空の子供
――ふと思ったんだけど、どうしてシェイがただの竜じゃなくて、太陽の子だと判ったのだろう。一瞬の疑問がわき上がる。
「太陽の子、違う」
同じことしか言わないシェイに、足我さんは睨み付けて、赤い塊を指さす。
「それなら、どうして真っ先にあれに触ったの」
「……」
「あれは、竜の鱗よ。それも、空の子供に会ったことのある」
「……ジェネミー…?」
ぽつりと漏らした言葉が耳元へ届いたのは、私だけじゃない。
足我さんは、優越を浮かべた笑みを見せて、シェイに近づく。
「そう、そんな名前だったかもしれないわ」
「竜の言葉が判る? 人間が? ……冗談」
「でも、お前は判るでしょう? 人間の言葉が判るでしょう? 竜が人間の言葉が判って、人間が竜の言葉を判らない理由なんてないのよ」
「ボク、竜じゃないから、人間、言葉、判る」
「いい加減におし!」
足我さんは、苛々として、シェイの足を蹴り上げた。座ったまま。
なんと行儀の良いお嬢様ですこと。なんて、苦笑している場合じゃなく、シェイは痛がって、飛び退く。
「足我さん、彼はどう見たって人間じゃないの」
「貴方は黙っていて! 私には判るの! 竜の、私の可愛い竜の匂いがするもの! 体中が騒いでるもの、太陽の子を殺せって!」
「それは」
「夕子、言っちゃ駄目だよ! あれが逃げる!」
「あら、逃げる? 何が、逃げるの? 私は見ての通り、動けないわよ?」
そういって、彼女はにこりと頬笑む。私は慌てて口を押さえる。そうだった、これは空の子供の秘密なんだ。言えないもどかしさを感じつつ、私は足我さんの前に立ちはだかり、シェイを隠すように、背中へ回す。それでも、シェイの方が頭が高いから、見下ろせちゃうんだろうけれど。
私がそんな動作をすると、足我さんは嫉妬を顔に露わにして――何への嫉妬? シェイと一緒にいられること? 空の子供の秘密を知っていること?――、何事か口早に唱える。
唱えると同時に、シェイが、私の目を塞ぎ、私を抱き込む。
「ど、どうしたの?」
「駄目、あの子、闇の魔法使っている。見ちゃいけない世界だ。MASKに取り憑かれた人の症例で、よく出るんだ、闇の魔法」
闇の魔法。そんな言葉初めて聞いた。今まで見てきたどの魔法辞典にも載ってない。
知らないわ、そんな魔法、と言うと、それで当然というような声色の返事が返ってきた。
「人間が知ってはいけない魔法だから。どんなに偉くても」
「どんな魔法なの?」
「…言ったでしょう? 知っては、いけないと。知ったら、人間じゃなくなる。だから、あの子は使えるように、なってしまった、思う」
そう苦しそうに呟いたかと思うと、次の瞬間、シェイの手が解け、彼女の姿が私の目に映り込む。彼女は、自分に光を宿し、なんとあの怪我だらけだった体を、回復、否、修復させてみせたのだ。
「あんな素敵な魔法を、人間じゃない、と言い切るなんて、酷く失礼な子供だ」
後ろを振り返ると、シェイは、彼女とそっくりな顔を持つ男、足我さんのお兄さんに、羽交い締めにされていた。
私はシェイを助けようとすると、何かが体に引っかかり、後ろに倒れた。ストールが体から抜け出して、するりと床に落ちていった。
ひっかかったのは、私の喉にいつの間にか回った包帯。その包帯は少し血が滲んでいる。足我さんが回復するまで、使っていた包帯だということが、判った。
「兄様の邪魔はさせない」
足我さんは、倒れた私を人でないものを見るような冷たい目で、見下ろし、それから、私の首に巻かれてる包帯と車いすを結んで繋ぐ。車いすは、従者が持っていて、居場所を確保して固定している。
これで、動けなくなってしまった。動いたら、死ぬ。
シェイが、自分の身が危ないのにもかかわらず、夕子!と、じたばたと暴れて、私の傍へ行こうとしたがる。
それを見て、くすっと足我さんは笑い、足我さんのお兄さんはにやにやとしている。
「シェイというのね、太陽の子」
シェイの頬をそのなめらかな手で撫でると、シェイはぶるっと震えて、首を横にぶんぶんと振った。そして、足我さんを睨み付ける。
「夕子、離せ! 夕子、殺したら噛みついてやる!」
「人間のお前がどうやって? それとも、やっぱり竜だって認める?」
「人間のまま、噛みつく!」
シェイがそう言うと、足我さんが馬鹿笑いをして――それでも上品に見えるのは、一体何故だろう、育ちの差だろうか――、シェイの頬を思いっきりぶっ叩いた。
何かが割れるような酷い音が鳴り響いた。
「…人間のお前には、用はないの。早く、兄様の用事が済んだら、私の所へおいでませ? 剥製にしてあげるわ…そうね、お前ほどの竜なら、ペットにしてもいいわ」
「誰が、ペットになんか…」
「あの女、殺しても良いのよ?」
それを聞いた途端、シェイの顔色が変わった。
青ざめて、一瞬にして怒気の含んだ赤色へ。
「シェイ、駄目! 駄目よ、元の姿になっちゃ!」
「夕子、でも…!」
「闇の魔法が、回復させる魔法なら、彼女は無敵に近いわ! 攻撃するだけ、体力が減るだけよ!」
「…たった一度聞いただけで、そこまで判断できるのは、賢い事ね。貴方、魔法使いに向いてるんじゃない?」
私はその言葉で、思わず身を起こして倒してやろうかと思ったが、身を起こす前に、首が絞められ、動くとより絞まることに気づき、睨み付けることしかできなかった。
それを確認するように、私の反応に待ってましたと言わんばかりに、笑う彼女が憎らしくて。
「何故笑う? 何故泣きそうになる? 夕子、魔法使いに向いてる、良いこと、夕子には」
「でも、彼女は残念なことに、二度と魔法使いになれないのよ。とても大きな推薦でもない限りはね」
「……でも、でも、夕子の家、沢山、沢山魔法の本、あった! なれる、夕子、なれるよ!」
「シェイ…」
「お前、人間界のこと、本当に知らないのね。可愛い子。願うだけでは、叶わないのよ」
「願わないと叶わないこともある! 夕子、夕子、ねぇ、そうでしょ?」
「シェイ……願ってても、どうしようもないことがあるの…」
この言葉を、自分が口にするのが悔しい。
――そりゃ、私だって、願いたい。誰よりも魔法使いになりたいって願いたいわ! でもね、見える現実の未来っていうのがあるのよ。怖いの。先が、魔法使いの魔の字もなくて、凄く怖いの。厭なの。諦めるしか……ないの。
今にも泣きそうで、いや、もう滴はこぼれ落ちたから、泣いて居るんだ。
この涙が、こんなに塩辛いものだとは、思わなかった。
――心の底で満ちていく、水。満杯になって、私はおぼれ死ぬ。苦しくて、苦しくて、もがいても、誰も助けてくれず。自ら助かる道も見つけられず。
“夕子…! …――夕子を、夕子を泣かせたぁ…”
喋ることをやめて、脳に訴えるようなしゃべり方をするシェイ。
駄目。駄目よ、竜に戻っては。
私だったら、大丈夫だから。もう、諦めているから。こんなの、何でもないから。
――何でも、ないよ。
「シェイ、駄目よ」
“夕子、夕子、泣いちゃ厭だ。あいつらが泣かせた。許せない”
「シェイ、お願い、私は何でも…」