小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

偽装結婚~代理花嫁の恋~Ⅱ

INDEX|4ページ/8ページ|

次のページ前のページ
 

 由梨亜は玄関先で酒木さんと十五分ほど話した後、また自宅に帰った。今度は由梨亜自身の荷物を纏めねばならない。当初、広澤三鷹と取り交わした約束では、契約期間は半年から一年の間ということになっていた。だが、母が倒れ、状況は変わった。
 当初、三鷹との〝結婚生活〟を始めるに当たっての最大の難関は母を説き伏せることだった。もちろん、頼まれて偽装結婚をすることになったなどとは口が裂けても言えないから、一年ほどは会社から近いアパートで一人暮らしをしてみたいとか何とか苦しい言い訳をするつもりだったのだ。
 まあ、言ってみれば、母が緊急入院することによって、その難問は自然に解消した。ただし、この場合は〝結婚生活〟の期限が著しく短くなる。医師によれば、母は短くても二ヶ月、長ければ三ヶ月程度の入院が必要だという。
 つまり、その間がそのまま由梨亜の〝結婚〟継続期間になるわけだ。果たして、三鷹がそれについて、どう言うか?
 たかだか二ヶ月程度の偽装結婚に協力したからといって、二百万もの大金を払うとは思えない。もしかしたら、他に代役の花嫁を捜すと言い出すかもしれない。
 しかし、母が長期入院するとなれば、お金はないよりはあった方が良い。ましてや、この先、何がどうなるかさえ判らない状況なのだ。
 由梨亜は細々とした身の回りの品をバッグに詰め、再び家を出て鍵をしめた。
 この家ともしばらくはお別れだ。もっとも、一生戻らないというわけではない。ほんのしばらく留守にするだけなのだから、必要以上の感慨を感じる必要はないのだ。
 由梨亜は自分に言い聞かせ大きなボストンを二つ下げて、家を出た。流石にこの大荷物では自転車というわけにはゆかず、タクシーを頼んだ。まずはN病院で降り、母の荷物を置きがてら顔を見て、その後、三鷹から教えられたように駅前のマンションに行った。
 駅前の超高層マンションは十五階建てのモダンな建物である。外見はシティホテルのように瀟洒で、エントランスを入った内側も外見を裏切らない華麗さで、由梨亜の眼を瞠らせた。
 最上階までエレベーターで上がり、突き当たりの部屋を目指す。そこだけは同じ階の他の部屋よりも間取りも広く部屋数も多いらしい。陽当たりも良さそうである。
 その分だけ、やはり、家賃も高いのだろうと庶民的な発想をしてしまうのは仕方ない。何しろ小さな木造アパートと借家しか住んだことがないのだから。母子家庭の日々の暮らしは極めてつましいものだった。
 Nホテルの廊下で見かけたような毛足の長い紅い絨毯を踏みしめて歩く。もう、引き返せない。あの部屋に足を踏み入れれば、後戻りはできないのだ。
 部屋の前に立ち、深呼吸して気持ちを落ち着けてから、インターフォンを押した。
「由梨亜ちゃん?」
 すぐにインターフォン越しに声が聞こえ、施錠の外れる音がしたかと思うと、重々しい装飾の施された扉が開いた。
「こんにちは」
 何とも場違いな挨拶であると判っていたけれど、他に言いようがない。
「本当に来てくれたんだね」
 まるで由梨亜が来ないと思っていたような口ぶりに、少しだけムッとした。
「私は約束を破ったりはしません」
「ああ、そうだね。俺もそうは思ってたけど、まあ、契約内容が契約内容だから」
 どんな事情があるのかは知らないが、偽装結婚などという馬鹿げたことを考えつき、更にそのために大金をポンと出そうという発想は、やはり由梨亜とは違う世界の人間なのだろう。大体、独身の若い男がどこに勤めているかは知らないが、こんな超高級マンションに住めるほどの稼ぎがあるというのも怪しい。
 真面目な会社員などと言っていたけれど、あれも嘘かハッタリに違いない。大方は大金持ちで時間と暇を持て余し、親の金でのうのうと遊んで暮らしている坊ちゃんだろう。
「これからは、ここが君と俺の愛の巣」
 またしても思わせぶりな言葉を囁くのに、由梨亜は毅然とした表情で言った。
「そういうふざけた物の言い方は止めてください」
 と、三鷹はいかにも心外そうな顔をした。
「何で? どうせ一緒に暮らすのなら、楽しく同棲した方が良いんじゃない?」 
 由梨亜はコホンとわざとらしく咳払いした。
「同棲じゃなくて、共同生活です」
 どうも同棲という表現には男女の秘め事めいた関係を匂わせているようで、この場合はふさわしくない。
 三鷹は笑った。
「全っく、どこまでお堅いのか。別に同棲でも何でも良いだろ、一緒に暮らすことに変わりはないんだから」
「けじめは大切です」
 少しでも隙を見せて、この男につけいらせてはいけない。
「判った、判った。それよりも、その大荷物を降ろしたら? 別に何も持ってこなくて良い―裸で来てって言ったのに。服でも何でも必要な物があれば、買ってあげるよ」
 どうも言うことがいちいち嫌らしいというか、意味深なように思えるのは自分の考えすぎなのか?
 確かに、ずっと持っているには重すぎたので、由梨亜はボストンを降ろした。
「あなたからは私が約束を果たしたら、お金を頂くことになっています。それ以上のものを頂くわけにはいかないわ」
 三鷹は呆れたように鼻を鳴らし、やれやれというように両手をひろげた。それにしても、いちいちリアクションがオーバーな男だ。まるで外国人のような仕草をする。
「リアクションがいちいち大袈裟すぎませんか?」
 思ったままを言うと、三鷹は破顔した。
「これでも外国に数年いたからね」
「外国?」
 国外どころか、国内旅行さえろくにしたことのない自分とは何という違いだろう!
 この男は苦労知らずのお坊ちゃんなのだとつくづく思わずにはいられない。まあ、どうせ留学という名の下にさんざん羽目を外して遊びほうけていただけだろうが。
「イギリスとかですか?」
 興味を引かれて訊ねると、三鷹は嬉しげに話した。
「アメリカ、ニューヨークだよ」
「留学?」
「君はよほど俺を遊び人の放蕩息子に仕立て上げたいんだなぁ。まあ、留学もしてたけど、向こうの大学院を出てからは真面目に働いてたさ。だから最初に言っただろ、真面目な会社員だって」
「あなたの話はどうも信じられないもの」
 由梨亜がまた心情を吐露すると、三鷹はさも愉快そうに笑った。
「酷い言い草だ。まあ、そんなところが俺は気に入ったんだけどね」
「別に、あなたに気に入って貰う必要はありませんから」
「どこまで強気なんだか」
 三鷹は気を悪くする様子もなく、にこにこと笑っている。
 由梨亜は先にまずこの話をするべきだと切り出した。
「それよりも、先にお話ししなければならないことがあります」
 彼女は昨夜から今日にかけての出来事をかいつまんで話した。留守中に母が心臓発作を起こし、倒れてしまったこと。二、三ヶ月は入院するが、正しくはどれくらいになるか判らないこと。
 更に、母が退院後は偽装結婚を継続することは難しいだろうとも。
 三鷹は顔色一つ変えず、由梨亜の話に聞き入っている。
「それは大変だったね。君も愕いただろう」
 返ってきたのは、予想外の労りのこもった科白であった。
 愕いて顔を上げると、三鷹はソファに座り、長い足を優雅に組み、その上に頬杖をついている。何事かしきりに思案している風である。