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偽装結婚~代理花嫁の恋~Ⅱ

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 叔母さんと母は三つ違いなので、確か叔母さんは四十七歳のはずである。しかし、どういうわけか、五十歳の母よりも叔母さんの方が十歳も老けて見える。
 叔母さん夫婦には子どもがいなかった。加えて二十二歳で別れた父と結婚した母と異なり、叔母さんは三十歳を過ぎてから結婚した。孝幸叔父さんは叔母さんより五歳年長で、母よりも年上だ。結婚当初から叔父さんはいつもむっつりとして、子どもだった由梨亜にも近寄りがたい怖ろしい存在に見えた。
―あのまま結婚生活を続けていれば、身体も心もボロボロになっただろうね。私はあの時、お前のお父さんと別れて良かった。
 いつか母がポツリと洩らした科白が妙に現実感を伴って由梨亜に迫ってきた。
 夫の顔色を始終窺いながら、実の姉にすら連絡を取るのを躊躇しなければならない。叔母さんの気苦労が思いやれるというものだ。あの叔父さんとずっと一緒にいては、叔母さんが実年齢以上に老け込んで見えるのも仕方ないことなのかもしれない。
 眼の下にくっきりとした隈をこしらえた叔母さんは、何故かベッドで眠っている母よりも痛々しく不健康そうに見えた。
「それで、お母さんは」
 由梨亜が問うのに、叔母さんは頷いた。
「もう落ち着いたのよ。発見が早いから、大事にはならないでしょうって」
 思わず安堵の息が洩れたが、また別の心配もあった。
「発作が起きたのね」
 そう、と、叔母さんも沈痛な面持ちで頷いた。
「小さいものではあったそうだけど」
 それ以上は言わなかった。
 ついに来るべきものが来てしまった。由梨亜は唇を噛みしめ、母の寝顔を見つめた。
 いつ発作が起きてもおかしくないと医師からも言われていたのだが、何とかこれまでは薬で騙し騙し過ごしてきたのだ。担当医によれば、発作を繰り返す度に心臓の全体的な状態は悪くなるだろうと宣告されていた。
 母の枕元には点滴と心電図が配置され、静かな病室にピッピッとあの不安をいや増すような独特の心電図音が聞こえている。
 その物々しい様子が、とりあえず一山は超えたけれど、先行きがけして生やさしいものではないと物語っていた。
 やはり、会社を辞めさせられたなんて言えるはずがない。ましてや、見も知らぬ軽薄そうな男の頼みで偽装結婚するなんて。
 真相を知れば、それこそ母の心臓は衝撃のあまり、止まってしまうだろう。
 安らかに眠ってはいても、やはり母の顔色はすごぶる悪かった。血の気が殆どなく、蝋のように真っ白だ。その顔がごく自然に、愛媛の祖母の死に顔と重なった。娘二人きりだった愛媛の祖母の家には、今は誰も住む人がおらず、荒れるに任せている。
 それでも、母は一年に一度は愛媛に戻り、まだ無人の家にある仏壇を拝み、近くの一族の墓詣でを欠かさなかった。母の身体が心配なので、大抵は由梨亜も同行している。
 母はどちらかといえば祖母似で、儚げな美人である。叔母は由梨亜が顔も見たことのない祖父に似ているといい、姉妹はあまり似てはいない。
 今、蒼白い顔で点滴と心電図の管に繋がれた母は、朧な記憶にある祖母の旅立ったときの顔とそっくりに思える。
 ふいに、母がいつかはいなくなるのだ―という厳しい現実が由梨亜の前に立ちはだかった。そう、今も、このときを乗り越えたとしても、この先、幸いにして天寿をまっとうしたとしても、母が由梨亜よりも前にいなくなることは変えようのない事実なのだ。
 お母さんがいなくなったら、私は一人ぼっちになるんだわ。
 突如として浮かび上がってきた想いは、由梨亜を震撼とさせた。
―女は死に場所を作っておかないと駄目だよ。
 母が由梨亜に強く結婚を勧める理由がひしひしと身に迫った。このまま結婚もせずに独身を貫き、やがて母までもが逝けば、由梨亜は本当に一人になってしまうのだ。
 母がいなくなったとしても、どれだけ辛くとも、誰にも身を預けて泣くこともできない。
 離婚して良かったと言った母は、同時に、涙を見せる人、弱音を吐く人がいないのは辛かったとも言った。あれは恐らく母がこれまで過ごしてきた人生の真実に違いない。
 自由を手にする代わりに、孤独と淋しさに耐えなければならないとは、女の人生とは何と儚く理不尽なものだろう。
 悦子叔母さんのように、結婚生活は破綻していなくても、気難しい夫に怯えて暮らさなければならない―そんな人生もまた悲惨だ。
 理想的なのは、やはり夫婦が良いときも悪いときも互いに助け合い、常に敬意と優しさをもって人生を歩める関係だろう。
 しかし、そんな理想的な関係を築けるだなんて、結婚前に判るはずもない。誰でもこの男ならと思い、未来に明るい希望を託して結婚するはずだ。悦子叔母さんでさえ、結婚するまでは夫がここまで手に負えない男だとは思わなかっただろう。
 そう考えてゆけば、たとえ偽装とはいえ、結婚生活というものは一度は経験してみるのも悪くはないかもしれない。しかも、あの広澤三鷹という男は、由梨亜がちゃんと約束を果たせば二百万も支払うと言っているのだ。
 由梨亜と入れ替わりに、叔母さんは帰っていった。願わくば、叔母さんが叔父さんに嫌みを言われたりすることのないようにと祈らずにはいられなかった。
 それから母の側につきっきりで、いつしか眠ってしまったようだった。朝方、誰かがか細い声で呼んでいるような気がして、由梨亜はハッと目覚めた。
「お母さん?」
 相変わらず、心電図の音が室内に響いている。由梨亜はまだ眠気の残る眼をまたたかせ、母の貌に焦点を合わせた。
「済まないね、仕事帰りで疲れているだろうに」
 自分の身よりも由梨亜を気遣う母に、胸が熱くなった。
「良いのよ。お母さんこそ、大変だったわね。でも、峠は越えたそうだから」
 力づけるように微笑むと、母は眉根を寄せた。
「発作が起きたんだね?」
 質問形ではあるが、確認にすぎないことは判っていた。幾ら隠そうとしても、自分の身体や健康は当人が最も理解しているものだ。
 由梨亜は頷いた。
「そうらしいの。私もまだ悦子叔母さんから聞いただけで、ドクターの話を聞いてないんだけど」
「えっちゃんにも申し訳ないことをした。また、孝幸さんがあの子に辛く当たってなければ良いんだけどねぇ」
「お母さん、今は他人(ひと)のことは考えないで。元気になることだけを考えなくちゃ」
「そうだね。由梨亜のためにも、まだまだ元気で生きていたいけど、後どれくらい生きられるかどうか。由梨亜、そんなことになる前に、ちゃんと死に場所を作らなくちゃ駄目だよ。私にはまだ、由梨亜がいる。だけど、もし私がいなくなったら、お前は一人になってしまうだろう。私はそう思うと、死のうに死にきれないよ」
「なにを気弱なこと言って。まだ五十歳でしょ。今の時代、その歳なら、再婚だってする人は大勢いるのに、死ぬなんて話が飛躍しすぎ」
 母は気弱そうな笑みを浮かべた。
「冗談じゃない。私はもう二度と結婚なんてしないよ。由梨亜には悪いけれど、お前のお父さんと六年間連れ添って、男にも結婚生活にももうほとほと嫌気が差してるからね」
 由梨亜は笑った。
「判ったわ。とにかく、もう少し眠って。今は安静が必要よ。私を一人にしないためにも、早く良くなって長生きしてくれなきゃ」