雪は穢れて
半目で抹茶は笑いかけてから、耳を三回撫でるとその耳は人間のものへと変わった。
狼は便利だな、と感心して見遣り、それから抹茶から視線を外し、真雪の情報に当てはまる人物を街へ入るなり捜す。まだこの街に滞在中と情報を得た。
狼は素早く視線を人から人へ動かしているが、それはただ早さに拘っているわけではなく、ちゃんと人物を見抜いてスルーしているのだ。
暗殺者の洞察力が、此処で役立っているのだ。その点を言えば、王が狼を選んだのは正解だろう。
「……あの子は……」
丁度捜しているときに、また、向日葵色の髪の子に会った。
向日葵色の髪の子は、此方をじっと見ている。その子は、視線を隣の抹茶へ移し、それからまた自分を見つめた。
狼は、脳内に真雪という情報を思い出していた。
「髪:金色」
あってる。
「瞳:赤」
あってる。
「魔力レベル:赤石(初級)」
あってる。
……待て、決断を急ぎすぎるな。これで違う人物だったら、大変だ。
隣にいる抹茶を見ないようにしながら、そして口早に、唇をあまり動かさず囁く程度の声量で聞いてみる。
「抹茶、あの向日葵色の髪の魔法使いが何を言ってるか、聞こえるか?」
「抹茶、兎。兎の聴力、物凄いです」
それは肯定ととっていいだろう。抹茶は、向日葵色の子を見つけてから、それからは視線を別にやり、耳だけ傾ける。
『――あの人だ……ねぇ、ねぇ、美闇(みやみ)、あの人が居る』
『あの人だァー? あの人って、あれか、この前盗人転ばせたっていう男か?』
『女の人だよ、あれは! 何で信じてくれないかなー。ちゃんと、胸あるのに』
『詰め物だよ、オカマだよ。あの顔は、どう見たって、どっかの姉ちゃんと一発やってそうだ』
『むー』
抹茶は聞いてて、何だか無性に笑いたくなった。会話の内容は、どうやら狼について、らしい。それを教えてやろうと思ったとき、向日葵色の髪の子が、言葉を発した。
『……素敵なのに』
……何故だか、イラっときた。
自分の上司を褒められているのなら、喜ぶべきところなのに、抹茶はその途端に視線を向日葵色の髪の子へ向ける。
向日葵色の髪の子は、少し頬を染めながら、この血生臭い雌を見ている。
嗚呼、あの子に教えてやりたい。この雌は、血に塗れていて、体は血で洗っている、手も血で洗っているから、お前は近寄るだけで怪我をする。だから、近寄るなと。
……この感情は、嫉妬、だろうか? この自分が人間相手に? しかも、この薄汚れきっている人間に? 当てはまる覚えがない。きっと、汚れているこの人間を綺麗な者のような目で見ているから、苛立つのだろう。無知は嫌いだ。
そう考えると馬鹿馬鹿しいので、素直に抹茶は会話内容を教えた。
すると狼はあはは、と声を立てて笑った後溜息をついた。
「やっぱり、男に見えるか」
「……ろーくんです?」
「僕だからか、僕だから男に見えるっていいてぇのか、この野郎」
「おいといて、……ろーくん視線、気づく、凄いです」
「……うん、この間もちらっと見ただけだったのにな。記憶力もいいな……、下手に近づいたら僕らは駄目だな、きっと覚えられている。他の者も、近寄らせるにせよ、同じ者は使えないな……」
「ろーくん、暗殺得意。ということは、視線を自然なものする、得意。人の渦に逃げる得意。でも、あの人間、ろーくん、一目で気づいた」
抹茶はただ者ではないと言いたいのだろう、なんとなくそれは判ったがにわかに信じがたかった狼。魔力が高い魔法使いでも自分は気配を殺して、その魔法使いを殺せる。それなのに、魔力の低いあの子供は判ったと言うのか、何処にいても気配は判るというのか。
……狼は向日葵色の髪の子を見遣る。向日葵色の髪の子は、自分と視線が合うと、顔を少し赤らめて、それから不器用に頬笑んだ。
……抹茶の聞き取った内容からすると、女と言うことも見抜いた。洞察力もある。
(それでは、まるで暗殺者の素質があるようではないか)
自分に災いをもたらす者が死ぬことと言い、記憶力といい、気配の察知する力と言い、洞察力。
「……抹茶、こいつぁあまり下手に舐めてかかると、大変かもしれないぜ、真雪があれなら」
「ろーくん賢いです。ろーくん、そう言う、正しい」
抹茶も、あの人間の何かを嗅ぎ取ったのだろうか。ただ者ではない匂いを。
抹茶はまだ耳を傾けていて、そして仲間と話してる内容を聞き取り、その人間が――真雪と確かに呼ばれたのを確認して、にっと笑う。
「ろーくん、あれ、まゆきです」
「服装をメモしろ。外見も判りやすく。どんな魔法を使うのかも調べておけ、それによって魔物への対応を考えておく」
「判るです。あ、ろーくん! 何処へ行くです!?」
「……後のすべき事は自分で見抜け。僕は他の部隊長にあれが真雪だと教えに行く」
「……抹茶、置いていくです? 一人、危険」
「大丈夫だ、今僕の後ろにお前の身辺警護を頼んでる奴が居る。嗚呼、振り向くなよ。まぁ、僕としては信用しているかどうかはともかく、王女様からもお前を守れって言われてるからな、信用に値すると思うぞ。頑張れよ」
狼はそう言って、さっさかと人混みへと紛れた。紛れる前に向日葵色の髪の子に、微笑みかけてから。
向日葵色の髪の子は、照れながら手をふってくれた。
(この分では、一番僕が彼に近づいては駄目だろうな)
狼は溜息をついて、他の部隊長の下へ行った。
「御大将だ」
若白髪が目立つ赤茶の髪の青年が、此方へ寄ってくる狼に気づいた。
狼から、基本的に街中で動くときは二人以上の部下と居るのを避けろと言われていたのを思い出して、一緒にいた紫の長い髪を持つ女、魔法対策部部隊長の庵(あん)を別の場所へ移動させようとしたが、狼は目でしなくていいと制した。それに従う若白髪の青年。
「副将候補、魔法部部隊長、真雪を確認した」
敬礼は目立つから、という理由でするなと言われているのだが、騎士の時の癖でついついしかける。その前に庵が「千鶴(ちづる)」と口で窘める。
副将候補と、千鶴と呼ばれた若白髪の青年は、窘められ、苦笑を浮かべてから、それでも、と一応挨拶の代わりなのか、狼に頭をさげる。礼儀正しいのだろう。騎士というのは礼儀を重んじると聞く。
狼は二人を見て、いつ見ても対照的だな、と思った。
千鶴は浅黒い肌に、白い服を好む。それはきっちりと着込まれて。庵は白い肌に、黒い服を好む。露出的な。
なるべく自分に刃向かうことがなさそうで、保護とかに適している部下を選んだのだが、この二人は自分でも人選は間違っていなかった、と思うくらい手際よく働いてくれる。
それどころか自分に足りない、保護するのに必要な要素をこの二人が一番持っているだろう。優しさ。忠誠心。道徳心。
最初は狼を恐れていた二人だったが、真雪について話し合いをしている内に、どんどんうち解けてくれて。だから、副将にはこの千鶴を推したいのだが、王はよぼよぼの宮廷大臣を薦めてきている。任せると言ったのに。
それについて衝突した。なので、結果、副将にさせることは叶わず、候補という呼び名がついてしまった。