空の子供
私の傷は、服を脱がなければ手当が出来ないのだ。そのことに気づくと、シェイはごめん、と慌てて謝った。
「そ、そんなつもりじゃなかったの! こ、このこと、パイには…ッ」
「判ってる、内緒、ね? …ね、グイって誰の子?」
「雲の子。星と月の子。役目は、MASKの末梢」
「……聞くよりも先に、答えられちゃった」
「…だって、夕子、空の話、好きって言ってた。判るよ、質問内容くらい。ねぇ、何でそんなに空の話、興味、ある?」
シェイが首をかしげて、興味津々に私の目をのぞき込む。
その目がやけにきらきらして見える。彼の外見が、きらきらしててもおかしくないからだろうか。それとも、彼の性格が、きらきらしててもおかしくないからだろうか。
私は苦笑を浮かべて、そうね、と目を伏せる。
「小さい頃から、ずっと歌っていたからかな」
「小さな頃? 夕子にも、そんな時、あったの?」
「失礼ね。人間だもの、誰にだってあるわよ。……足我さんは、なさそうに見えるけど、きっとあるわ」
「アシガサン?」
「さっきの女の子」
そう言うと、シェイは顔に物凄く難しげな表情を浮かばせた。どうやら、子供の頃が想像できないようである。
想像してるのは私? 足我さん?
「夕子の子供の頃……どんな、かな。小さい?」
想像してるのは、私の方だったようだ。
私は、ゆっくりと立ち上がって、タンスの上にある、写真立てを手に取り、シェイに見せてあげる。
写真立ての中には少し若いけれど、眼差しが少しシェイと似ている黒髪の父、それと隣には幼い私を抱いている髪の長い母が居て、三人とも幸せそうな笑みを浮かべている。
見ているだけで、寂しさなんて無くせそうな家族写真。上京する前から、一人暮らしするときには、この写真を持って行こうって決めていた。
一番、楽しそうで、幸せそうな写真だから。
「……この女の人、夕子に似てる」
「髪の長さが同じで、ウェーブが同じくかかっているからじゃない?」
「……嗚呼」
まじまじとシェイはその写真立てを触り、母と父を震える指先でなぞる。
まるで、「母」という存在、「父」という存在を初めて知ったように。それはもう、おそるおそると、怖々となぞっていた。
「…お父さん、お母さん…」
「そう。私のお父さんと、お母さん」
「……幸せ?」
「うん、幸せよ。今も」
「……離れてるのに? 会えないのに?」
「離れてても、思い出すことは出来るから。それに、人の思い出って、美化されて記憶できるのよ、便利でしょ?」
そう笑って言うと、彼は真面目に捉えて、そうなんだ、と頷いた。
冗談よ、と慌てて付け足すと、きょとんとした顔をして、その後で唇を尖らせた。子供のようで可愛いと思ったのは、内緒にしよう。そうでないと、益々唇を尖らせるだろうから。
「騙した」
「違う、からかったの」
「…騙す、冗談、どう違うの?」
「……悪意があるのが騙す、悪意がないのが冗談…かな? 境界線は難しいわね」
「…ボクの…」
「?」
「ボクの、お父さん、お母さん、幸せじゃない」
私は、首をかしげて、次の彼の言葉を待つ。また、質問の回数を決められたいか、と言われるのは厭だから。それに、あんまり、進んで聞いたら悪い気がする。…こんなシェイの辛そうな、今にも泣きそうな顔を見たら、誰でもそう思う。
「ボクのお父さん、お母さん、ボクと離れているから、幸せじゃない、思った。でも、夕子のお父さん、お母さん、夕子と離れていても幸せ。おかしい」
「……」
「…何で、シェイのお父さんお母さん、幸せじゃない? 人間より、ずっとずっと幸せであるべきなのに。お父さんも、お母さんも」
「……幸せって、人それぞれじゃないの?」
「それぞれ?」
「例えば、こうやって、私が貴方と話す。これだけで、私は幸せよ? 大好きな歌の人物と話せて居るんだから」
「……冗談、騙す、と一緒じゃない、それと一緒?」
シェイの言葉は、舌足らずで、あんまりよくは判らない。
だけど、多分この言葉の意味は、境界線が曖昧ってことを言いたいんだろう。
「そう、一緒。シェイは…お父さんとお母さんに幸せになって欲しいの?」
「……幸せになったら、ボク、傍にいていいかなぁ? ボク、MASK探しより、皆の傍にいたい…」
「……普段は、皆と一緒じゃないの?」
シェイは少しだけ遠くを、此処ではない、私ではない誰かを見つめるように、惚けてから、質問に気づいたのかびくりと動き、首をぶんぶんと横に振る。
「皆、役目あるもの。ボクがボクじゃないと出来ないことっていうのがあるように、皆がそれぞれ皆でないと出来ない、って。だから、いつもボクはお外に放りっぱなし。パイロンは時折、天に帰るのを許されてるけど、ボク、外に居なきゃ駄目。MASK、外の生き物」
――シェイは、寂しい子だ。
シェイには悪いけれど、そう感じた。
親の幸せを祈る。その理由は、彼らが幸せになったら、自分が傍に居られるかもしれないから。兄弟と両親と一緒にいたいから。
なんて純粋で、清く、切ない願いなんだろう。言葉が単純だからこそ、その切なさは計り知れなく。
この子は本当に、親からの愛情を貰えてるのか、ふと不安になった。
さっきだって、父さんと母さんの写真を見せたら、初めて知るように触れていた。
それは人間での父親と母親を見るからではない気がするのは、気のせいだろうか?
シェイは……寂しい子だ。
「シェイ。本当のお父さん、お母さんっていうのはね、子供に役目を与える前に、愛してくれるんじゃないかな」
「……愛して、くれる?」
「…うん。だって、子供は自分の分身だもの。…中には嫌う人もいるけど」
「……自分の、分身。でも、ボクは、太陽の形、してない。月の形、してない」
「…金色と銀色の鱗があるじゃない。それが、形の変わりなんじゃないの?」
「……」
「…だからね、シェイ。私、貴方が嫌いで言うことじゃないの。…太陽達は、子供のことを完全に道具として、見てるんじゃないかな」
「……ッ違う。それ以上言ったら、夕子、殴るよ!?」
「…シェイ」
「人間にだって、居るじゃないか! 役目を与えて、一切関わりがない親と子供。お、オウゾクだっけ? …とにかく、夕子の視点だけで物を見ないでよ!」
「……ごめん」
「……うん」
謝ると、少しだけ苛立っていたような、否、焦っていたようなシェイの興奮していた顔が、落ち着きの色を見せて、怒り肩も、なで肩になった。
確かにね、私の見解だけでそう判断するってのも、問題だと思うわ?
だけど、……だけど。
「シェイ」
「……明白。明白…ボクだって、何かがおかしいのは知っている…。でも、でも、信じたい…ボクらは、愛されるために生まれてきたって。否、信じてるのは、ボクだけかもしれないけど…」
「うん、それは自然なこと。皆、そう思うわ。きっと」
「……ううん、パイもグイも……ハオも、思ってない。皆、それぞれ役目を果たしたい、思っている。それしか、見えてない」
「……」
「……ボク、愛が欲しい」
恥ずかしげもなく、こういう台詞を吐ける純真さに目眩がしそう。