偽装結婚~代理花嫁の恋~Ⅰ
教訓。やたらと調子の良いことばかり口にする男には近寄るべからず。
「あ、こちらは今日の花嫁さん役の城崎由梨亜さん。で、あっちが新郎役の広(ひろ)澤(さわ)三鷹(みたか)さんです」
メークさんが向かい合った二人を交互に見ながら紹介する。
「うわあー、ラッキーですよね。皐月(さつき)さん、今日の花嫁さんがこんなに可愛い子だなんて、何でもっと早くに教えてくれなかったんですか?」
何と、この男、ヘアメークさんを名前でしかにも親しげに馴れ馴れしく呼んでいる。
教訓その二。女性と見れば、親しげに名前で話しかける愛想の良すぎる男には深入りするべからず。
由梨亜は冷めた眼で美しすぎるほど美しい男を観察した。
この愛想の良さ、軽薄すぎるほどのなれなれしさから女の心をくすぐる会話テクニック、もしや、こいつの正体はホストか?
「よろしく、由梨亜ちゃん」
おおー、何と初対面ですぐに由梨亜ちゃんときたか。この男、やっぱりホストだな。
お生憎さま、この私を引っかけようなんて百年早いよ。それに、今は失業中で、ホストに入れあげる金なんて、どこにもないんだからね。
由梨亜は無表情に顎を引いた。
「よろしくお願いします」
顔合わせはそれで終わり、二人はすぐに式場となるチャベルに入った。
けして広いとはいえない場内には、既に模擬披露宴を見ようと集まってきた参列者が座っている。今日の模擬披露宴を見学にきた人たちである。
彼等は当然ながら、皆、カップルばかりだ。いずれも、近い中に挙式を控えた正真正銘の恋人たちなのだ。
憧れを宿した表情で頬を染めて由梨亜を眺める若い女性たちの顔は幸せそうに輝いている。彼女たちの視線を意識した途端、由梨亜の胸をツキリと鋭い痛みが走った。
彼女たちには本物の彼氏がちゃんといて、紛い物ではない本当の結婚式が待っている。それなのに、私はこうしてすべてが嘘で塗り固められた偽物の結婚式に出るしかない、しかも、わずかばかりの金儲けのために。
偽物の花婿と腕を組み、深紅のバージンロードをゆっくりと進んでゆく。
祭壇の前に立つと、小柄な白髪の牧師が控えていた。
「汝らはいかなるときも共に敬い合い、助け合うことを今、ここに誓いますか?」
お決まりの聖書の誓言を牧師が口にし、同意を求めるようにまず新郎の方を見る。
「はい」
広澤三鷹という青年は淀みなく、はっきりと応えた。その堂々とした物腰には、先刻のホストでは? と疑いたくなるような軽薄さは微塵もない。
「あなたもまた誓いますか?」
今度は牧師は花嫁役の由梨亜に問いかける。挙式の流れとしては、当然のことだ。
はい、と言いかけて、由梨亜は思わず躊躇った。
牧師の向こうには、ステンドガラス仕様になった聖母マリアが描かれている。
由梨亜自身はさほどでもないけれど、母は個人的にキリスト教を信仰している。熱心なカトリックだ。由梨亜も幼い頃は週に一度、よく母に連れられて近くの教会まで礼拝に出かけていた。
なので、由梨亜の名前も実は聖母マリアにちなんだものだと、母が笑いながら教えてくれたこともある。
幼い御子イエス・キリストをその腕に抱き、やわらかな微笑を湛えている聖母の表情はどこか哀しげにも見える。やがて、愛し子を見舞うことになる哀しい運命を既にそのときから予感していたのだろうか。
今まで特別な感慨を持って聖母子像を眺めたことなどなかった。が、今、改めて見ていると、我が身がしでかしていることがいかにも馬鹿げたふるまいに思えてくる。
恐らく由梨亜の考えの方がおかしいのだ。模擬披露宴で代役の花嫁を務めるなんて、別に何ということはない。ただ、小学生が学芸会でお芝居の役を演じるのと同じではないか。
または大人であれば、金を得るための仕事だと割り切れば良いだけの話なのだ。
「新婦は誓いますか?」
心もち牧師の声が大きくなり、由梨亜はハッと我に返った。ふと視線を感じると、長身の男―広澤三鷹が物問いたげな眼で自分を見下ろしている。
「どうした、緊張したの? 気分でも悪くなった?」
三鷹が小声で囁くのに、由梨亜は弱々しい笑みを浮かべた。
「少しだけ」
応える間にも、聖母の哀しげな微笑が瞼に灼きついて離れず、思わず滲んだ涙がひと滴だけ頬を流れ落ちた。
思わず眼を潤ませた由梨亜を、三鷹が形の良い眼を見開いて見つめている。
刹那、由梨亜は自分に起こった出来事が俄には信じられなかった。グッと強い力で抱き寄せられたかと思うと、三鷹に唇を塞がれたのだ。
狼狽えて渾身の力で逞しい胸を押し返そうしたが、屈強な身体はビクともしない。
花婿花嫁の情熱的なキスに、参列者から低いどよめきが起こった。キスそのものはすぐに終わった。だが、由梨亜はそれどころではなかった。
パニック状態と烈しい衝撃の次には、途方もない怒りが湧き上がってきた。
あの男、一体、何を考えているのか。
腹立ち心には波立っていたが、披露宴が終わるまでは他人の眼があるため、文句の一つも言えない。
式が終わり、再び三鷹と腕を組んでチャペルの短い階段を下りてくると、下で待ち受けていた参列客―この場合は模擬なので正確にいうと見学者たち―から、純白の薔薇の花びが一斉に二人に向かって降り注いだ。
挙式の後は披露宴に移り、最上段のひな壇に並んで、参列客の祝福を受ける。その間にお仕着せ姿の従業員たちが次々とフランスのコース料理を運んできて、新婦役の由梨亜は二度、お色直しに立てった。
一度目はこの季節に艶やかに花開く紫陽花を彷彿とさせるような深いブルーのカクテルドレス。二度目は女性であれば誰でも一度は着てみたいと憧れる色鮮やかな打ち掛け姿だ。金糸銀糸で華やかな刺繍が施された豪奢な打ち掛けは、日本髪姿の由梨亜によく似合った。
ちなみに新郎のお色直しは最後に一度だけ、花嫁に合わせてやはり日本の伝統的な婚礼衣装である紋付き羽織になったときだ。
ドレスから着物になる前に新郎新婦が列席者の各テーブルを回り、キャンドルに明かりをつけるキャンドルサービスが行われる。最早、バブルの頃からの披露宴の定番儀式だ。
キャンドルサービスが始まったと同時に、場内に音楽が流れ始める。
そのメロディを聞くやいなや、由梨亜はハッとした。由梨亜の大好きなチャン・グンソクの出演する〝美男ですよ〟の中で男装の美少女パク・シネが歌う〝Lovely day〟である。由梨亜のお気に入りの曲で、よく会社から戻った後のくつろぎタイムに聴いている。
歌うパク・シネのイメージそのままに愛らしい旋律に合わせて各々のテーブルを回っていると、ふと、これが偽物の結婚式ではなく本物のような錯覚に陥りそうになる。
華やかにリボンで飾り付けられたライターを持つ由梨亜の両手の上にそっと三鷹の手が重ねられている。その事実に気づき、今更ながらに、由梨亜は頬が熱くなった。心臓の音まで煩くなってきて、由梨亜の背中にぴったりと逞しい長身を寄せている彼に、その鼓動が聞こえてしまうのではないかと不安になったほどである。
馬鹿らしい、止めなさいと、由梨亜は自分を叱った。
作品名:偽装結婚~代理花嫁の恋~Ⅰ 作家名:東 めぐみ