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偽装結婚~代理花嫁の恋~Ⅰ

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 式の最中にいきなり予定にもないキスを仕掛けてくるような軽薄男じゃないの。そんな男に胸をときめかせるなんて。
 自分に言い聞かせる。
 終わりにデザートとコーヒーが運ばれてきて、模擬披露宴は終了となった。
 そこで由梨亜と三鷹は従業員に促され、退席した。
「今日の花嫁花婿を盛大な拍手でお見送りお願いします」
 ホテル専属の司会者がひときわ華やかな声を上げ、割れるような拍手が起こった。
 その後、ブライダル担当の田中氏が現れ、見学者全員にNホテルのブライダルに関するパンフレットが配られる。
「本日は皆さま、お忙しい中をわざわざ当ホテルが主催する模擬披露宴にお越し頂き、ありがとうございます。先ほどご覧頂きました模擬披露宴は、ごく標準的なプランで、費用はすべてのサービスが込みで百万円となっており―」
 田中氏の宣伝はまだまだ続きそうである。
 背後で重厚な扉が音を立てて閉まり、由梨亜はやっと大きな息を吐いた。
「何とか無事、終わったね」
 三鷹が茶目っ気たっぷりにウィンクしてきて、由梨亜は思わずカッとなった。
「何であんなことしたの?」
 チャベルでの突然のキスを思い出し、由梨亜は頬を染めた。触れるだけのキス。でも、少し強引で情熱的だった。三鷹の唇はかすかに煙草の匂いがして、しんと冷たくて―。
 って、そんな問題じゃない、私ってば何を考えているの?
 由梨亜は首を振り、眼に力を込めて男を見た。へらへらと笑っていてどこまでも調子がよい癖に、不思議と存在感のある妙な男だ。
 人は誰でも三鷹の上辺だけにごまかされてしまうだろうが、この広澤三鷹という男は軽薄な外見の下に何か別の素顔を隠し持っているような気がしてならなかった。事実、由梨亜が式の途中で聖母像を見て哀しみに襲われたときも、三鷹はいち早く気づいて、どうしたのかと訊ねてきた。
 良い加減なお調子者と思いきや、意外に気遣いのできる思慮深さを持っている。こうして二人だけで対峙していると、明らかに貫禄負けしそうだ。
「あんなこと?」
 意味ありげな視線からは、由梨亜の言いたいことなど判っているだろうに、わざと空惚(そらとぼ)けているのだと知れる。
 由梨亜はつい、叫んでしまった。
「私にキスしたでしょ。あんなことは事前の打ち合わせでは聞かされてなかったわ」
 ああ、と、三鷹は事もなげに言う。
「確かに、俺も聞いちゃなかったけどね」
「じゃあ、何であんなことしたのよ?」
 ますますもって腹の立つ男である。由梨亜が瞳に怒りを滲ませると、三鷹が笑い出した。
「別にあれくらい、たいしたことじゃないだろ。あんなの、子どものお遊び程度にも入らない」
「何ですって? わ、私にはファースト・キスだったのよ」
 笑っていた三鷹が肩を竦めた。
「まさか。君、もう二十七だろ? その歳でファースト・キスなんて、あり得ない」
 三鷹はふっと真顔になり、由梨亜にぐっと顔を近づけた。
「じゃあ、君はもしかして、バージン?」
「なっ」
 あまりに不躾な質問に、由梨亜は一瞬固まった。少しく後、バッチーンと小気味よい音が響く。
「あなたみたいにデリカシーのない男なんて、信じられない。最低」
 由梨亜はもう二度と見たくもないというように三鷹から顔を背け、一人で一階の控え室に戻った。そこに行けば、担当のヘアメークが待っているはず。この重い打ち掛けを脱いで今日の報酬を受け取れば、このいけ好かない男とも縁が切れる。少なくとも、そのときは信じていた。
「参ったな」
 一方、三鷹は由梨亜が去った後、彼女に打たれたばかりの頬を押さえ呟いた。
 笑ったかと思えば、ふいに涙ぐんだり、そうか思えば、怒る。彼女といると、次に何が起こるか、まるで予測がつかない。くるくると万華鏡のように変わる表情を見ていると、飽きないどころか楽しい。
 三鷹がこれまで付き合ってきた女たちは皆、世間でいえば一定以上の水準を満たしていた。美貌は言うに及ばず、プロポーションから知的水準さえ満たしていた。
 だが、あの娘―城崎由梨亜はどうだろう。確かに頭は悪くはなそうだが、彼が今まで連れ歩いていた女のタイプとは明らかに違う。
 モデル並みの体型というわけでもなく、すごぶるつきの美人というわけでもない。もちろん、花嫁の装いをした彼女は十分に可愛らしく魅力的で、年相応の色香もある。標準以上であることは認めるが、かといって三鷹が好むタイプ―いわゆる最上級の女では間違ってもない。
「まさに適役といったところかな」
 三鷹は楽しげに言い、一人で頷いた。
 それに、彼女としばらく過ごすのも悪くはない―どころか、楽しそうだ。あのとおり、彼の予想のつかない行動の連続で、愉しませてくれるに違いない。
 
 由梨亜は一階の控え室に戻り、皐月というヘアメーク女性に手伝って貰って着替えを済ませた。
「今日はお疲れさまでした」
 皐月が言うと、由梨亜は微笑んだ。
「こちらこそ、お世話になりました。ええと、後はロビーで田中さんにお逢いして、今日の謝礼を頂いて帰れば良いんですよね」
「多分、そうだと思いますよ。でも、城崎さん、本当に素敵でしたよ。広澤さんともよくお似合いでしたもの」
「止めてください!」
 我ながら愕くほどの大きな声が出てしまい、由梨亜は口を押さえた。
「ごめんなさい。大きな声を出したりして。でも、そんな話はしないで下さい。私はああいう類の男性は好みじゃないんです」
「そう―ですか? 広澤さんって、素敵な方ですよ?」
 皐月は納得しかねるようではあったが、流石に男に対する価値観について由梨亜と議論する気はないようであった。
 由梨亜が控え室を出ると、何と廊下には、あの男が立っていた。背を壁にもたれさせ、長い足を組んだ格好は悔しいが確かにサマになっている。ドラマか映画のワンシーンのようだ。
「誰が君の好みじゃないって? そんな大きな声で叫んだら、部屋の外にまで聞こえるよ」
 急に三鷹が口を開き、由梨亜は思わずピクリと身を震わせた。
「そんなこと、どうでも良いでしょ。あなたには関係ない話でしょう」
 つんと顎を逸らし、わざと無視するように前を素通りしようとしたところを背後から腕を掴まれた。
「な、何?」
 由梨亜は慌てて手を引き抜こうとしたが、逞しい手は絡みついたように離れない。
「この手を放さなければ、大声で人を呼ぶわよ」
「だって、君はこの手を放したら、これ幸いとばかりに俺の前から逃げ出すつもりだろう?」
 当たり前じゃないのと言いたい衝動を堪え、由梨亜は三鷹を見た。
「こんなことをして、一体、何のつもり?」
 三鷹が淡い微笑を湛えたまま、静かな声音で言った。
「とりあえず俺の話を聞いて欲しい」
「あなたの話を聞くですって? 何で私があなたの話を―」
 三鷹は由梨亜は最後まで言わせなかった。男にしては長くて細い指が由梨亜の唇にそっと押し当てられたからだ。
「とにかく話をしよう。まずは、それからだ」
 三鷹もまた当然ながら紋付き羽織ではなく、普段着に戻っている。薄手のフードつきのトレーナーは淡いブルー、長い足を包んでいるのはいかにもはき古したらしいジーンズだ。やはり、この男は定職を持たないフリーターか暇を持て余しているホストに違いない。