勿忘草とワンピース
「今日は楽しかったね!」
「うん、そうだね」
私達は夕暮れの河川敷公園のベンチに並んで座っていた。
よくわからないけど日曜の夕方だというのに、公園にはほとんど人はいない。
結子と私の手にはさっき私達がが試着していたワンピースが入った袋が提げられている。
あのあと、私もあのワンピースを結子に試着させられてしまい、つい勢いで買ってしまった。
正直こんなの買っても恥ずかしくて着れそうにもないんだけど……。どうすればいいんだろうか?
あのワンピースを買ったあとはフードコーナー昼食をとって、ゲームセンターやカラオケ何かにも行ったりしたせいで、お互いに財布が痩せこけてしまったのでこうして割と早めに帰路に着いているというわけである。
「あーあ、明日からまた学校かー」
「全くだ……受験生は覚えることが多くて大変だよ」
最初、唐突に結子が現れて始まったこの一日だったが、楽しかったかつまらなかったかで言えば当然前者だろう。
確かにゲームセンターやカラオケに行く途中で何度か結子の事を知っている人間に遭遇しそうになって、そのたびにフォローはしていたが、結子と遊んでいた時間に比べれば全く気にならなかった。
やっぱり、私は嬉しかったんだ。
もう一度、結子と出会えたことが。
「(出来れば、このまま……)」
結子がここにいればいいのにと、本気でそう思う。
どうして今この場にいるのかはわからないし、何で留まっているのかもわからないけれど。
でも、もう少しくらい一緒にいてもいいはずだ。もう少しくらい一緒に――。
そう思っていた時だった。
「あ、あれ!」
結子が突然大声を出したと思うと、立ち上がって全速力で走り始めた。
「あ! ちょっと! 体弱いんだから、走ったりしない方が――」
ベンチから立ち上がった私の声もお構いなしに、結子は河川敷の橋の近くに行ったかと思うと、そこで立ち止まってしゃがみこんだ。
私も急いでそちら側に向かう。
「ほら! 奈緒ちゃん見て! 勿忘草だよ!」
「あ……」
結子が指を指した場所には、勿忘草の花が咲いていた。
青い、花びらが、咲いていた。
私は思わず足を止めてしまった。
「すごい!すごい!」
結子は携帯電話を取り出し、パシャパシャと写真を撮り始めた。
「本では見て知ってはいたけど本当に野生で咲いてることあるんだ! どっからか種が流れてきたのかな?」
「…………」
そんな上機嫌な結子とは対照的に、私はさっきまで良かった気分がどんどん悪くなってきた。
勿忘草、結子が最期まで持っていた花。
だからどうしても思い出してしまう。あの花を見ると。
結子は、もうこの世にはいない……。
この結子は幻想なんだって。
「…………うぅ」
徐々にピントがずれていく視界の中にいる結子を見つめながら、心の中でただ問い続ける。
結子、どうして……あなたは――、
「私が何で勿忘草が好きなのか話したことあるっけ?」
「えっ?」
まるで私の思考に入り込むかのように結子が勿忘草を眺めながら話しかけてきた。
「えっと……知ら、ない……なんで、なの?」
私は涙声になりそうなのを必死で堪えながら勿忘草を見つめ続ける結子に問い返してみる。
「んーとね、これは好きな理由とは違うかもなんだけどね」
そう言って結子は立ち上がって、こっちを振り向く。
いつもとは違う、でもいつも通りの彼女の優しい笑顔だった
「昔ね、私が入院してた頃に読んだ本の中で見たんだけどね、勿忘草の花ことばって『私を忘れないで下さい』なんだって」
「え……」
ふっ、と、私の中で何かが噛み合ったような気がした。
ずっと歯車が一個足りなくて空回りし続けていた思考が一気に繋がった、そんな感覚だった。
「私、その頃はお医者さんには大丈夫って言われてたんだけど、本当に具合が悪い日が多くてね? ひょっとしたらもうすぐ死んじゃうんじゃないかって、思ってて」
「うん」
「怖いけど、多分もうすぐ死んじゃうんだろうなーって、だから死んだ後の事を考え始めるようになってね」
「うん……」
「だからもし私がもうすぐ死んじゃうって分かったら、一番大切な友達に最期の思い出としてこの花を渡そうって思ったの。私の事をいつまでも覚えていて欲しいって、思ったから」
「……そうだったんだ」
あの時どうして突然勿忘草を見たいだなんて言ったのか、どうして無理をしてまで自分で花瓶の水を取り替えに行ったのか。分かった気がする。
きっと、もう自分は長くないと結子は思ったんだ。
だから勿忘草が欲しかった。
でも自分じゃ買いに行けないし、親だって滅多に来ない。だから私を頼ったんだと思う。
自分で花瓶の水を取り替えようとしたのは、最期の最期までは自分で面倒を見たかったからだと思う。あのときの結子に出来ることは、もうそれしか無かったのだろうから。
「ねえ……」
「うん? 何?」
「…………」
ひょっとしたら、これを訊くのはすごく意地悪で悪いことなのかもしれない。
でも私はどうしても知りたい。訊かなきゃ絶対後悔するから……。
だから――、
「その時、もしその時結子が本当に死んじゃうって分かったら……、誰に勿忘草をプレゼントするつもりだったの?」
「そんなの今も昔も奈緒ちゃんに決まってるよ」
ただ一言即答して、また私に背を向けて、結子は勿忘草を見つめる。
「でも本当にあるんだなあ、野花の勿忘草なんて」
「…………」
なにを……、
なにを友達から貰ったものをそのまま贈り返そうしてるんだよ……。
そんなことされるくらいなら、私は、あなたとの……。
「結子」
私は結子の近くまで走り寄る。
頭の中に伝えたいことが洪水の様に流れ込んでくる。
私はただそれを大きな声で矢継ぎ早に紡いでいく。
「次の休みにはもう一回服屋に行こう、そこで結子の好きな服おごったげる。そのあとは遊園地にでも行こう、 結子はジェットコースターとか乗ったことないでしょ? 映画にも行こう、いろんな映画見て笑ったり泣いたりしよう? 夏と冬には長期休暇だってあるし、秋には文化祭もある。まだまだたくさん――」
まだ結子は自分が幽霊だって気づいていない。
なら一緒にいられるはずだ。
結子との、思い出が作れるはずだ。
だったら――、
「…………」
「? 結子……?」
結子が、固まったように動かない。私の言葉に頷いてくれるわけでもなければ、振り向いて嫌そうな顔をしたりもしない。
ただ、向こうを向いて動かない。
「どうしたの結子? 具合でも悪いの?」
「そっか……、私」
結子は一言そう呟くと、ゆっくりとこっちを振り返った。
「奈緒ちゃん?」
「何?」
「私って、階段から落っこちたことあったっけ?」