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120円の恋

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 鵜野森さんは、じっと僕の顔を見つめながら説明を聞いていた。気がつくと顔が真っ赤になっていた。
「……というわけなんだけど……鵜野森さん?」
「は、はいっ」
「なんか顔、赤いけど……あ、やっぱ吸ったと思われてる……?」
「違います。そうじゃなくて! その、は、恥ずかしいからです」
「どうして?」
「だ、だってそうじゃないですか。その、あんな暗い気分ばっかり抱えてる子だって思われて、というより、ばれちゃって、ばれちゃったーって笑えるような性格してないです」
 顔を伏せてしまった。
「あ、ああ……」
 そりゃそうか。鵜野森さんにとっては、自分の意志と関係なく内面を覗きこまれたに近い状態なんだ。
「ほんと、ごめん。便所に行くときに電気をつけてれば、こんなことには……」
「トイレの話は別にいいんですけど……」
 鵜野森さんは再び僕をじっと見た。首を少し傾げて、不思議そうに僕を見ている。
「その……どんな感じ、でした……?」
「だから、すごく悲しくて、さびしくて、あんな気分じゃいられないっていうか……鵜野森さん、よくあんなんで平気だなって……」
 感情のことだから、いくら説明したってうまく伝わるものじゃない。それに、あのさびしさというものは、言葉で説明できるものだとは思えない。人を失った悲しみは、それを知っている人としか共有できないように。
 空回ったような説明を続けるうちに、鵜野森さんが陰ったような笑顔を浮かべた。
「別に、ふだんからそんなんじゃないです。楽しければふつうに楽しいし、お笑いとか見て、よく爆笑してますよ」
「そ、そうなんだ……」
 爆笑する鵜野森さん。やばい。ちょっと見てみたい。
「でも、人よりはちょっとその、自分でこんなこと言うのもなんですけど、さびしがりや、かもしれないです。あの機械がほんものだったとして、茅野さんにそういうふうに作用したのは、ちょっと納得です。あ、でも」
 と、付け加えようとして、目を逸らした。思い直したように、僕を見た。今日の鵜野森さんは、表情の変化が豊かだ。
「でも、あの、さっき、茅野さんが私を……その……」
「あ、うん……」
 まちがいなく、僕の愚行のことを指している。
「そ、それってつまり、人恋しかったからとか、そういう……」
 なんだろう、この中学生の初デートのようなぎくしゃくした感じは。鵜野森さんは高校生だからまだしも、僕の反応は大学生のそれではない。自覚しながらもどうしようもなくて、僕はただ頷いた。
「ちょっと、驚きました。同じ悲しかったりさびしかったりするのでも、人によって反応って違うんだなって……私なら、絶対そんなことできないですから」
 僕の場合、もともと鵜野森さんが気になっていたこともあるが、それにしたってあの衝動に抵抗するのは並大抵ではないと思う。しかしここで抗弁してもしかたない。僕は、
「そういうもの?」
 とだけ答えて流した。
「はい。だって、いまだって、私、昨日あの機械に息を吹きこんでから、なんだかつっかえているものが取れたみたいになって、それで誘うメールを出す勇気が出ましたけど、でも、こんなにしゃべる私とかおかしくないかなって、ずっと気にしてます。変に思われたらどうしようって」
「それはぜんぜん……むしろ役得?」
「役得!」
 ぼんっと音を立てかねない勢いで鵜野森さんが赤面した。
 すごい。おもしろい。なんだこの反応。
「役得ってだれですか。だれが得するんですか」
「だから、僕。僕が鵜野森さんの話を聞いて得すんの」
「なんで私の話で!」
「って、異議申立てあり!みたいな顔で言われても……そう思うだけだし……あとそうだ、少なくとも疑問は氷解した。そこは得でしょ?」
「そうかもしれないですけど……」
 納得がいかない、というか、拗ねているようにも見える顔で鵜野森さんが言った。笑顔もかわいいけど、こういう顔もかわいい。やっぱり僕の頭は煮えているのかもしれない。
 いや、違うよな。
 鵜野森さんと話しているあいだ、どこかに引き下がっていたさびしさがふと顔を出す。どこまでが、あの妙な機械の影響かはわからないけど、この感情だけなら本当だな、と無根拠に断言できた。
 さびしいのはなぜか。それは空腹と似ている。食べ足りないからだ。このさびしさを埋めるだけのものを僕にくれ。僕は、鵜野森さんに対してそう要求したいのだと思う。それは笑顔だし、恥ずかしがる顔でもあるし、もっといえば僕に対する好意で、結局は鵜野森さん自身だ。
 そんな感情のことを表現する便利な言葉がある。こんなことになるまで、僕は慎重にその言葉を避けていたように思うけど、このとき、すとんとした納得とともに、その言葉が僕を捕まえた。



 1時間ほどもぎくしゃくしたやりとりをしてから、それぞれの家に帰った。とたんに襲ってきた波動みたいな感情は、うまく回避できた。原因がわかっていれば、対処は難しくない。ただ、解決が困難なだけだ。
 バイトは鵜野森さんと一緒だった。大貫先輩の「吸ったか? おまえ吸ったのか?」という質問がうざかったが、あの人の場合、ただおもしろがっているだけで悪気はない。しまいには、僕と鵜野森さんを交互に見て「あー」などと納得面をしていた。そっちにはちょっと勘弁してくれ、と思った。いったいなにを悟ったんだあの人は。
 夜の8時に仕事が終わった。
 帰り仕度をする鵜野森さんに声をかけてから、スーパーの前にある自販機の前で待った。
「お待たせしました」
 と、今日は制服姿ではない鵜野森さんが現れた。
 家まで送っていく、というとやっぱり難色を示したけれど、話したいことがあるから、と伝えると諒承してくれた。
 雨はすっかり上がっていて、空には星すら見えた。六月は梅雨の月で、大多数の人と同じように、僕はこの季節をあまり好きではなかった。大学に入って一人暮らしを始めたころ、何度食べ物をカビさせたことだろう。味噌汁が腐る、という単純な事実を知ったときに驚いたものだ。
 ただこうやって、半袖にはほんの少しだけ肌寒い空気のなかを歩くのは悪い気分じゃない。どこかから吹いてくるひんやりとした風だって心地良い。もちろん、この夜が僕の記憶に残りそうな理由はそれだけじゃなかった。呟くように話される鵜野森さんの話を僕は聞いていた。ときどき通る車のライトが、鵜野森さんを照らすのを見ていた。
 うまくいっていない家庭環境のことや友だちのこと。ずっとさびしかったけれど、それはしかたのないことなんだと思ってきたこと。「つっかえがとれたように」と鵜野森さんは言っていたけれど、話す技術が急速に上達するわけでもなく、やっぱり口調は訥々としていた。ありふれた話かもしれなかったけれど、その悲しみやさびしさを実際に経験してしまった僕は、語られる鵜野森さんの言葉を、ひとつひとつ拾い集めるように聞いた。
 そうやって、徒歩15分はあっというまに過ぎた。
「ここまででいいです」
 住宅街のまんなかにある、なんの変哲もない交差点で、鵜野森さんは立ち止まった。そのまま、どちらも動かなかったので、別離はなかなか訪れなかった。
「なんだか、いろいろ話せてすっきりしました」
 鵜野森さんは言った。
作品名:120円の恋 作家名:dzs