闇から得た闇
くく、いい話じゃないですか。いま、その現場に俺はいる。なんという強運。なんというラック。ビリケンだろが布袋だろが大黒だろがなんでもござれ。カモンべーべー。
さっそく大雨の中、物置から脚立を取り出だしたる自分は、部屋の南西の隅、天井の穴の真下に設えると、意気揚々と段を踏みしめたのだった。
何等の光彩ぞ、わが目を射むとするは。くは。蓋板を鷹揚に撥ね上げた自分は、おもむろに頭を天井裏に突き出したのだった。
闇に眠るくだんの大黒様はいずこにおわすやと、耳から頬にかけてたゆたう埃をものともせず、清貧極まりない心でもって目を見開き息を殺したものであろうかや。否、セレンディピティに勇気づけられた自分の両の眼はすべからく金銭欲に血走り、眼光鋭く紙背に徹す、ちくりとの変化をも見逃さない猛禽類のそれであったはずである。
セレンディピティとは、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値あるものを見つける能力を差す言葉だという。
自分はどうやら、セレンディピティをシンクロニシティ(意味のある偶然の一致)と混同していたらしくて、しかし、それに気づいたことは、何か価値があるのだろうかとも思う。あるいは、本当に自分は能力がないことへの気づきなのか。
無知の一念、何事か成らざらん。
それこそ、うっとうしい六月の正午前、腐れショパンの雨音と積年の埃に満ち満ちた、まことの闇のあるままを小一時間にわたって這い回り続けたのである。