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偽装結婚~代理花嫁の恋~Ⅰ

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 というのも、S物産の名前もさることながら、去年の終わりに社長の一人息子が海外支社から帰国、老齢の大叔父に代わって急遽、副社長の座についた。その息子は何でも伝説の御曹司らしく、東大の法科を卒業し、アメリカの有名大学の大学院で経営学を修めてから、そのままニューヨーク支社に入り活躍していたという。
 アメリカ撤退も時間の問題といわれていた支社の慢性的な経営不振を立て直し、見事に赤地会計を黒地会計に転じさせた。モデル並みのルックスを持ち、身長は180センチ、体重は六十キロと見事な体躯で顔は福山雅治似だとか、何とか。
 まあ、そこまで揃った御曹司となれば、伝説に嫌が上にも尾ひれがつくのも納得はいく。
 瀕死の支社を建て直したということで、〝ミラクル・プリンス〟と呼ばれ、今回は本社の危機を救うために社長の懇願により帰国が決まった。
 どうも、その伝説は嘘ではなかったようだ。帰国した御曹司は副社長の座につくやいなや、経営不振を打開する方策を次々と編み出し、実行に移していった。
―他人の恨みを買えば、回り回って、自分に返ってくる。強引な人員削減はむしろ長期的に見て、会社のためにはならないでしょう。
 果敢にも、彼は社長に直談判したそうだ。
 彼は基本的に社員の首切りには反対だというが、父親である社長がこれには断固として頷かないので、いかんともしがたかった。
 しかし、若き副社長は手腕を余すところなく発揮し、彼が本社に入り本格的な経営悪化止めるために乗り出してから、わずか数ヶ月で経営は徐々にではあるが、持ち直してきているという。このままでいけば、長らく続いた赤字から黒字に転じるのは今年の中だろう噂されていた。まさに、辣腕のミラクル・プリンスといえよう。
 社員の首切りに反対するほどだから、人情に厚い副社長かと思えば、意外にそうでもない。仕事にかけてはどこまでも冷徹で、時には信じられないほど非情になることもあるという。
 日本だけでなく海外にも名の知れたS物産の副社長にして後継者、しかもモデル並のプロポーションと俳優並みのルックスを併せ持つ。そのことがこの奇蹟のプリンスをより華麗な伝説の男にしている。多くの美女たちと関係を持ち、女性との華やかな噂が絶えない。
―城崎さんも気の毒だったわね。どうも社長にミラクル・プリンスが進言したらくして、社員の首切りもひとまずもう見合わせることになったそうよ。社長も今までは渋っていたけど、プリンスのお陰で悪化の一途だった経営状態も少しずつ持ち直してきてるでしょう。だから、仕方なしにプリンスの進言を聞き入れることにしたらしいわ。
 残念だったわね。あと少し踏ん張っていれば、辞めなくて済んだのに。
 かつての同僚だった女は慰めるように言ってくれたが、その口調には何となくかすかな優越感が滲んでいたのは由梨亜のひがみだろうか。
 私は切り捨てられなかったけれど、あなたは役立たずの烙印を押された上に切り棄てられてしまったのね、可哀想に。
 暗にそう言われているようで、由梨亜は何とも不愉快な気分になったものだ。
 まあ、会社そのものに恨みがあるわけではないが、やはり、そこまで言われて良い気がするはずもない。お人好しの由梨亜にもなけなしの意地と誇りがある。
―それは結構なことね。でも、今更、会社の内情なんてわざわざ教えてくれなくて結構よ。私は切り捨てられた人間だし、あの会社とは何の関係もないんだから。
 我ながら何とも嫌な言い方だと思ったけれど、どうしても止まらなかった。案の定、元同僚は露骨に鼻白んだ顔をして、〝そ、それもそうね〟と早々に店を出ていった。
 別に、あの同僚が由梨亜に三行半を突きつけたわけではないのだから、あの女性に恨み辛みをぶつけても仕方ないのにと思う傍ら、訳知り顔で同情ぶった科白を口にされるのは耐えられなかった。
 どうせ会社を建て直すのなら、もう少し早く帰ってくれば良いのにと、果ては顔を見たこともない伝説のプリンスにまで腹立たしい気持ちを抱く有様で、由梨亜は自分という人間が余計に嫌になった。
 想いに沈んでいた由梨亜の耳を、メークの女性の華やいだ声が打った。
「城崎さん、とっても素敵。それこそ本物の花嫁さんみたいですよ」
 ハッと我に返ると、正面の大きな鏡にメークの女性の満面の笑みが映っている。
 ここは花嫁の控え室だ。メークは美容室の方でしたが、着替えはこちらに移動して行った。ドレスは着付け担当の女性が着せてくれたのだが、メークさんも殆ど側についていて、色々と手伝った。
 着付けをしてくれた四十代ほどの女性はひととおり花嫁の支度が終わると、控え室を出ていった。今日の世話役兼介添えは、このメークさんが行ってくれるという。
「もう、このまま本当に結婚しちゃっても良いくらいですよね」
 年齢を訊いたわけではないが、メークさんは恐らく由梨亜よりは若いのではないか。
 まだ二十代前半らしいのに、こうして自分一人で良い仕事をして、立派に生きている。
 それに比べて、自分は五年も勤めた会社をクビになった。何という違いだろう。
 由梨亜は急に自分が途方もなく惨めに思えた。自分には身につけた技術も何もないのだ。だから、会社を辞めさせられた途端に、こんな風に模擬披露宴の新婦役をやる羽目になる。
 これが悪いことだとは思わないが、こんなものは所詮、誰にでもできる仕事だ。まあ、これを仕事といえるならばだが。
「さ、行きましょう。花婿さんもお待ちかねですよ」
 馬鹿らしい。本物の披露宴でもあるまいに、何が花婿さんがお待ちかねです、だ。恐らく、新郎役の男性だって、そこら辺のフリーターか何か、ろくに仕事にありつけない暇な男に違いないのだ。
 判りきったことを真顔で言うメーク女性に少し腹を立て、由梨亜は彼女の後に続いた。蒼い深海をイメージさせる毛足の長い絨毯をかなり歩いた頃、とある扉の前で止まった。
「披露宴のできる大広間はこちらですが、チャペルは二階になるんです」
 そこで、改めて由梨亜は思った。
 そうなのだ、今日は披露宴だけでなく、式の方もやるのだと、あの田中氏が話していったけ。
 生まれて初めてのウェディングドレスを纏った記念すべき日が何とすべて紛いものだとは! 偽物の結婚式、偽りの披露宴。
 メイクさんがいっそう明るい声を上げる。
「あっ、広澤さん。来ましたよ、今日の花嫁さん」
 二階のエレベーターを降りたすぐの場所に、新郎役の男性が待っていた。
 見上げるほどの長身にすっきりと引き締まった身体は運動か何かで鍛えているのだろうか。ほどよく陽に灼けて精悍な印象を与えながらも、優美さを失っていない。
 こんな美男(イケメン)がこの世の中にはいるのね。
 由梨亜はただ茫然と男に見惚(みと)れているしかなかった。絶世の美男子なんて、今や死語に等しいかもしれないけれど、とにかく眼前の男は危険すぎるほど美しい男だった。
 男の名前は広澤というらしい。どこかで聞いたことのあるような名字ではあるが、けして珍しいものではないから、それも仕方ないだろう。
「へぇ、凄げぇ、可愛い」
 男が由梨亜を見て、いささか―かなり大仰にも聞こえる賛辞を口にしたので、由梨亜の興奮もすっと冷めた。