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偽装結婚~代理花嫁の恋~Ⅰ

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 母の病が判った時、由梨亜はまだ高校生だった。だから、すぐに仕事を辞めるわけにもいかず、仕事の量を減らして貰うことで何とか乗り切った。でも、それにはやはり正社員として雇うことはできないからと会社からいわれ、やむなくパート勤務に切り替えたのだ。
 そして、由梨亜が大学を卒業と同時に、母は仕事を辞めた。由梨亜は現在、母と共に小さな家に住んでいるが、大学もそこから通った。もちろん、家といっても、借家である。小さなアパートから築十五年の小さな住宅に引っ越してきたのは、由梨亜が中二のときのことだ。
 狭いながらも庭がついており、前の持ち主が丹精していたと見え、四季の花々が植わっている。大学を卒業した由梨亜が今度は働いて家計を支え、母は家で食事や洗濯を担当することになった。
 駄目だ、やはり、母には会社をクビになったことは言えない。
 今は心臓の方は落ち着いているけれど、できるだけ精神的にも負担をかけない方が良いと医師も言っていたではないか。
―別に子どもじゃないんだし、そんなたいそうな病気でもないんだから。
 渋る母の毎月の定期検診についていったのは、つい先月のことだ。
―まあ、まだ五十歳で体力もあるし、特に悪化もしていませんから、急に大きな発作を起こすということもないでしょうが、なるべく心を落ち着けて静かに暮らすことが大切ですね。
 まだ若い医師は銀縁めがねの奥から細い眼で由梨亜を見つめながら淡々と告げた。
 由梨亜は小さく首を振り、改めて拾ったばかりの紙切れを見つめる。
 ここには模擬披露宴の代役を務めた際の報酬は書かれていない。だが、収入はないよりはある方が良いだろう。何しろ、今や由梨亜が稼いでこなければならない立場なのだから。
 いつしか、由梨亜は手のひらの紙片を握りしめていることにも気づかなかった。

★A women meets a man ★
 
 鏡の中の自分はまるで別人だ。由梨亜は心もち小首を傾げ、気取って微笑んでみる。
 純白のウェディングドレスは大胆に肩を見せるデザインで、スカートは長くトレーンを引いている。ふんわりと白い薔薇の花が開いたようなスカートは上にやはり白のチュールが何層にも重なっており、所々に真珠が縫い付けられていた。
 素敵。
 由梨亜はホテル専属のヘアメークの女性によって、まるで別人のように変身していた。短い髪はロングのウイッグで憧れのロングヘアに変わり、右横で一つに緩く編んだ髪にも小さな真珠が無数に飾られている。頭上に輝くのは品の良い繊細なティアラ。
 私って、こんな眼が大きかったかしら?
 いつもは細いと気にしている一重の眼が今日は二倍以上に大きく見えるのは、きっと特別な花嫁メークのせいに違いない。
 こんなに綺麗にして貰えるのなら、模擬披露宴の花嫁役も悪いものではないかもしれない。
 由梨亜は一週間前、面接を受けたときのことを思い出して、知らず顔を顰めていた。
 あれから彼女はすぐにNホテルの担当者だという田中という人物に連絡を取った。翌日に面接を受けにいくと、ロビーで中年の男性が待ち受けていた。
 中肉中背で至って平凡な印象を与える男ではあったが、お世辞にも愛想が良いとか感じが良いとはいえない。
 相手は由梨亜をロビーの片隅にあるテーブル席に連れてゆき、向かい合う形で座った。
―Nホテル ブライダル企画担当 田中義之
 差し出された名刺に印刷された文字を眺めていると、田中という男はさほど暑くもないのに、黒スーツのポケットから白いハンカチを取り出し、しきりに汗を拭った。
―当方としては、もう少し応募者を見込んでいたんですがねぇ。このご時世だからかどうか判らないんですが、応募者も少なくて。
 田中氏によれば、新郎役には三人の応募があったようだが、肝心の新婦役は目下、由梨亜一人だという。
―仕方ないから、どこかのプロダクションに電話してプロのモデルさんでも頼もうかとまで考えていたんですけどね。
 それから田中氏は由梨亜の用意してきた履歴書と由梨亜をせわしなく交互に見てから、あからさまな落胆の溜息をついた。
―確かに城崎さんは二十七歳だから、当社の応募基準を満たしてはいますが―。
 後は由梨亜の顔をまじまじと見つめ、言葉をうやむやに濁した。
 こういう反応は慣れているので、由梨亜は小さく肩を竦めた。
―ルックスがいまいちってことですね?
―い、いや。別にそういうことでは。
 田中氏は更に暑そうに額の汗を拭き、細い眼をしきりにパチパチとさせた。
―いや、とにもかくにも一人でも応募者があったんで、こっちとしては助かりましたよ。
 そのひと言が採用決定を告げるものだとは、由梨亜にも判った。
 それはそうだろう。プロのモデルを頼めば、素人を使うよりは格段に謝礼がかかる。少々のことには眼を瞑って、由梨亜を採用した田中氏の心情も判らないではなかった。
 そのときの話では既に新郎役は採用決定済みの男性がいるといい、由梨亜にも田中氏から改めて採用決定がきちんと伝えられた。
 それから一週間が経った。
 指定された時間にNホテルのロビーに行くと、田中氏が待ち受けていて、ヘアメークを担当するという若い女性を紹介された。それからすぐに美容室へ行き、準備に入る。所要時間はざっと一時間半。たったそれだけの時間で、ヘアメークの女性は由梨亜を冴えない二十七歳の女から、初々しくも艶めかしく美しい花嫁へと作り替えてしまった。まさに、魔法か神業としか言いようがない。
 この一週間、由梨亜は単発で見つけた他のバイトをこなしていた。コンビニのレジ打ちである。正直、会社からも近くて、S物産の社員はここによく昼食を買いにくるので、できれば避けたかった。しかし、この仕事以外に、すぐに職にありつけるバイトが見つからなかったのだ。
 何しろ、日がな自宅にいては、母に怪しまれる。当初はネットカフェで時間を潰すことも考えたが、そんな時間とお金を無駄にすることよりは、てっとり早く働いた方がはるかに有意義だと気づいたのである。
 由梨亜の不安は当たった。コンビニで働き始めた三日目、会社の元同僚―総務部の女子社員が後輩の女の子たちと弁当を買いにきたのだ。
 最初、お仕着せのコンビニ制服を着た由梨亜を相手はまじまじと見つめた。その顔には信じられないと書いてある。
 さほど親しい間柄ではなかったけれど、同期入社だということで、社内で顔を合わせれば挨拶はするし、たまに立ち止まって短い話をすることもあった。
―まさか、城崎さん?
 名を呼ばれ、由梨亜は穴があれば、すぐにでも入りたい気持ちになった。
 S物産といえば、この関西の小さな地方都市でも名の知れた老舗企業だ。地元で育った人間ならば、就職希望先候補として考えるベスト5には必ず入っているといわれている。
 近年の経営悪化にも拘わらず、リクルート学生からの人気と支持は衰えてはいない。