、眼だけが冷え冷えとした光を放ち、この男の酷薄さを象徴していた。
―この男が木檜嘉瑛、父上や母上を無惨に焼き殺した慮外者か!
 千寿は嘉瑛をキッと睨みつけた。もし視線だけで人を射殺せるものならば、千寿はこの時、間違いなく嘉瑛を殺していたに相違なかろう。
「我が父を愚弄することは許さぬ」
 千寿が燃えるような視線で嘉瑛を睨(ね)めつけた時、嘉瑛が不敵に笑った。
「ホウ、では、訊くが、そなたの父は領民を労る賢き君主であったそうな。さりながら、その民思いの優しき領主が何ゆえ、俺からの縁組の申し出を断った? 断れば、たちまちにして領国に攻め入り、村を焼き払い民を皆殺しにすると申したはずだが?」
「―」
 千寿が悔しげに唇を噛みしめる。
 少年を見て、嘉瑛は片頬を歪めた。
 そんな笑い方をすると、酷薄そうな眼がいっそう際立つ。
「無類の女好きで鬼と謳われる暴君に、大切な姫はやれぬと、そなたの父はそのように申したのであろう。それはそれで結構。しかし、真に民を思う領主であらば、我が娘の幸せよりはまず先に領民の安寧を考えるのが筋というものではないか」
 千寿はうなだれた。悔しいが、嘉瑛の言い分はもっともなことだ。
 千寿自身、口にこそ出さなかったけれど、やはり父も最後は一国の国主であるより一人の父親にすぎなかった―公人としての義務よりも私人しての情を優先させたのだと思わざるを得なかった。
 嘉瑛方の最後の総攻撃によって白鳥城が落城した直後、千寿と万寿姫の兄妹は近くの奇蹟的に焼け残った村に身を隠した。幸いにも、その村は白鳥城に仕えた侍女の里でもあった。侍女は村長(むらおさ)の娘で、村長は兄妹をひそかに匿ってくれた。しかし、城が落ちて五日め、敵方の残党狩りは思いの外厳しく、ついに二人は追っ手の兵に発見され、木檜城へと連行されるに至った。
「ふうん、口ほどにもない奴め。反論の一つもできぬか」
 嘉瑛は面白くもなさそうに鼻を鳴らした。
「そなたの父は馬鹿だ。つまらぬ意地と誇り、我が娘可愛さのあまり、一国の君主としての道を誤った。もし俺を娘婿に迎えていれば、俺は舅どのとして通親への礼は尽くしただろう」
「あ、あなたにそのようなたいそうなことを言える資格があるのか」
 千寿は怒りに戦慄(わなな)きながら、言った。
 ザワリと嘉瑛の背後に並んだ家臣たちがざわめく。〝我がお館さまにこうまで面と向かって逆らうて、無事で済んだ者はおらぬ。生命知らずの小倅よ、哀れな〟と囁く声が洩れ聞こえた。
「ホウ?」