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偽装結婚~代理花嫁の恋~Ⅲ

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「ふうん、じゃあ、俺は頼り甲斐がある大人の男として由梨亜ちゃんの眼には映っていたんだね」
 三鷹はすごぶる機嫌が良かった。
 三鷹がケーキの蝋燭に火を点し、由梨亜が吹き消した。それからケーキを前に三鷹のスマートフォンで二人一緒に写真を撮った。
 三鷹がスマホのカメラレンズを自分たちの方に向ける。
「良い? 一、二、三」
 三と叫んだところでシャッターが降りた。
「おおっ、結構良く撮れてる」
 三鷹のはしゃぐ声につられて覗くと、画面の中の二人はこれ以上はないというくらい幸福そうに寄り添い笑っていた。
「三鷹さん、この写真。迷惑でなければ、またプリントして一枚貰える?」
 偽装結婚―愛のない偽りの結婚をした証拠なんて、残さない方が良いのは判っていた。
 でも、三鷹とのこんなに楽しい想い出が一つも残らないなんて、あまりにも淋しすぎる。
 大丈夫、由梨亜さえ誰にも話さず、見せなければ良い。この写真は一枚だけ、三鷹との幸せな結婚生活の想い出を偲ぶよすがとして大切にしまっておこう。きっと、一生の宝物になるだろう。
「うん? あ、こんな写真で良ければ、後でプリントしとくよ」
 三鷹には〝こんな写真〟でしかなくとも、由梨亜には一生の記念になる宝物ほどの価値があるのだ。
 由梨亜は微笑んだ。
「お願いね」
「さあ、ケーキ入刀も済んだし、これでやっと由梨亜ちゃんお手製のご馳走にありつける」
 三鷹が心底嬉しげに言い、まずは眼の前にあったミートパイに手を伸ばした。
「すっかり冷めたわね。もう一度、温め直しましょうか?」
「いや、その必要はないよ。今夜の主役は由梨亜ちゃんなんだからね。今夜だけは後片付けは俺がやるし、もう、くつろいじゃってね」
 三鷹は旺盛な食欲を見せて次々と料理を平らげている。これはいつものことだが、彼は本当によく食べた。均整の取れた引き締まった身体には贅肉も脂肪もついていないのに、あれだけ食べて太らないのが不思議に思えるほどだ。が、彼の食べっぷりは見ていて気持ちが良かったし、更には自分の手料理を食べる彼を見るのは嬉しかった。
 まだ二十六だというから、若さのゆえもあるのだろう。
 彼がすべて食べ終えた頃合いを見計らって、由梨亜はデザートのパンナコッタを出した。
「うん、美味い。最高」
 由梨亜の前では調子の良い彼がいつもにも増して饒舌だ。
 パンナコッタに銀の小さな匙を入れながら、三鷹が言った。
「子どもの頃、お袋がよくプリンを作ってくれたな。由梨亜ちゃんが作るパンナコッタって、あの頃に食べたプリンとそっくり同じ味だ」
 三鷹は少し遠い眼になり、記憶をたぐり寄せるような表情をしていた。由梨亜の視線に気づくと、急におどけた表情になり、片目を瞑って見せる。
「家で奥さんが待っているというのも良いもんだね。今までは明かりも付いていないマンションに帰るのが苦痛で、仕事帰りにはバーとかクラブに寄っていたんだよ。でも、不思議に君が家で待ってるんだと思うと、どこにも寄る気にはならなくなった。可愛い妻と美味しいご馳走が待ってるんだ、俺はつくづく幸せ者だってね」
 由梨亜の珊瑚色の唇が震えた。
「そんなこと―、言わないで」
―不思議に君が家で待ってるんだと思うと、どこにも寄る気にはならなくなった。
 そんな科白は反則だ。それでは、まるで三鷹も自分と同じように、この偽物の結婚生活を楽しんでいるようではないか。
「どうして? 俺の偽りのない本当の気持ちだよ」
「今の生活は紛い物なのよ? 私たちは本物の夫婦じゃなくて、偽装結婚した夫婦なのよ」
「じゃあ、本物にすれば良い」
 事もなげに断じた三鷹に、由梨亜は悲鳴のような声を上げた。
「三鷹さん!」
 永遠に思える沈黙が流れた後、由梨亜がポツリと言った。
「私はあなたより年上よ」
 三鷹が笑った。
「今時、一つや二つの歳の差なんて誰も気にしない。女の方がもっと年上のカップルもいる」
「結婚はゲームではないわ。私たちはたまたま模擬披露宴で花嫁と花婿の役を務めたというだけで偽装結婚した。でも、それで途中から本物の夫婦になったとしても、上手くゆくはずがないもの」
「何で最初からそんな風に決めつける? 大昔は結婚なんてものは、親同士が勝手に決めて互いに顔も知らずに結婚したんだ。そんな時代も確かにあったのに、俺たちはちゃんとお互いを知っているし、こうして一緒に暮らしてる。結婚するのに不都合はないはずだ」
「できないわ、そんなこと、できっこない」
 由梨亜は夢中で立ち上がり、キッチンを横切った。
「待てよ。ちゃんと最後まで話そう」
「話すことなんてないわ」
 由梨名は頑なに言い張り、構わず出ていこうとした。その時。
 いきなり背後から抱きすくめられ、由梨亜は身を強ばらせた。
「三鷹さん?」
 愕いて抵抗しようとする由梨亜に、三鷹の懇願するような声が聞こえてくる。
「頼む。いつかのように無理強いをしたりはしないから、少しだけ俺の話を聞いて」
 由梨亜はその声に含まれるあまりに悲痛な響きに胸をつかれた。彼女が抵抗を止めたのに勇気を得たのか、三鷹の声は少し力を帯びた。
「君が好きだ」
 その瞬間、由梨亜は息を呑んだ。
「三鷹さん―」
「黙って! 俺の話を聞くんだ」
 三鷹は更に強い口調で言い、由梨亜を抱く手にも力を込めた。
「君はいつか言ったね。こんなことは馬鹿げている。良識のある人間なら偽装結婚なんてそもそも考えつかないし、その話に乗ったりしないと」
 三鷹はここで息をついた。
「俺もそのとおりだと思う。俺たちの住む世界が違うとも君は言ったけれど、恐らく、それも真実だろう。由梨亜ちゃん、俺が生きてきた世界は、君のような純真な女の子が想像もできない信じられないようなところなんだよ。結婚なんて、愛のためにするものじゃない。ただ世間体を取り繕うために、後継者を得るために妻を迎え、器だけで中身のない空っぽの家庭を作る。それが当たり前の世界で俺は生まれ育った」
「―それは気の毒だとは思うけど、私には関係ない話だわ」
 由梨亜が言うと、三鷹はフと低く笑った。
 とても淋しげな―虚ろにも聞こえる笑い声だ。
「模擬披露宴の日は代役の花嫁を探しにきたんだ。金欲しさではなく、目的は偽装結婚の片棒を担いでくれそうな女の子を見つけるためだった。見も知らぬ女の子なら、後腐れがないのではないかと思ってね。金で片を付ける契約ともなれば、余計にすんなりと偽物の夫婦も止められるだろうと考えた」
 だが、そうはいかなかった。
 三鷹は殆ど聞き取れないほどの声で呟いた。
「流石に俺自身も当日は認めようとはしなかったけど、君との出逢いはひとめ惚れだったんだよ。チャペルで君が涙をみせたあの時、俺は君の涙を見て、ぐっときた。思わず衝動的に君を抱きしめてキスしてしまったんだ」
「そんなことを言われても、困るわ」
 多分、私も彼を好き。
 由梨亜はもう判っていた。でも、今、ここで自分の想いを彼に告げて、どうなるというのだろう? 彼がどれだけの資産家の息子か知れないが、彼自身の言うように由梨亜と三鷹の暮らしてきた世界は違いすぎる。