空の子供
シェイは当然ながらも、痛い、痛いと、涙をこぼす。その声は、私にだけ、響き渡り、帰ったら手当してあげようと、思わせた。
「竜! ああ、私の可愛い天使! 何て綺麗な声で歌うのお前! …今までで、一番素敵な歌声よ」
危ない。MASKに寄生されてるからか、元からなのか、判らないけれど、この人って危ない。
学校では、そんな様子、微塵も見せなかったのに! ただの、儚げな美少女に見えたのに。
彼女は、シェイが叫んでその声に酔いしれてるかと思えば、…って、わわわ、シェイ、動かないで! 身の伸び縮みを、盛んにしないで!
…痛い、のは、判るけど、落ちるって、これ!
「私の天使を、奪わないで!」
シェイが動いている間に、彼女は更なる追い打ちをかけようと、刀を振り回す。
ただの無駄な動きに見えるが、彼女はまたしても口早に何かを唱えている。
私の服が、何かが掠めたように少しづつ斬れているのに気づくと、今度は何の魔法だか、理解できた。小さな真空刃を手当たり次第にまき散らす、鎌鼬の魔法だ。
彼女は、飛翔魔法といい、風系の魔法が得意のようだ。
シェイは、鱗の強さを見せて、鼻の切っ先以外にはかすり傷程度しか見せてくれない。けれど、鼻の切っ先の傷を益々抉る形となる攻撃方法だった。
「シェイ、落ち着いて!帰ったら、手当してあげるから!」
“やだ! 消毒液やだ!”
「落ち着いて、まず体を伸ばして、一直線に、彼女から一番遠いところに尻尾を!」
“? ……判った!”
痛みに堪えて、ぐんと、伸ばす。そこから先は、もう判るだろう。勢いよく、体を曲げて、半回転して、彼女を遠くへ叩き飛ばす!
遠心力を利用してみた。どんな魔法でも、結局は自然の本当の力には勝てないんだ、と魔法使い志望の私が思うなんて、不思議な話。
そして、遠くへ飛ばされ、丁度宙を舞ってるときに、彼女の業は来た。
重力がのしかかり、彼女は叫んで、地面に落ちていく。
巧く着地が出来そうになかった、と思ったら、シェイが飛んでいき、尻尾の先を彼女に絡めて、ゆっくりと地へ横たわらせた。
「どうして、助けるの? 殺そうとしていたのに」
“人間、殺しちゃいけない、皆に言われてる”
…律儀というか、なんというか。あの攻撃は、じゃあ何なの、と聞くと、力は抜いたと答えられた。それでも、複雑骨折してると思うのだが。人間を殺しちゃいけないのなら、MASKはどうやって殺すんだ、と問うと、それはグイにしか判らないと答えが脳に返ってきた。
それから、地上に降りて、シェイは人間に化けて――可哀想に、鼻筋に横に一直線で傷が入っている、鼻が真っ赤だ――、私を引っ張って、逃げた。
*
「っは、早速MASKを見つけるとは、結構結構。ご苦労じゃな、シェイ、人間」
帰るなり、パイロンに報告すると、パイロンは人の姿になって扇を扇ぎながら、シェイと私を労う、言葉だけで。
私は薬箱を引っ張り出し、幾つか薬や包帯を買い足さないとと思いながら、パイロンに目を向ける。シェイは真面目な顔で、パイロンに身振り手振りで話していた。
鼻からの出血は、そのままで、パイロンも痛そうだと思ったのか、扇を持ってない手で、つついてみる。シェイは当然ながら、痛み悶え、痛みが声にならないのか黙ったまま転がる。
「パイロン!」
「何じゃ、人間」
「あからさまに痛いことしちゃ駄目でしょ! …今、手当するんだから」
「……竜には手当など、不要じゃよ。竜の生命力を侮るな? 変に人間の薬で治療してみろ。自然治癒力が無くなる、下手したら」
「……それでも、せめて、消毒ぐらいしないと。傷口からばい菌が入ったらどうするの?」
「…そんときゃ、そん時じゃわい。カカカ」
弟に対して、なんて態度だろうか。…名ばかり、の意味がわかった気がする。
私はパイロンにでこぴん…いや、鉄拳を喰らわせてから、シェイに向き直る。
「さ、シェイ、手当しよう?」
「……消毒液、染みる。厭。厭。厭」
「何も厭と三回言わなくても良いじゃない」
私は苦笑して、自分の傷は服が少し裂けてかすり傷が出来たくらいなので――あの魔法、手慣れてないんだな…手慣れていたら、効果はもっと恐ろしいことになっていただろう――、先にシェイの傷を見てから、手当をしようと思って、てきぱきと手を動かす。
シェイは消毒液に反応しながらも、パイロンと会話を続ける。
「グイ、呼べる?」
「――まずは、母上達に報告せねばなるまい。それからでないと、グイが来る許可は下りまい」
パイロンは、私の力ない鉄拳を大げさに痛がりながら、扇を閉じて、腕を組む。
そして、シェイを半目で見つめて、何事か考える。
「……グイが来たら、次に子供が来るのは数日後だな」
「……――ハオが、来る……」
シェイが、嬉しさをひたすら隠したような憂いだ顔をする。どんな反応だ。
声にもいつもの元気の良さはなく、雨が降ってる最中の花のようにしゅんとしている。
「ハオって誰?」
「ハオは、年長者――空の子供第一子じゃよ」
「シェイとパイロンのお兄さん?」
「否、唯一の女児じゃ。まぁ、いつも男のような服装をしとるがなぁ」
「ハオって、誰の子?」
「……人間よ、質問の回数を決める気はないか?」
うんざりとしたようにパイロンは、耳を小指でかきながら、扇の閉じた先を私に向ける。
…聞きたくなるのはしょうがないじゃない。それだけ気になってるんだから。
でも、この言葉は、わざとシェイを傷つけない為に会話を変えたものだと、後日判った。 判ったところで、どうしようもないのだけれど。
「ハオが来ても良いのなら、オレぁ報告しに天に参り、グイを連れてくるが、どうするね。シェイ」
「……」
シェイは消毒液をつけ終わると、少しだけほっとした顔をして、自分で包帯を巻く。
髪を変な風に一緒に巻き込んでいるので、その手を止めて、手伝ってあげた。
「……パイ、ボク、何回目の覚悟をしなくちゃ駄目?」
「…――お前さんが、今回が確実だと思うのならば、それは確実じゃ。お前はMASKを見つけられる。オレには無い力だ」
「…要は何?」
「この世界は誰次第?」
「……ボクら次第」
「住みよい環境を作りたいとは思わないかね? 母上父上に与えられた役目に、不服でも?」
パイロンが柄の悪い目を細めると、迫力が増す。威厳があるというか、なんというか。
でも、それでいて、何を考えているか読ませない不思議な奴だ。感情を隠すのが巧いなぁ、と、ふと思った。
「……判った。天に行って、グイを呼んできて」
シェイは溜息混じりに、パイロンとは反対に感情のにじみ出やすい顔を、何かを覚悟したようなものに変化させて、頷いた。
それを確かにその目で認識すると、パイロンは、窓から、白いトカゲ姿になって出て行く。
「……っさ、じゃあ、次は、夕子の手当の番だよ」
「え、私は…自分でやるから、気にしないで」
「ボクにだけ、痛い、させた?」
「いやいや、私だって、痛い思いをするから、大丈夫!」
何が大丈夫なんだか。それでも、シェイは疑心の眼差しで私を見るので、最終手段、スケベと罵った。
その言葉に、きょとんとして、次の瞬間には慌てた。