奥手な男
90分の授業時間は気が遠くなるほど長く感じた。授業の内容など頭に入るはずもない。ましてや単位が取り易いという理由だけで社会学を選択したマキである。マックス・ウェーバーなどどうでも良かったのだ。
授業が終わり、マキはタカシに礼を言うと逃げるように教室を出て行った。一刻も早くこの場を去りたかったからだ。マキは恥ずかしい気持ちを引きずりながらも、快く教科書を貸してくれたタカシの笑顔をちょっぴり思い出していた。
一週間後、再び社会学の授業の時間がやってきた。マキは一週間前の大失敗を思い出しながら、それでもタカシとまた会えることがなんとなく嬉しかった。
「今日は遅刻はしていない 携帯の電源よーし、教科書よーし」
307の教室の前で大きく深呼吸すると、マキは中に入っていった。予想はしていたものの、マキが教室に入ってくると、先にいた学生たちから一斉に笑いが起こった。
「どうも 先日は失礼しました」
マキはボソボソとそう言いながら後ろの方の席に着いた。タカシは一週間前と同じ席に座っていた。
「さすがに今日は隣には座れないよな…」
マキは姿勢を正して授業の開始を待った。
教授が来て教壇に立った。
「えーと 皆さん 携帯の電源は切ってくださいね」
教授のジョークに教室中が笑いに包まれた。と同時に全員の視線がマキに集中した。
マキは、「勘弁してよ」と思う反面、ジョークの通じる教授でよかったと少々ほっとした。タカシも後ろを振り向いて笑っていた。マキと視線が合うとお互いに軽く会釈をした。
和やかなムードの中、第2回目の社会学の授業は始まった。
タカシはマキが隣に座らなかったのがちょっぴり寂しかった。次回はもう少し後ろの席に座ろうかな、などと考えながら教授の話を聞いた。窓の外を眺めると一週間前まで咲いていたサクラはすっかり散り、新緑の準備をしていた。