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偽装結婚~代理花嫁の恋~Ⅳ

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「悪かった、由梨亜ちゃん。けど、俺、あの気障野郎が由梨亜ちゃんに、にやけた顔で迫ってるのを見たら、もう我慢できなくなったんだ」
 三鷹は心底、申し訳なさそうにうなだれた。
「三鷹さんはいつも自分のことしか考えないのね。安浦先生は別に私に迫ったりはしていなかったのよ。ただ最後に食事に誘われただけ。なのに、一方的に先生を責めて、怒らせて」
「だから、ごめん」
「もう、良い」
 由梨亜は情けなくて、泣けてきた。
 泣き出した由梨亜を三鷹は困ったように眺めている。二人が立っているのは大勢の人が行き来する駅前の歩道だ。
 ちょうど三時頃まで降っていた雨のせいで、アスファルトはまだ濡れていた。
 何事か―カップルが揉めているのかと興味津々で通り過ぎてゆく人も少なくはなかった。
「あーあ、また泣かせちゃったな、俺」
 三鷹は由梨亜の肩を抱くと、躊躇いがちに引き寄せた。
「君が泣き止むためには、俺はどうすれば良いのかな? あのいけ好かないドクターの前で三回回ってワンと啼けというのなら、そうするよ」
「馬鹿。こんにときまで冗談言って」
 由梨亜は泣きじゃくりながら言った。
「本当は三鷹さんが悪いんじゃないって判ってるわ。三鷹さんは初めは礼儀をわきまえて先生に話しかけたのに、先生の方があなたを無視したのよ。それで、あなたが余計に怒ったのも知ってる。でも、あの人は母の主治医だから―」
「ああ、もう判ったから、泣くなよ。明日の朝いちばんに、俺があいつのところに謝りに行くから。ああいう呆れるくらい気位の高い連中は頭を下げてやれば、割とすんなりと機嫌を直すものさ。俺の親父があのタイプだから、操縦法は心得てる」
 三鷹は由梨亜の背中をあやすように撫でながら言った。
 抱き合う二人の傍らを女子高生の数人組がちらちらと眺めながら通り過ぎていく。
「三鷹さんは本当に―それで良いの?」
 三鷹もまた侮辱されたのだ。なのに、安浦医師に頭を下げるというが、それで彼の心はおさまるのだろうか。
「構わない。それで、君の気持ちが落ち着くなら、俺はどんな嫌なヤツにも頭を下げるさ。嫌なヤツに頭を下げるときには、心の中でこう言いながら頭を下げるんだよ。〝馬鹿野郎、豆腐の角に当たって死んじまえ〟」
「三鷹さんったら」
 由梨亜がクスリと笑みを洩らしたのに、三鷹は溜息をついた。
「本当にもう忙しい奥さんだなぁ。怒ったかと思えば泣くし、泣いてると思えば笑うし。俺は正直、あのドクターに頭を下げるより、由梨亜ちゃんの機嫌を取る方が骨が折れるよ」
 でも、そんなところが良いんだ、特に泣き顔が最高に可愛い。
 三鷹は今度は由梨亜を赤面させることを堂々と言った。更に。
「だけどね、由梨亜ちゃん、俺がいちばん嬉しかったのは君があのドクターの前で俺を夫だと認めてくれたこと」
 と、由梨亜以外には聞き取れないような声で囁いた。由梨亜が安浦医師の前で〝主人〟と言ったのがよほど嬉しかったらしい。満面に笑みを湛えている三鷹に、由梨亜は叫んだ。
「もう、三鷹さんったら!」
 三鷹の笑い声が澄んだ雨上がりの空気に弾けた。
 由梨亜は三鷹の腕に手を添え、二人は何事もなかったかのように笑いさざめきながら人波に紛れた。

 三日後の朝、由梨亜は三鷹の運転するスポーツカーで海沿いの道を走っていた。
 N町から更にT町を過ぎ、F町に入る。町自体はN町より更に小さく、人口も三分の二ほどになるのだと、三鷹が説明してくれた。
 どこに行くのかと思ったが、三鷹が何も説明しないので、黙っていた。彼は必要があれば、ちゃんと教えてくれるはずだ。
 いつしか由梨亜の三鷹への信頼は深まりつつあった。三鷹はやがて町の賑やかな中央部を抜け、町外れの小さな白い建物の駐車場に車を乗り入れた。
 由梨亜は助手席に座り、一昨日の朝の出来事をぼんやりと思い出していた。彼は約束をきっちりと守った。
 駅前の喫茶店で揉めた翌朝、N病院を訪ねて安浦医師にきちんと謝罪してくれた。
 外来がまだ始まる前の時間で、病院のロビーは閑散としていた。呼ばれて姿を見せた安浦医師は由梨亜と並び立つ三鷹を見て、いささか失礼なほど眉をひそめた。
―何か用ですか? それとも、まだ僕に何か言い足りないことでも?
 ぞんざいに突き放すような口調で言う安浦医師の態度は全く大人げなかった。
 三鷹はそんな医師の態度には全く頓着せず、深々と頭を下げた。
―昨日は申し訳ありませんでした。昨日、家内からさんざん怒られました。義母の主治医でいらっしゃるとは知らず、失礼がありましたことを心からお詫び申し上げます。
 三鷹が由梨亜をはっきりと〝家内〟と呼んだ時、安浦医師はちらりと由梨亜を見た。
―主人の態度に失礼があったことを私もお詫びします。
 由梨亜も傍らで三鷹にならって頭を下げた。
―まさかと思いましたが、昨日、結婚していると言ったのは本当だったんですね。
 安浦医師は愕きを隠そうともせず、由梨亜と三鷹を交互に眺めた。
―まあ、判ってくれれば、それで良いんです。
 最後まで自分の方が立場は上なのだという傲岸さをちらつかせ、安浦医師は白衣の裾を翻して白いリノリウムの廊下を去っていった。
 それに対し、三鷹は終始、慇懃な態度を貫き、医師の挑発的な物言いにも一切、乗らなかった。二人の男を傍らで見ている由梨亜にも、どちらが男として―人間として器が大きいかはすぐに判った。
 母と自分のために、頭を下げたくない相手に誠意ある対応を示してくれた。そのことに、由梨亜は言い尽くせないほどの感謝を抱き、彼への信頼をますます深めたのだ。
「由梨亜ちゃん?」
 N病院でのひとときに想いを馳せていた由梨亜はハッと我に返った。
「ごめんなさい。つい考え事をしていたものだから」
 慌てて謝ると、三鷹は破顔した。
「片道二時間のドライブは流石に疲れただろ。もう着いたから安心して」
 三鷹は車から降りると、先回りして、さっと外側から助手席のドアを開けた。こういうさりげない気遣いや洗練された物腰は一朝一夕に身につくものではない。こういうところからも、彼が見かけどおりの明るい女タラシのお調子者ではないことは察せられる。
 だが、それは彼自身が必要だと認めれば、いつか話してくれるだろう。そのときまでは自分の方から三鷹に訊ねるのは止めておこうと決めていた。
「ここは、どこ?」
 由梨亜は物珍しげにキョロキョロと周囲を見回した。
 けして広いとはいえない駐車場からは、はるかに海が臨める。サファイアブルーの海がまるで輝く一枚の布のように遠方にひろがっていた。
 三鷹は静かな声音で言った。
「町の人は保養所と呼んでいる。本当の名前は〝わかばクリニック特別療養センター〟」
「病院なのね?」
 問うと、三鷹は軽く頷いて歩き始めた。由梨亜は慌てて後を追いかける。
 駐車場を出てすぐの場所に、白い建物が見えた。広さはまずまずで、病院というよりは最近、よく見かける特別有料老人ホームに外観は似ている。
 玄関を入ると、受付があった。三鷹はここで受付の若い女性と少し話した。
「どなたか知っている人がここにいるの?」
 由梨亜の質問に、三鷹は小さく頷いた。
「もうじき判るよ」