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雪は穢れて

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 「……御大将ぉお……」
「泣くな千鶴。大将はもう、お前だ」
「コヨーテ様は、いつまでも、自分の主です。貴殿に自分は忠誠を誓ったんです。だから陛下の命令なんて知りません。自分は駆け落ちする身ですから」
「……その駆け落ちについて行きたいと、思ったのは、我が儘かな」
「!」

 まだ、まだ夢があるこの人には。
 この人には、嬉しくも自分たちと生きたいという夢がある。
 庵もそれはきっと喜んでくれるだろうし、自分も大歓迎だ。まだまだ剣術だって教わりたいのだ。

 「……御大将、お願いです」
「ん、何だ?」
「生きる夢を描いていてください。例え、処刑人の剣が振り上げられても、最後まで生きる希望を捨てないでください。どんな状況でも貴殿は貴殿で居てください」
「……――ああ」

 返事をすると、千鶴は去ってしまった。
 千鶴は驚くだろうか。此処へ投じられてから、目隠しの布が涙で湿っぽいままだということに。
 今もまた、嗚呼、嬉しい言葉をくれるから。
 (お前は、最高の部下だよ――)

 過去形ではないのは、約束したから。
 どんな状況でも、自分は自分で。そして生きる希望を捨てないと。

 (お前らがどうにかしてくれるのを、待っている……幸い、隠し球にも気づかれてない。一発、腕の中に入って居るんだ)

 獣は、チャンスを伺っている。洞の中で、大人しくしながら……。
 ぎらぎらとその隠された瞳を、輝かせて、穏やかに獲物に食らいつける日が来るのを待っている。

*


 「……そう、そうなの。狼さんは、そんなことを……。あの人は……暗殺者の癖に……」
 幽霊から報告を受けて、自室に籠もっている真雪は窓のすぐ側で黄昏れて、ため息をつく。
 真雪にしてみたら、計画は全て狂った。
 まず始めに狼との初見がいけなかった。気まぐれに人を助けることもあるのだと、悪の面しか今まで信じ込んでなかった真雪には天と地がひっくり返るほどの衝撃で。
 それでそれを親に報告したら、此方を見ていて、お愛想を貰ってしまった。
 …………仮面の部分しか、見てない。それでも、真雪はその仮面ではなく、仮面から臭う、嫌悪していた薄暗いさび色に惹かれた。
 純色のようでいて濁っていて、濁っているかと思えば分離していて。

 二度目の邂逅。
 狼が殺されかけていた。自分より先に誰かが狼を殺すのは許せない。それはただの仇を討ちたい気持ちだったのに、少し素の部分が剥がれて見えて、それで少し判らなくなった。
 一緒にいた人間をそのまま捨てておこうとしたのだ。
 その姿を見て、やはり悪は悪だと思った。そして仮面はやはり少しずれていても、つけられたまま。

 三度目の邂逅。
 完全に仮面がつけられた。
 相手が演技をする。弱いふりをする。その行動は見抜いていたのだが、その時に一緒にデザートで悩んだ姿が、仮面からもさび色からも離れて見えて、普通の女性として見えた。
 彼女は気づいてなかっただろう。可愛いなぁと思う気持ちと、今すぐにでも首を捻りたいという気持ちで渦巻いていたことに。あの場に、霊気が渦巻いていたことに。

 色々な面を見てしまった。
 その姿は憎くも、愛らしくも見えてしまい。
 とどめには、あの言葉。
 魔物と人間の死を同じものとしている言葉……。

 その瞬間、捕らえられてしまった。
 狼の胃袋に、雪は収まっていた。
 狼は純粋の雪なんて食べたことなかったから、行きずりの恋だと言っていたけれど。
 行きずりの恋だったら、仇相手なんかにしないだろう。
 もっと他の、街には魅力的な女性は山ほど居た。狼は、惚れた身が言うのも何だが、女性らしいとは言えないし、可愛い容姿とは言い難い。
 だから、行きずりならば、それ相応の娘や、同い年の子が街にはいたのだ。滞在している間に、恋することは出来たのだ。
 それなのに、どうしてか、あのさび色の獣に目がいき、演技でぶりっこをすればするほど、狼が引いていくのが楽しくて仕方がなかった。
 だけど、それと同時に、自分の恋する気持ちそれ一つを現すのならば、その態度は変わらぬものだった。全部が全部、演技ではなかった。

 「……ワーミーコヨーテ・パプリカ……」

 その名を知ったのは、幼い頃。物心ついた頃から魔物と暮らしていて、両親は義父母で、誰が自分の親の仇かを、とくと教えてくれた。幽霊達も親の噂をしてくれた。
 どうやって親が死んだのか、親がどれほど自分を思っていてくれたか。
 それを一晩で無にしたのが、彼女と、野良犬。
 両方とも憎かった。憎かったはずなのに……。

 兎獅子と、じゃれる姿を最後に見て、この企みを思いついてしまったのは、きっと嫉妬。
 復讐心ではなく、どちらかが死んでしまい、どちらかの思いが消えればいいと思った嫉妬心。
 抹茶か、狼。どちらかに死んで欲しかったのだ。
 両方と人間側が言い出したら止めるつもりだったが、案の定、狼は自分一人で責任を請け負った。
 ……何処までも、さび色の気配がする場所は、自分が引き受けるつもりなのだろうか、あの女は。

 今でも憎くないかと言われれば、憎いと答えられる。
 あのとき、復讐が失敗したのだって悔しいし、額の石を壊されたのだって腹が立つ。
 だから逆を言えば、今まで以上にむかついてる。

 だけど、実際に彼女が、死を選ぶのを聞いたとき、何処かまた嫉妬心が疼いてしまった。 偽善者ぶるな、という思いと、何であいつのために、という思いが溶け合った。

 「……パプリカさん。……好きです」
 相手が此処にいない。それなのに、此処で口にする勇気のない告白。
 狼が死ねば自分の元に来させるのは簡単だろう。だがそこまで今、この子供には頭は回らなかった。回っていたとしても、やはり触れたいと思うだろう。
 真雪は、もう一回、目を閉じて、好きです、と呟いて、拳を握り……窓の硝子を砕いた。自分には降りかからない硝子。幽霊が守ってくれるから。
 窓は突然外の冷気が入り込んで、部屋の室温は一気に下がる。
 これは、今夜は寝冷えしそうだから、部屋を変えないとと思いながら、ふと外を見てみると、晴れているのに、雪が降っていた。
 自分の名前のように、白い、雪。そう、白……い……はず、なのに。
 外を見下ろすと、普通雪の降った後は雪化粧で素晴らしい銀世界の景色の筈なのに、雪はひっくり返され、汚い泥まみれの雪塊がそこら中に広がっている。これでは、美しい象徴の雪という存在が、侮辱されているようだ。
 原因はすぐに分かった。これらは魔法で降らされた雪であり、それをひっくり返したのも、その魔法使い。外にはローブを被ってもすぐに判る高度の魔法使いが。庵がいた。

 「……俺を、馬鹿にしているの…?」
 真雪は、幽霊越しに庵に問いかけた。
 雪は自分の表れだ。本名にも雪の名はあるし、魔法使いとしての名は雪そのもの。
 その自分を、土で汚れさせた姿を見せて。
 庵は精霊を使って言葉を伝えた。

 『雪なんて、人にとっては迷惑でしかないのよ。実生活』
 その言葉にかっとして、真雪は思わず、窓から身を乗り出し、魔法使いに怒鳴る。
 雪の中というのは、音が伝わりにくいはずなのに、不思議とその声は庵に伝わる。
作品名:雪は穢れて 作家名:かぎのえ