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橋ものがたり〔第2話〕~恋心~

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 実際、野辺送りの間もずっと、源治は何くれとなく近くにいて、気を配ってくれたのだ。兵太が亡くなった時、すべてを取り仕切って野辺送りを出したのは兵助だったが、兵助の葬儀が無事終わったのは、源治が傍にいて支えてくれたからこそであった。お民一人だったら、到底気が動転していて、何をどうしたら良いか判らなかったろう。
 結局、自分という人間は、口では偉そうなことを言いながら、一人では何一つできない弱い人間なのだ。そう思うと、今更ながらに情けない。いつも偉そうなことをさんざん言っておきながら、この体たらくに、源治なぞはさぞ呆れているに相違ない。それでも、そんな気持ちはおくびにも出さず、ずっと傍に居て助けてくれたことに、お民は心から感謝していた。
「ああ、源さんなの」
 お民は呟くと、頭を下げた。
「今回のことでは、本当に世話になっちまって。何てお礼を言ったら良いのか判らない。ほんとに、あたしったら、馬鹿っていうか、気が付かないっていうか。口ではあんたにもさんざん言いたいこと言ってるくせに、自分一人じゃ何もできないなんて、みっともないったらないね」
「―もう、自分を責めるのは止せよ」
 源治は溜息混じりに首を振った。
「そりゃあ、あんたは所詮、他人事だから。他所んちのことだから、そんなことが軽く言えるのさ」
「―誰が他人事だって言うんだよ」
 普段は大人しくて、お民の言葉も笑って受け流す源治だが、その夜は違った。
 お民の言葉に、源治は眉をつり上げた。
 声も心もち低くなっている。
 が、それも無理からぬことだ。源治はずっとお民を見守り、それとなく助けてくれた。お民はその親切を仇で返すような、尖った言葉を平然と源治に投げつけている。もし、源治が他人事だと思うのなら、あんな風にお民を助けて―兵助の葬式の手配まで手伝ってはくれなかったろう。それも、源治はあくまてせも自分は表に出ず、目立たない場所でそれをこなしてくれたのだ。
 それだけの配慮と親切を示してくれた男に、〝他人事だから〟はないだろう自分でも思うのに、波立つ心が自分で鎮められない。
「あたしさ、あの人を一人で逝かせちまったんだよ」
 声が、ほんの少しだけ震える。
「所帯を持ってから十二年連れ添った亭主の最期を看取ってもやらなかった。あたしったら、亭主が今の際だってときに、呑気に眠りこけてたんだよ。何てザマだろう。兵助もさぞ薄情な女房だって、呆れてただろうね。最後の最後に愛想を尽かされちまったかもしれない」
 自分を責め続けるお民に、源治は静かな声音で告げた。
「兵さんは、そんなことを思ってやしねえよ」
 その言葉に、お民が弾かれたようにガバと顔を上げた。
「あんたに何が判るっていうの? あの人はああ見えて、淋しがりやなんだよ。無骨で無愛想で、ちっとも人好きなんてしやしない人だったけど、本当は人一倍心根の優しい男だったのさ。そんなあの人なのに、長い旅路をたった一人で逝かせてしまった。本当に長い長い旅になるのに、二度と帰ってこられない旅なのに、あたしは見送って上げることもしなかった!」
 お民の眼に涙が溢れ、頬をつたい落ちる。
「お前が悪いんじゃない。それは―、兵さんの最期を看取れなかったことに悔いが残るのは判る。けど、お前だって、連日の看病で疲れちまってたんだ、そりゃア、うたた寝くらいはするだろう。お前はよくやったよ。寝不足のあまり、お前が眠っちまったからといって、兵さんが怒ったりなんかするとは思えねえ」
 源治の諄々と諭すような言葉に、お民はじっと耳を傾けていた。
 確かに、兵助は、そういう男であった。
 お民が連日連夜の看病でつい眠ってしまったとしても、それを咎めるような男ではない。どころか、裏腹に〝俺のためにそんなに疲れさせちまって、済まねえな〟と女房を労る、そんな亭主だったのである。
 源治の静かな声が、心に滲み入るようであった。
「逆に、お前がそんなことでいつまでも哀しんでたら、兵さんが哀しむぜ。いつだったか、兵さんは、俺に言ったことがある。お前の笑った顔が良いんだって」
―俺は、あいつの笑った顔が好きなんだ。別嬪とか、そういうんじゃねえが、何だかな、すかっと晴れた日本晴れのような空のような感じで、あいつの笑顔を見ていると、俺の心まで明るくなるような気がするんだ。
―へえ、そんなもんかな。そいつは、真昼間からご馳走さまで。
 普段は絶対にお民とのことをのけたりするような男ではないのに、何故か、このときだけ、兵助が弁当を食べながらこう言った。
 源治はその時、この男はもしかしたら、自分の秘めた想い―彼の女房への恋情をとうに知っているのではないかと感じたのだ。
 その時、源治はお民がこしらえたという弁当を兵助と並んで食べている最中であった。 お民は料理上手で、源治が兵助と同じ普請場で仕事をする日は、いつも源治の分まで弁当を作ってくれた。
 あからさまに女房の自慢をする兵助に、源治は内心は憮然としながらも、上辺は愛想良く相槌を打たないわけにはゆかなかった。
 だが、お民の笑った顔が好きだ―という兵助の意見には全く同感だった。確かに、兵助の言うように、お民は世間的に言う美人というわけではない。だからといって、けして不器量でも醜女というわけでもないのだが、せいぜいが十人並みか、それより少し上といったところだ。
 しかし、人の好さが如実に表れた笑顔は、見る者の心を和ませるようなやわらかさがあり、源治はお民の笑顔を見るのは嫌いではなかった。
「あたしの笑った顔が良いって、あの人がそう言ったの?」
 お民がいかにも自信なげな声で問うと、源治は頷いた。
 その後で、〝俺だって、お前の笑った顔は好きだぜ〟、思わずそう言いたい衝動を抑え、源治はわざと渋面をこしらえた。
「だからさ、泣くだけ泣いたら、笑ってやれよ。その方が兵さんは歓ぶと思うぜ」
「そう、よね。その方がきっと歓ぶよね」
 最後は消え入るような声になったかと思うと、お民の眼から堰を切ったように涙が流れ落ちた。
「でも、もう、あの人、どこにもいなくなっったよ。あたしは一人ぼっちになっちまった。兵太もいなくなっちまって、あの人まで逝っちまった。あたしの大切な人は、あたしを置いて皆さっさといなくなるんだよ。あたしには、もう誰もいないんだ」
 次の瞬間、お民は我が身に起こった事が俄には信じられなかった。
「―お民」
 いつもは〝お民さん〟と呼ぶ源治が、今夜に限って〝お民〟と呼んでいる。が、お民はそんなことに気を払うゆとりはなかった。
 源治は少し躊躇うそぶりを見せた後、お民をふわりとその腕に包み込んだのだ。
 それでも、最初、泣きじゃくっていたお民は、自分の身体がすっぽりと源治の腕に抱かれていることに気付きもしなかった。
「一人ぼっちじゃねえよ」
 優しい声が降ってきて、お民は泣きながら面を上げた。
「え?」
 思いかけぬ言葉にお民が戸惑った様子を見せると、源治は何か言いかけて、ふと言い淀んだ。
「いや、何でもねえ」
 よもや、源治が言おうとしたのが
―俺だって、いるじゃねえか。俺は絶対にお前を一人ぼっちにしたりしねえ。お前を置いて先に逝ったりするもんか。