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偽装結婚~代理花嫁の恋Ⅴ【本物のウェディングベル】

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 他の社員たちは、とばっちりが来てはまずいとばかりに殊勝に黙っている。だが、彼等の表情を見れば、考えていることは丸わかりだ。氷のプリンスと呼ばれ、大勢のセレブな美女たちと付き合いながらも、けして一人の女に夢中になることはなかった―それが瀕死の企業を次々と奇跡的に復興させている辣腕の若き副社長の姿であった。
 だが、今のプリンスはどう見ても、その伝説的な噂の数々とは結びつきそうにもない。
 女子社員たちを叱ってはみたが、ニューヨーク時代からプリンスの秘書をずっと務めてきた第一秘書には信じられない光景であった。
―あの副社長が人前で血相変えて女の尻を追いかけていくとは。しかも、相手の女は御曹司が相手にしてきたゴージャスな美女とは全く違う。どこにでもいそうな、平凡な小娘ではないか!
 第一秘書が思わず二度目の溜息をついた時、当のプリンスこと副社長が戻ってきた。先刻の狼狽えぶりはどこへやら、いつものポーカーフェイスが憎らしいほどサマになっている。
「R商事の専務との面談は何時からだった?」
 いきなり問われ、第一秘書は恭しく応えた。
「午後二時からです」
 この有能かつ忠実無比な秘書の頭には敬愛する副社長の予定はすべてきっちりとすり込まれている。
 プリンスが歩きながら話すので、第一秘書も慌ててついていった。
「その後の予定は?」
「午後四時からは今冬発売予定の婦人服部門新製品の企画会議、午後六時よりT銀行の頭取との打ち合わせがありますが」
「打ち合わせといっても、今日のは接待だったな」
「はい」
「それならば、君が適当な店を見繕って、すべて手配しろ。私は今回の接待には出ない」
「しかしながら、副社長。T銀行の頭取のお嬢さまとは近々、見合いの話が浮上しており―」
「心に決めた女以外に結婚する気はない」
「はあー」
 第一秘書は弱り切った顔で頷いた。
「私の代わりに、君が失礼のないように頭取をもてなすように。どうせ頭取の娘との縁組は社長が勝手に画策していることなのだろう?」
「私には判りかねますが」
「秘書課長の君が知らないはずはない。しかし、まあ、それはこの際、どうでも良い。社長には私からきっぱりと断っておくから、君は頭取が縁談の話を匂わせても一切、乗るな。その件については、後日、社長から正式な返事があるだろうと伝えてくれ」
「承知いたしました」
「私は四時からの企画会議が終わり次第、今日は退社する。そのつもりでいてくれ」
「はっ、畏まりました」
 第一秘書は深々と頭を下げ、プリンスは既に待ち受けていた黒塗りの専用車に乗り込んだ。プリンスのために第一秘書がさっと後部のドアを開け、自分も続いて反対側から乗り込む。
 やがて、若き副社長と忠実な秘書を乗せた高級車は賑やかな町の中心部へと走り去っていった。

 由梨亜は泣き腫らした眼をこすりながら、緩慢な動作で起き上がった。どうやら、知らない間にリビングのソファで眠っていたようである。
 既に部屋の中は淡い宵闇が忍び込んでいた。あれから―三鷹があろうことかS物産の副社長、伝説の若きプリンスであることを知り数時間、由梨亜はマンションでずっと泣いていた。我ながらよく涙が後から後から出るものだと思うくらい泣けた。
 痛む眼をしょぼつかせて時計を見ると、午後七時前だった。いつもなら、そろそろ三鷹が帰る頃だ。
―俺は真面目な会社員だよ。
 彼はいつもおどけてそう言っていたのに、由梨亜はまるで信じようとはしなかった。
「会社員もただの会社員じゃない、伝説のミラクル・プリンスだなんて。そんなドラマか映画のような話なんて、あるはずもないのに。何で私が巻き込まれなきゃならないの」
 また涙が滲んできて、手のひらでこすった。と、静まり返った部屋の空気を震わせて、玄関のインターフォンが響いた。由梨亜は思わず身を竦ませた。
 いよいよ対決の瞬間が来たのだ。
 リビングのソファに座っていると、三鷹が静かに入ってきた。様子を窺うような気配に次いで、部屋の電気が灯った。
 由梨亜をひとめ見るなり、三鷹はあからさまな安堵の表情を浮かべた。偽装結婚を始めた夜、無理矢理、彼がキスをしかけてきた翌朝もこんなことがあった。あのときも彼は由梨亜が出ていかなくて良かったと心底から嬉しそうな顔をしたのだ。
「君が出ていって、いないんじゃないかと思った。もう二度とここへは帰ってこないのではないかと不安でならなかったよ」
 由梨亜が沈黙を守っているため、部屋に満ちた静寂がよりいっそう重たくなった。
 三鷹は二人の間に漂う緊張感を認めまいとでもするかのように、一方的に喋り続けた。
「明かりもつけないでいたの?」
 由梨亜は視線だけを動かして三鷹を見上げた。眩しい明かりが一瞬、泣き腫らした眼を眩しく射貫いた。
 三鷹がハッとしたような表情になった。
「泣いていたんだね」
「よほど出て行こうと思ったけど、まだ、私はあなたから何も真相を聞いていないわ。幾ら取る足りない私のような人間でも、理由と真相くらいは知る権利があるはずよ」
 由梨亜が重い口をやっとの想いで開く。このままでは先へは進めない。これほどまでに手酷い形で裏切られた今ですら、由梨亜はまだ三鷹を愛しているのだ。
 だが、いずれにしろ、彼との別離は刻一刻と迫りつつある。彼の予想外の裏切りにより、その別れが二週間、早まっただけにすぎない。
 しかし、その事実は由梨亜を打ちのめした。二週間という彼と過ごす残り少ない日々を、大切に過ごそうと考えていた矢先に、彼の裏切りが発覚したのだ。
「由梨亜」
 名を呼ばれ、由梨亜は彼を真正面からキッと見据えた。
「そんな風に気安く呼ばないで」
 その鋭い指摘に、三鷹が酷く哀しそうな顔をした。
 彼のそんな表情を見ただけで、不覚にも由梨亜の心は折れそうになってしまう。裏切られたのは自分の方なのに、傷ついた様子の彼を抱きしめて慰めてあげたいと思ってしまうのだ。
 何て私は愚かなのだろう。こんなだから、三鷹に最初から上手く利用され、挙げ句に、まんまと騙されたのだ。
 由梨亜の思惑を知ってか知らずか、三鷹は哀しげな表情はそのままに深い息を吐いた。
「俺は君を取るに足りないだなんて思ったことは一度もない。むしろ、どんな逆境にいても、いつも明るく咲いて人の心を慰める可憐な花のようだと思った。前向きで優しくて、強いし、ビジネスの分野でもかなりの資質を持っていることは君と話してすぐに判ったよ。君とめぐり逢ったことで、俺は確かに救われた」
 由梨亜が形の良い細い眉をつりあげた。
「救われたですって? 随分と都合の良い科白ね。あなたは自分だけが救われたらそれで良いから、私を騙して都合良く利用したの?」
「違う、そんなんじゃない! 君を利用するつもりは、これっぽっちもなかったよ」
「じゃあ、騙したことについては、どう言い訳するつもり?」
 その問いに、三鷹は小さく息を呑んだ。
「俺にはとかくの風評がある。色々なろくでもない噂を聞かせて、君に嫌われるのは耐えられなかった」
 彼は口ごもり、ひとたび言葉を切った。次に発すべき言葉を見つけかねているように視線を宙にしばし彷徨わせた。