エイユウの話 ~春~
しかし、一向にジャックが捕まらず、クルガルの体力を消耗させるばかりである。いちいち追いかけるのは無駄と踏んだキースは、クルガルに次の指示を出す。
「クール、格子水(チェス)!」
指示に従い、クルガルはしなやかに身を翻すと、勢いよく地面に着地する。そこで低めの高音という不思議な音域で、キィンと吼えた。すると地面から格子状に水が噴出し、ジャックの逃げ幅をせばめる。地の闘技場に敷かれた黄色の砂が、噴き上げられて宙を舞った。
「うわ!」
足を付くはずだった位置の少し手前から噴出した洪水に、ジャックは足をすくわれた。そのまま倒れこむ。出そうとしていた土陣(どじん)が手元を離れ、その紙をクルガルが踏みつけた。彼女は再び身を低くしてキィと唸る。今にも飛び掛りそうな体制で、落とされたジャックの足をもう一方の前足で押さえた。
あっという間の結末。誰が見ても、この試合は終わりだった。
「しょ、勝者、魔禍の喚使!」
自分も傷つかず、相手も傷つけない軽やかな彼の試合に、彼が苛められっこだということも忘れ、観衆から拍手が沸いた。キースはくすぐったい感覚で、闘技場を後にする。試合に勝ったときは、いつも彼はそんな不思議な感覚を味わっているのだ。
選手専用路を通り、ラジィといたところに戻った。が、彼女の姿はすでに無く、高々と上げる緑の導師の手に、「緑の魔女(みどり・の・まじょ)」と書かれたボールが握られているのに気付く。どうやら次の試合は彼女となったらしい。
ちなみに選手専用路は行きと帰りで道が異なる。同じにしていたところ、前の試合の選手と次の試合の選手が喧嘩をして大変になった事があるらしく、以来別々となっているのだ。
はらはらとキースが見守る中、地の導師が高々と手を上げた。
作品名:エイユウの話 ~春~ 作家名:神田 諷