雪は穢れて
千鶴は、最初は恐れ多いと首を横に振っていたが、狼が長い時間をかけて説得する内に、そして庵も一緒に説得してくれたお陰で、自分が副将でもいいのだ、と思えるようになってきた。
庵は、魔法使いにも協会というものがあるらしくて、その協会に協力を要請したら三人程魔法使いを送り込んでくれた。そのうちの一人だ。魔力は強く、石はダイアモンド――最上級の位置だ、よく狼は暗殺相手としては見慣れている――。そして何より魔法の知識が深く、呪いにも長けているので、何かあったときの対処としては最適だと思い、彼女を他の者が反対する中、推した。他の二人は男だった。これは、偏見だろうが、魔女という言葉があるくらいなのだから、魔法に関しては、女が適任だと思ったのだ。
まだまだ男尊女卑が少し見えるこの世の中、自分の力を意外にも評価してくれた狼に、庵は敬意を持って接している。
何より、女性なのに、こうして総大将という地位に上り詰めたのが同じ女性としては誇らしく、女性の上司というのが嬉しく珍しかったので、応援をしたかった。
「真雪はどうやら、僕の顔を覚えてしまっているようだった」
「御大将を? それは、何故また…」
「理由は、多分、僕が盗人を転ばせたのを見たから、だろうな」
「狼様、盗人を捕らえたのですか? 珍しいことをしなさる。事前に協会から私が聞いていた狼様の話とは別人のようですわ」
「庵、失礼だろッ」
「あら、なら千鶴はこうして話す前の狼様のイメージ像、どんなのだったのかしら?」
「……御大将、すいませんっ。自分は……自分は……ッ!!」
庵に笑われながらも、千鶴は今まで脳内に抱いていた酷く血の臭いが濃厚で、毛むくじゃらの男の姿を口にすまいと思いながらも、目の前の上司を見る度に申し訳なくなるのだ。
それを見て、狼は無表情に順番に自分より背丈の高い千鶴の頭を撫でてやり、それから背の低い庵の頭を撫でてあげる。千鶴は子供扱いされたのだと思い押し黙り、庵は狼の手の感触が意外と柔らかくてそれを楽しみ、嬉しそうに頬笑んだ。
「僕に対してどんなイメージを持っていようと構わないよ。女と認識して、上司と認識して、お前らがちゃんと働くなら」
「そこらへんは、もう、ね?」
「お任せ下さい、我らが御大将」
二人はタイミングを合わせたように、にっと笑いかけてきた。それを見て、満足げに頷き、やはり自分の右腕となるのならこの候補がいいな、と改めて思うのだった。若すぎる、だけが反対の理由ではない気がするのだ。若すぎる、からどうしたのだ。力が備わっていればそれでいいというのは、自分で実践済みだろうに。
(自分の元からあまり使える駒は外したくないからか。やはり、そうなら、副将に相応しい――)
「御大将? どうかなされました?」
「いや、何でもない。それでな、僕の顔はもう向こうには覚えられているから、僕はもう絶対に表には出られないことが確定したと教えておこうと思って。それと、真雪を観察したり、護衛するときは同パターンの組み合わせはやめておいた方が良い。一回組んだだけ、でもだ。覚えられ、不審に思われる。それを各種、最下級の兵士にも言っておけ」
一回、話したわけでもなく、見ただけでそこまで既に予測している狼の洞察力に二人はただ感心し、判りました、と了解の意を唱える。
「真雪に関しての情報は、明朝、抹茶の情報とあわせて話し、似顔絵を各自に渡す」
「狼様、ついでにパーティメンバーも調べておきましょうか?」
「ついでと言わず、是非に頼む。行動パターンを読みたい。それと、出来れば、今度の冒険先も調べろ」
「パーティメンバーは調べられても、冒険先は私には調べられませんわ。それは、あの兎にお任せしましょう?」
「……じゃあ、誰かに伝えておけ。情報部部隊長にも、一応警戒しておけ、信用しきるな」
「了解」
「……じゃあ、僕はもう行くが、先に言おう、いいか、呉々も私的に対立するような奴は即座に殺せ。意見として対立するのなら、ねじ伏せろ。僕はお前ら二人の揃った意見なら、文句は出ない」
首にしろ、ではなく、殺せ、という辺りが暗殺者の名残だろうか。
背中を見せかけたので、横顔で片目しか見えなかったが、二人には狼の怖さがその片目だけでも十分と判り、事前に狼について聞いていた話に嘘はないと確信した。
二人は、もう信頼しているのもあるが、もし彼女が何か間違いをしてもあまり対立はしたくないなと、心から恐れた。それでもきっと間違ったら訂正するだろうけれど。二人での意見なら文句はないと言うのだから。
冷水を一気に浴びたような感覚だった。
狼が去るのを見てから、ふぅ、と息をついて、どっと汗を流す千鶴。
庵はそれを見て、苦笑した。
「王様も残酷ね」
「……暗殺者に、守護しろって、無茶苦茶だ。……まぁ、あの方なら、徹底的にやるだろう。あの方なら出来るって、信じてるぞ!」
「……だといいのだけれど。私、すごーく泥沼になりそうな予感がするわ?」
庵は先が思いやられるという顔つきで、溜息をついた。そして、露店にあるアクセサリーを手に取ったり、置いたりを繰り返す。
どういうことだと言いたげに、千鶴は庵の後をついていき、庵にあげたら喜ぶだろうかと思いながらも、自分もアクセサリーを見遣る。
「……話したことも、正式に会ったこともない人の顔を覚えてるって、それなりに意識しているってことでしょう? 真雪くんは、もしかしたら、狼様のこと好きなのかもね」
「まさかぁ! 王女様相手になら判るけど、あの方相手に……そんな……恐れ多い」
「確かにあの方は外見は男より男らしいけれど……心の綺麗な子ってね、悪に惹かれるのよ? そして、悪も悪に惹かれる。……あの兎、怪しいのよね」
「あの兎は、元から怪しいぜ? 何せ、王女様のペットからいきなり、情報部部隊長だ。どんな手を使ったんだか」
「……千鶴。憶測は、いいのだけれど、……さっきから、王女様王女様って、煩いのよ! この馬鹿!」
庵はそう怒鳴ると綺麗な顔を歪めて、手にしていたアクセサリーを千鶴の顔に投げつける。店主は文句言いたげだったが、庵が店主が何かを言う前に「このアクセサリー、この人が買うから」と言ったので、店主は頷き、文句ではなく値段を言った。
*
魔物対策部部隊長と話しながら街を歩いていた狼。
すると、暗がりの道に入った途端、人が誰も通らなくなり、否、徐々に減り……勘が働いた狼は、部隊長に剣の準備をしておけと言った。
「俺は弓しか出来ないのですが……ッ」
「街中で弓を放てば、目立つ。例え、此処でも。……僕のナイフを貸す、出来る限り守るが、自分の身は自分で安全確保しろ」
そんなぁと見捨てられた子犬のような目を年上の親父にさせて、一番使いやすいナイフを手に渡してから、自分は剣を抜く。
そして、辺りを見回し、気配を感じたところへ、蹴りを放つ。
蹴りが放たれたのは、空気中。だがそこは確かに「歪み」、そこから何かが生まれる。人でない「何かが」。
狼は無駄なことを喋ろうとせず、生まれて間もないその「赤子」を切り刻まんと慈悲の欠片も向けず、冑割りを目指す。