空の子供
急に母を思い出す。一人暮らしでなく実家に住んでいた頃の事がフラッシュバックする。
少しだけ、泣きそうになった。その言葉の暖かみと懐かしさに。
「夕子?」
「…な、何でもない…いってくるね!」
慌てて出て行った。涙に気づかれないように。
涙を見せるのは弱みを見せるのと同じような気がして厭だったからだ。
暫く歩いて、バスに乗って、バイトの面接先に着く。
足我(あしが)グループで、一人、デザイナーを募集していたから、それに応募したら、面接してみないかと言われたのだ。
これに返事したのは、魔法が駄目なら、魔法に必要なセンスが必要とされているデザイナーはどうだろうと思ったのだ。
緊張する。全身が敏感で鋭利な気がする。少しでもつつかれたら、破裂しそう。
魔法以外の職を選択するなんて、思っても見なかった。
いや、これはバイトだ。職ではない。ああ、でも職になるとしたら、これがいいなぁ。
そんなことを考えながら歩いていると、建物の中庭のようなところまで来てしまった。
中庭には、一人、モデルのように長い手足を持つ、黒いドレスを着た綺麗な女の子がいた。私と同い年くらいだろう。
――そういえば、前に居た学校で…。
「足我さん?」
気づけば、話し掛けていた。
私はMASKに寄生されているんだろうか。
女の子は小さな顔を振り向かせる、顔は無表情。
黒い短いブラックオニキスで出来たような髪に、儚げでも、どこか頑なそうな黒い瞳。白い肌が透けるようで、短めの黒いドレスは映えていた。腕を包む布も、映え、赤いパンプスも映えていた。首元にアクセサリーがちょっと欲しいかもしれない。でも、無くても十分綺麗だ。
ただ、どこか人形のような印象を感じた。
「…足我さん? 足我さんだよね? 私、判るかな? 隣のクラスの…」
「……」
「やっぱり判らないよね…日野…」
言いかけたところで、彼女が私の名前を口にする。
何で知ってるのかと訊いたら、落第したのが凄い有名になってうわさになってるらしい。
こんな変な知名度があるのは、なんというか悲しい。寂しいとも言うのかもしれないけれど。
「何でココに足我さんが…」
「……兄様を待ってるの」
兄様…そこで、初めて気がついた。
足我グループ、と、足我敬(あしがけい)、繋がった。
足我のお嬢様なんだ、この人!!
驚きを隠せない私を横目に、彼女の手には似つかわしくない、日本刀を、すらりとしまう。
日本刀には、少し赤いものがついていた、それが何かなんて察したくないので、何か別のこと話し掛けようとしたら、彼女の鼻が動いた。
何かを嗅ぐっているらしい。
そうして、私を睨みつけた。その瞳の色はぎらぎらと炎揺らめく嫉妬。
「貴方……竜の匂いがする……」
「…竜?」
「私の竜…私の竜の匂いが…返して、私の竜を返して!」
しまっていた、日本刀をすらっと出して、私に向ける。
竜…シェイのことか?!
シェイのことを知っているのか、この子!!
っていうか、なんで、それで、私を斬ろうとするの?! 返してって何!?
一触即発。そんな場面、初めて味わう。何、この肌がぞわぞわと鳥肌が立ち、ぴりぴりと悲鳴を上げてる感覚は。
丁度、その時、敬、と彼女を呼ぶ声がした。
彼女とそっくりな顔に、大人びた雰囲気と眼鏡をつけたしたような、長身のスーツ姿の男が来た。
「敬、また御前は…」
「兄様…………」
「すみませんね、うちの妹が迷惑をかけてしまったようで…敬、そんな物騒なものしまいなさい」
「でも…………」
「でも、じゃない。わたしに恥をかかせたいか?」
「いえ、兄様は絶対です……」
男が敬さんの髪を撫でると、敬さんは日本刀をしまった。
それでも、嫉妬の目が私に向けられる。お前のためにしまったのではない、兄のためだ、と目が語っている。
男が、日本刀がしまわれたのをしっかりと確認してから、私に愛想を振り撒いた。
「すみません、本当……わたしからもよく言っておきますので」
「いえ、いいんですが、私の竜、ってどういう意味ですか?」
「わたしにも判らないんですよ…この子、竜狂いなもので…竜を見ると、それは自分のものだと思い、斬って、剥製にして満足するんですよ」
とんだ竜狂いだ。竜に恋する女だ。
「竜にちょっと関わっただけで反応するんですよ…?」
その時、男の目が少し怖かった。にやついてる様子なのに、何処か底が知れないチェシャ猫のようで。
「それよりお嬢さん、どうしてこちらに…?」
それを問われて思い出した。
嗚呼、面接の時間が迫ってる!!
「す、すみません、私、急いでるので…!これで!!」
「ああ、お嬢さん…!」
「兄様……」
走り去る私の耳には、彼女たちの話し声は届かなかった。
「あの子、私の竜の匂いがする」
「太陽の子だね……すぐに尾行させようか」
「……私が自身で見てくる。ああ、私の竜…早く貴方を斬りたいわ……」
*
「っぷはーーー!!!!」
面接した途端に遅刻とは何事か!と怒られてしまった。
そりゃ悪いとは思いますよ。でも、仕方が無いじゃない、足我兄妹に会ってしまったんだから。
つい、その妖艶さ、外見の甘美さに惹かれ、時を忘れてしまった。
ああ、不採用確実だ。魔法使いも、デザイナーも駄目。どうすればいいんだろう、私は。
「夕子ーー!」
ん?私を呼ぶ声が…。
「夕子! 夕子、何処?!夕子夕子夕子ゆーこー!」
子供のように繰り返すあの声。
まさか…。
「あ、居た! 夕子!!」
面接先を出たところを右に曲がると、そこに、何と尻尾を出したままのシェイがいた。
「シェイ!!!」
私は慌てた。
なんだって、こんな格好を?!
周りの人はくすくすと笑って、ただの何かのコスプレだと思っているのか、視線がそんなに痛くは無かった。まぁ、おばさま方の視線は痛いけれど。
私は駆け寄って、自分のコートを、シェイに羽織らせた。
「シェイ!何やってるの?!何もしないって言ったでしょう?!」
「あのーね、あのーね、何だかMASKの気配感じたから、ちょと心配、なって、着た」
「……ちゃんとした人間に変装できないの?」
「え…ああ、尻尾。パイがね、尻尾、出していけって言った。そしたら、夕子、すぐ来る、言った。すぐ着た、やっぱり、パイ凄い」
にこにことして…まぁ。
そんな可愛い顔をされちゃ、怒るに怒れないでしょうに…。
私は、額を抑えて、まぁとりあえず何処か人気の居ないところへ行こうと誘った。
べ、別に変な意味じゃないからね?!
ただ、シェイの尻尾をこれ以上晒して置くのは危険だから…。
……私に出来ることって、これくらいなのかなぁ。
シェイを、守ることくらいなのかなぁ、こうやって。
魔法使いも、デザイナーも駄目。
そのほかには、どんな道が残ってるって言うんだろう。
「シェイ……もしかしたら、私、MASK探し、あんまり役に立たないかも…」
ほんの少しだけ、弱音を吐かせて。
まいっちゃったんだ、正直。だって、何回も一気に不幸がきたんだもの。