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雪は穢れて

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 だがそれよりも先に、シールドを張られたので、剣とシールドの押し合いになった。
 「アアアァァ!!」…と、戦士なら叫んでいたかも知れない。否、それなりに戦っている戦士ならば。……何も叫ばずに力をひたすらに剣への力増しが出来る狼の力は強く、無言にシールドを割り、「赤子」を斬った。血が自分に飛び散るのは厭だから、斬った瞬間即座にそこから離れる。
 それから、その死体を見遣る。何者か。
 「……魔物対策部部隊長、これは……」
「ええ、魔物です」
 魔物に詳しい彼がそう言うのだから、間違いはないのだろう。
 声が空に響く。
 「街の方に、声が届かない努力、魂消たものねぇ?」
 甲高い声の方を見上げると、そこには可愛らしい少女が宙に浮いていて、羽衣をふわふわと漂わせていた。若さが羨ましい。即座に個人的殺意を感じたが、冷静さを事欠いてはいけないと、自分を落ち着け、お前は? と、問いかけてみる。
 「そっちの人なら、知ってるんじゃないかしら? 餡蜜(あんみつ)って言ったら」
 少女がその名を口にするなり、魔物に詳しい彼が小さな悲鳴を飲み込んで、体を震わせる。ということは、相当に有名で、冒険者でさえも敵わない奴のようだ。
 「部隊長、落ち着け。あれは、何だ?」
「三大魔王と呼ばれる、魔物の頂点の一人です……そんなっ、実在するなんて!」
「馬鹿ねぇ、実在しなきゃ語り継がれないでしょう?」
 少女は魔物対策部部隊長の方をただの馬鹿だと思ったのか、話し相手を狼に変える。此方の方が、話しやすいだろう。それに、自分が三大魔王と聞いても物怖じしない所を見ると、肝も丈夫だ。
 少女はにこりと頬笑んで、手を伸ばす。友好の意、握手で、それを判ってはいるが、手を掴む気にはなれない狼。相手が魔物だからではない、ただ嫌な予感がするからだ。
 「それで、魔王と呼ばれるお前がわざわざ此処まで何の用だ?」
「そうねぇー、人間が何かこそこそしてるから、気になっちゃったの」
「……お前らには関係ない話だから、気にするな」
 大ありだ。毎日魔物を、同胞を殺されてる魔物にとってはとても、楽しい復讐話だ。
 人間を自分の手を汚さずに殺し合いさせるなんて、美味しい話、彼らが見過ごす訳がない。それになにより、幽霊からの条件で、戦闘員以外には真雪保護の話はするなと出ているのだ。魔物は、戦闘員「以外」に入る。
 狼は瞳に険呑な光を宿らせ、少女を睨む。
 少女は、楽しげにあははと笑うだけ。
 「でもねぇー? 流石に、ジャムが動いているってなると、気になるのよ。人間なんかより、気にしなきゃいけない存在だから」
「ジャム……?」
「あら、ジャムの存在、意味、知ってて彼を使って居るんじゃないの?」
 意外、という顔つきで餡蜜は驚く。そして少し考えて、唸る。
 「ジャムってば、何を考えているのかしらね」
「ジャムとやらは、そんなに恐いのか?」
 恐くない、と怒ると思ったのだろう。狼は手にする剣に力を込めて握りしめる。
 だが、少女は意外にも素直に頷いた。当たり前のように、そうよ? と。
 「ジャムの動き、見ていないと、こっちが破滅するわ?」
「……魔王のお前が怯えてるのか?」
「怯えて当然よ、あんな化け物。貴方達も気をつけた方が良いわ、彼が味方になるなんて一瞬だから」
「……嗚呼、そうだな、肝に留めておくよ」
 そこで、ジャムとやらが誰だか判った狼。人間でなくて、自分たちの味方をしてくれる存在といったら――抹茶しか居ないのだ。
 元々怪しい奴だとは思っていたが、魔物に、それも魔王に名前が知られている程だとは思っては居なかった。そんな奴が、簡単にただの騎士に捕まるだろうか?
 「で、やりたいことは助言だけか?」
 狼は考えることは後でにしようと思い、目の前の災いに集中することにした。
 目の前の災いは、くすりと笑い……羽衣で首を絞めんと襲いかかってきた!
 「そんなわけないでしょ! 貴方の名前も有名なのよ、ロウ! 貴方を殺せば、人間への牽制になるでしょ!? 変な動きするなって!」
 狼は羽衣を、まだ息が切れずに手が動ける内に剣で切ろうとした。
 だが羽衣は柔な見かけと違い、鋼鉄のようで、今の自分には斬りにくい。
 なので、斬るのは諦めて、剣を棄て解く方に集中した。自分の馬鹿力も、それは意外と自負ではない。
 ぐぐっとのど元が少し緩んだ。酸素が一気に吸い込まれ、少し咽せかけるが、慎重に呼吸をする。
 部隊長に目をやると、部隊長も羽衣を取ろうと手伝っている。だが、彼の力では無理だろう。例え自分とあわせても。
 微かな声で、救助を呼べ、と部隊長に呼びかける。此処で無駄な時間を浪費するよりかは良いだろうと思っての判断だ。
 部隊長は頷き、行こうとするが、魔王の手が伸び、自分の見えない方向でこきりと厭な首の鳴り方をしたのを聞いた。嗚呼、死んでしまったか、と溜息をついて、益々力を込めて、羽衣をこじ開けようとする。
 その時だった。
 「誰か、誰かー!」
 此処の通りに誰かが偶然通りかかったのか、声が聞こえた。
 そんなのを気にするわけがないじゃないか、魔王が。
 だが、それは予想外の展開だった、魔王餡蜜も、狼にも。
 「っげ!! 真雪じゃない!! やっば、逃げよう!!」
 そんな声が微かに聞こえた。聞こえたと同時に首を絞める物は無くなっていて、魔王も消えていた。
 代わりに駆け寄ってきたのは、嗚呼、向日葵色の髪の子。
 拙い。
 助けて貰って何だが、非常に拙い状況だ。
 真雪保護軍の、総大将である自分が、真雪自身に見つかるなんて!
 何故真雪を魔王が恐れるのかは知らないが、逃げようと思った。
 息もまばらに、狼はその場を立ち去ろうとした、が、腕を掴まれる。
 「何だよ!?」
 少しキレながら、狼は自分を掴む真雪へ睨みをきかせる。
 真雪は少し驚くが、それでも怖々と大丈夫ですか、と声をかけてきた。
 「平気だ、有難う、これでいいか!?」
 相手が満足しそうな答えを述べた。だが、それでも相手は離さず、今度は死んだ部隊長を指さした。
 「あの人、仲間ですか? 置いていくのですか?」
「……嗚呼」
 そこで、道徳心に欠けていたことに気づいた。自分を助けようとしてくれていた部隊長を自分は置いて逃げようとしていたのだった。
 総大将失格だ、狼は少し恐い顔を歪ませて更に恐い顔を作る。それに怯えかけた真雪に、安心させるように、何でもない、と言って、頭を撫でてやってから、部隊長を片腕で担ぎ上げ、真雪に剣を拾ってくれ、と頼む。
 真雪はにこりと微笑み、剣を拾い、頼んでも居ないのに、鞘へと戻そうとしてくれた。
 ……ええと、此処での通常の反応をせねば、怪しまれるだろうか。そう狼は心の中で溜息をついて、愛想笑いを浮かべて、真雪に有難う、と言った。
 「助けてくれて有難う、死ぬところだった」
 それは正直な気持ちだったが、本音を言うならば別の人物に助けて貰ったらこうもややこしい事態にならなかっただろうに。
 愛想笑いに真雪は照れて、ぼっと顔を赤くする。女みたいな反応だなーと、真雪のうぶさに顔の筋肉が引きつる。
 「恩人のお前の名が知りたい。僕は……ええと……」
作品名:雪は穢れて 作家名:かぎのえ