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陽と月と大地の祈り―Confession―

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あの方――銀の髪に潤むような瞳の美しい、物腰柔らかに淑やかな女性。
憎しみなど、感じたことはありません。
あの方の存在を知ったのは、わたくしが城に上がって間もなくでした。侍女達が、いかにも憤慨した様子で、わたくしのもとへ注進に参ったのです。
「陛下におかれては、身分卑しき平民の娘をご寵愛になり、あまつさえ御子まで設けられていらっしゃる」
噂を聞いて、わたくしは、面白いと思ったのでした。
女性に対する敵愾心などというものは沸きませんでした。
位高き家の主が幾人もの女性を身辺に置くのは、当たり前のことでございます。ましてや、この国を統べられる陛下。御容姿はあれ程に美しい御方の側に一人も女性がおらぬとあらば、そちらの方がよほど問題でありましょう。
わたくしは王妃なのです。
己の地位が守られている限りにおいては、一々目くじらなど立てぬが賢いというもの。それが世の常識というものでしょう。
ですから、わたくしが母子に興味を覚えたのは、決して嫉妬から出る心ではありませんでした。
ただ、わたくしは思ったのです。
陛下が──まるでお人形のように覇気ない御方がお選びになる女性とは、いったいどのような方なのか、と。
それ故に、わたくしは陛下に願ったのです。
「わたくしは、シャディオの城にまだ馴染み薄い上、幼い身。どなたか年近く心優しい女性とお話できれば、気鬱もやむと思うのですが……」
陛下は、わたくしの意図をご存知でいらっしゃったのか、否か。ともあれ、わたくしは、あの方にお会いいたしました。
美しく優しく淑やかに控えめで。世の人が女性に望むものを形にしたような方。
それが、あの方の印象でした。
決して嫌ったわけではありません。良い方だと思いました。
ですが……。
それでも、わたくしの胸には痼りが残りました。
あの方は、わたくしの前には御子を連れていらっしゃいませんでした。未だ子を成さぬ正妻の前に、これ見よがしに陛下の御子を連れてくることを避けられたのでしょう。
大層、気配りの行き届いた方でした。
人形の如く覇気なくただ美しい陛下と、やはり美しく優しく柔らかなだけの女性の子。
わたくしとしても、会う必要性を認められませんでした。
意味ないことと思ったのです。
そして、6年が過ぎ去りました。
一向に懐妊の気配を見せないわたくしに、一部の者達が焦れ始めました。そして、あの方の御子に白羽の矢が立ったのです。そう、貴族の後ろ盾がついた。
わたくしが身籠もったのは、その折も折でした。
何という皮肉でしょうか。いっそ、あの方の御子が正式に太子として立てられていれば、何も問題はなかったのです。もしくは御子が未だ誰の後ろ盾も得てはいなかったならば。
ですが、今更、時は巻き戻りませぬ。
かくして、わたくしの実家の者達が動き、あの方と御子は、適当な名目の下に城を追われることになりました。
陛下は、お止めになりませんでした。あるいは止めても無駄と思われていたのか。
そして、わたくしも。
わたくしは思っていたのです。あの方の御子ならば、陛下とさして代わりばえのしない凡庸な者であろう、と。
ならば、わたくしが、わたくしの御子を己の能力一身を捧げ教育し導く方が、よほど世のためになる、と……。
あの方は、城を去られる前に一度、わたくしに挨拶に見えられました。
わたくしは、そこで初めて、あの方の御子にお会いしたのです。
「お元気で」
形式的で空虚な挨拶を述べたわたくしと、その御子の視線が一瞬だけ交わりました。そして。
……わたくしは、戦慄を覚えたのです。
陛下と同じ藍色の瞳。
けれど、宿る光は、決して陛下と同じなどではありませんでした。
毅い。そして深い……不思議な色合い。
わたくしは、その瞬間。何故かその御子を呼び止めようと唇を開きかけていました。
呼び止めは、いたしませなんだが。
母子は去っていきました。
ですが、わたくしは……。わたくしは、間違っていたのでしょうか?
もしや、あの御子は、真に尊き御位に相応しき資質を備えていたのでは?
いいえ。それもまた、言ってはならぬことでした。
やがて、わたくしには順調に太子が生まれ、あの方と御子は忘れ去られました。

――次にわたくしが藍色の光に出会ったは、それから8年の時が過ぎて後のことでした。
滅多に世に御姿を現さぬ月の導師が、わざわざたっての願いをと申し出られたため、わたくしと陛下はその御方とお会いいたしました。
月の導師の願いとは、聖地とされる場を汚す者を取り締まること。
尊き御方の願いとならばと、即座に受け入れられました。
けれど、陛下の、そしてわたくしの関心は、月の導師にはありませんでした。月の導師に付き従っている次代の導師、いわゆる月の術師にこそ、視線の全ては注がれておりました。
銀の髪。藍色の瞳。この世ならぬ雰囲気を纏うほど美しい少年。
年月が容貌を多少なりと変えたとはいえ、誰が見間違いましょうか。
月の術師は名乗りもせず、導師の背後に控えておりました。陛下がその者に御声をかけられた際も、ただ瞳を伏せて沈黙を返す。
結局、その者が顔をあげたは、退出する、ただ一瞬のみでした。
……一瞬で十分でした。
昏く深く熱く、憎しみに満ちた瞳。
その理由を、わたくしはよく知っておりました。
陛下にとって最も寵愛深き女性の産みし御子。わたくしの後ろについて権力のおこぼれを狙う者にとって、これ以上邪魔な存在はおりますまい。
あの方が、病を得た身で生まれ故郷を追われた、と。それをわたくしが聞いたは、全てが手遅れとなってからのことでございました。
勿論、その様なことが免罪符とならぬことは百も承知です。今更にくだくだしく弁解など申すつもりもございません。
けれど藍色の瞳の光は、わたくしを、そしておそらく陛下をも、慄然とさせたのでした。
わたくしは思ったのです。
――いつか。この者こそが、この国を。この血を滅ぼすのではないか、と……。


わたくしは、かつてないほど弱々しく、月の青年に笑いかけていました。
最早、何もありません。
わたくしが守るべきであった国は、既に別の者によって乱され、陛下も弑されております。
我が御子は――この国の次代の国王たる御方は、既に一人前。わたくしの力を必要とはされますまい。
故に、わたくしは、今こそ己の命捧げても、と。思っていたのです。
無意味な感傷でした。
人ならぬ者には人の理など、付き合う義理もございますまい。
青年は、既に憎しみも怒りもない不思議な藍色の瞳で、わたくしを真っ直ぐに見ておりました。
「貴女に、一つだけ聞きたいことがあるのですが」
「何でしょう?」
「あの時。……私と母が城を去っていく時。貴女は最後に、何か仰ろうとしていましたね。いったい何を考えていらっしゃったのですか?」
わたくしは、一瞬だけ指が震えるのを感じました。
「……あの時に。もし……もしや其方こそが玉座に相応しいかと、一瞬。ええ、その一瞬だけ思ったのです」
決して言うまいと思っていたこと。
それを聞いた青年は、ほんの僅か驚いた様子で小さく首をかしげました。