空の子供
そして、一時間後、何度かおまじないしていたのだが、おまじない無しでも、階段が見えるようになった。
シェイが言うには空に好かれるようになったらしい。
まだ空は長く飛べない。でも、数歩歩けるようになった。嬉しい。楽しい。
空の上昇の仕方は、階段を見つけさえすればいいらしいので、私はもう大丈夫だろう。
だって、空にはいくつもの階段があるのが、見えるから。
シェイの言ったとおりだった。凄いや、シェイって。
「シェイ、この階段、何処まで行けるかな」
「雲より高く…――までは、どうだろう、パイなら行けるけど…人間は、何処まで行けるのかな……。ボクは階段を意識して飛んでないから。ほら、翼あるからね」
「行きたいなァ、太陽まで」
「溶けちゃうよ。太陽まで行って、何するの?」
「分かんない。ただ、空が好きなの」
「……夕子は、何でそんなに空が好きなの?」
シェイが休憩しようと決めて、空の階段を上って、五段目に腰掛ける。
そんなこともできるんだ、と私は真似しようとしたが、私には出来なかった。
それをシェイは笑い転げて、ごめんごめんと少しも悪気を感じないで謝った。
「これは、空の子供の特権」
「それなら、最初に言ってよ。……そうね、何で、かぁ。……私、昔ね、友達が居なかったの。ううん、今も……人間の友達は、居ないわ」
「嘘?!」
「……本当。だから、よく独りで遊んでいたの。いつも、独りで夕暮れを見て、独りで昼の日差しを浴びて。空を見るのがいつもの日課になってた。空だけは、私を一人にしてくれない。空だけは、私と一緒。……母さんから、空の歌を聴いたの。空の子供。毎日、歌った。すると、皆、集まってきて、一緒に空の子供ってどんな人か、話し合ったなぁ…」
「……夕子」
「ん?」
「夕子に、シェイ、居る。シェイに、夕子、居る」
「……」
シェイは舌っ足らずで何を言いたいのか、判らないことがしばしばだけど、今だけは、何を言いたいのか判る。
私は、苦笑を浮かべて、頷いた。
有難う、その気持ちは凄く有難い。初めての友達。空の友達。友達で弟なんて、最高だね。
「シェイ、空は好き?」
その答えが、どんなのか、私は知っている。
私は、その答えを待っている。
*
「……」
「日野夕子さんですね?」
家に来たのは、望んでいたパイロンでもシュンという人――人? 人じゃないか?――でもなく、足我さんの使いと名乗る女の人だった。
私は固まってしまい、逃げるか逃げまいか、脳内で考え込んだ。
そして、どっちみち住所がばれているのだから、逃げても仕方ないし、今すぐに準備して逃げられる状況でもないことだというのが判ったから、相手の問いかけに頷いた。
シェイだけは、竜だって悟られないようにしなきゃ。
「お嬢様が、貴方に会いたいそうです。来ていただけますか? お連れの方も、ご一緒に」
本当は、逆なんでしょう? 私がお連れの方、なんでしょう?
有無を言わせないオーラがあった。だから、私は思わず、これは罠だと思いながらも、判りました、と言って、支度をするので、外で待っててください、と外にある黒塗りの車を見遣り――高そうだな、車ってだけで、もう高級品なのに――、部屋に入った。
「夕子、今の人知り合い?」
「足我さんの従者さんだって」
「!」
「いい? シェイ、素直ってとても素敵なことだけど、今は危険。だから、嘘をつかなきゃならない」
「……う、うん。でも、どんな嘘をつけばいい?」
「まず、一番に自分が太陽の子だってことをばらしちゃ駄目」
「うん、太陽の子、ばらす、駄目、ね。判った」
「次に、竜であることも、自ら言っては駄目。何があってもとぼけるの」
「人の姿、知ってる、あの子」
「それでも、認めたら駄目よ」
「……判った」
「貴方は、私の友達で、家出して此処に来たってことにしておきましょう」
「家出!? …う、うん、仕方ないよね、判った」
家出なんて、シェイは口にもしたことがないのだろう。この反応からすると。
でも、今はつきたくない嘘でも、つかなきゃ仕方ない。だって、そうでないと、シェイは剥製にされちゃうもの! 殺されちゃうもの!
私はシェイの頭を一回撫でてから、それから出かける支度をした。
シェイは、ぶつぶつと自分で自分の嘘を確認している。
お嬢様の家にお呼ばれされてしまったのなら、それなりの格好をしなければなるまい。
私は少し上品に見える、白の袖がふんわりと盛り上がってる半袖のシャツに、黒いノースリーブのワンピースを重ね着して、髪の毛も一纏めにして、耳を赤いイヤリングで飾った。上にストールを羽織る。
シェイはそのままでも宜しい。だって、よそ行きなんて考えてなかったから、そんな服は買ってないもの!
私は、黒い皮で出来た小さなバックを手に、ガスを確認して、水回りも綺麗にして、それから部屋を出るべく、ドアを開けた。
「では、お車の方へ」
車に乗るなんて、初めての経験。ドキドキとするのは、その為でしょうか。それとも、胸騒ぎなんでしょうか?
初めて乗る車に、シェイは仰天する。そして、なめらかに動く景色に怯える。
そらね、普通驚くよね。私だって、少し驚いたもの。
機関車には乗ったことあるから、怯えずには済んだけれど、小さい頃機関車に乗ったときの私は、相当泣いていたらしい。
二時間くらい経ったときに、車は止まって、河のように流れる景色も止まった。
従者の人は、車の運転席…だと思うけど、そこから降りて外へ出て、私たちの座席のドアを開ける。
「着きました。足場にご注意ください」
私は、彼女の手を取り、車から降りる。シェイも同じようにして貰って、降りた。
降りてから、その着いた場所に圧倒される。
目の端から目の端まで埋まるほどの、豪邸だ。
白いお屋敷で、外から見ただけでも、部屋の数が多いのは、よぅく判った。
よかった…着替えておいて。さっきの少し汚れた服のままだったら、私は真っ赤になって慙死していたかもしれない。
従者の人の案内に導かれ、屋敷内に入る私とシェイ。
シェイは、きょろきょろと物珍しい物を見るような目で、辺りを見回している。
それから、何かを感じ取ったのか、目を少し厳しい物に変える。
私は小声でどうしたの、と問いかけてみた。よくないものでも、あったのかな。
「……皆が、逃げろって言ってる…」
「え? …皆って、空の…」
「違う。竜の皆」
そういって、シェイはつかつかと歩いて、エントランスの真っ正面にある、真っ赤な何かの塊を触る。
愛おしげに。寂しげに。悲しげに。撫でるように、何回も何回も同じ箇所を触る。
「流石、お目が高いわ、太陽の子」
突然の声に、私は吃驚として、声がした方向を振り返った。
そこには、包帯を巻き、車いすに座った、足我さん。包帯に巻かれているその姿も、麗しいっちゃ麗しい。儚さをより増して。足我さんは、従者に車いすを押させて、私たちに近づいた。
シェイは私に言われたことを思い出したのか、太陽の子と言われると首をぶるぶると振った。
「太陽の子、違う」
「隠さなくてもいいわ、私は知っているの、お前が太陽の子だって」