雪は穢れて
抹茶はただ、嫌いとも好きとも思わず、ほんの少しの同情をあげてやった。
自分以外の誰が同情してあげられるというのだろう。思い上がりだろうけれど、自分を自分で笑う彼女は、己から何か言葉を求めていると思う。
だけど、同情など滅多にしたことのない自分にはどう言葉をかけていいか分からないので、下手に言葉をかけず、素直に思ったことを言うだけにした。
――所詮、自分には人情など無いのだ。そう思えても、抹茶は不思議と悲しくはなかったのだが、これも嘘を自分についてるのだろうか?
「慰めようにも慰められねぇな。惨めだもんよ、お前。育てた世界にも、生み出した人々にも、お前を産んだ魔王にも、攻撃されてさ? 味方は、お前、魔物だけさ。人間の失敗作。動物の失敗作」
「それに、その両親は……きっと、貴方の手で殺されるのね」
「嫌?」
「ううん、別に。だって、もう……どうでもいいもの。私を嫌う世界なんて」
そう言ってもやっぱり、抹茶は宣言したとおり慰めなくて、ただふぅんと頷くだけで。
そんな様子の抹茶を見て、餡蜜は少しずつ透けながら微笑み、羽衣を彼にふわりと掛けた。それだけは幻じゃなかった。
「それでも、貴方と本気で殺りあうゲームは楽しかったわ」
「バカ。ゲームは楽しいからゲームっつうんだよ。楽しくなかったら、オレは他の奴と変わンねぇよ」
「……貴方の感覚で、世界を育てれば、失敗……なかった……かも」
餡蜜の幻が完全に消えた。
抹茶は羽衣を纏い、あばよと呟き、勝利に喜ぶ人間達を映し出す。
(どいつもこいつも、馬鹿面だ――)
(神が死んで、そんなに嬉しいのかね――?)
(餡蜜、あいつらと同じになるのは嫌だから、テメェの親殺しはしない――)
思念すると、声が聞こえる。
幽霊が出てきてバカらしく真雪のことを軍の奴らに再度、傷を付けるなと通告。
真雪達のパーティは城の財宝を漁りたいという名目で、餡蜜の、此処の城へ向かってきている。
大人数で行動するとばれるので、千鶴と野良、そして別の者がなった魔法部部隊長が此処へとやってきている。
そして……。
「あの軍で一番利口なのは、ろーくんの次はテメェにしてやるよ」
にやり、笑うと、景色を一切消す。
少し寒いので羽衣に包まれて。
羽衣は、徐々に餡蜜の悲しみが広がるように赤く染まり、かつて受けた愛情のように体を温めたが、見た目的には凄惨な光景になった。
血の羽衣に包まれた兎。この姿を見た獣人や魔物は、またこういうのだろう。
兎の皮を被った獅子と。獅子も狼と変わらず血まみれだ。肉食獣。
「実際、人の皮を被ってるのは誰だか、魔物だか動物だか知らないけどさ? オレはただ自分の人種に素直に生きてるだけなのにな」
*
自分たちが入った途端に閉められる大きな扉。
千鶴と野良は吃驚して、後ろを見やるが時すでに遅く、もう逃げられない状況だった。
魔法部部隊長はそれでも怯えて逃げだそうとしていたが、扉に挟まれてしまった。
挟まれて、大きな扉に力をかけられれば、言わなくても分かる惨状。
一瞬にして立ちこめる血の臭いに、野良はくすっと笑い、千鶴は何処か不気味さを感じていた。
(本当に、これらの全ては……真雪が?)
庵がどうかうまく立ち回っていることを願うばかりだ。
千鶴は行くぞと声をかけて、剣を抜きつつ、慎重に歩む。カンテラは野良に持たせて。
「野良、千鶴、来るなッ!」
狼の声が城に響いた!
狼の声に千鶴は反応して、御大将! と、駆け出そうとしたが、野良に止められる。
止める野良に不愉快な顔をして、野良を見やる千鶴は止める理由を問うた。
「僕のことを、野良って呼んだよ? っていうか、何で扉が閉まったイコール僕らが来たって思うの? その名前の中に、庵が居ないのは何で?」
「……罠?」
「そういうこと。まぁ誘われてるんなら、行かなきゃね。此処で立ち止まっていても始まらないけれど」
そう言ってすたすたと先を歩んでいく野良の背中を見やり、千鶴はそれなら止めるなよとぶつぶつとふてくされる。
千鶴は温室育ちの騎士だから判らないのだ。罠と知って突入することと、罠と知らないで突入することの違いが。
……暫く歩いていると、王室の王座に鎖で縛られて捕らえられてる狼の姿があった。
意外な光景に、千鶴は吃驚として思わず御大将、と叫んで急いで歩み寄って鎖を解こうとする。だが、野良はその光景を見やるだけ。
せめて、そこで助けようとする素振りでも見せるだけでも、印象は違ったのに。
「アルテミス、逃げろ!」
この罠が初めて、自分向けだと悟った瞬間、アルテミスは体が動けなくなっていた。
この呪縛は魅了でも、魔法のものでもない。
戸惑い、狼狽えるが一切体の呪縛が解けることなく、狼は千鶴だけはせめて守ろうと、千鶴に動くな、と命じる。
千鶴は訳が分からなかったが、狼の視線で真雪の狙いがアルテミスなのだと知る。流石に狼も含まれているとは察知できなかった。
「ごめんね、貴方達の用意したパーティは義父さんと義母さんが殺しちゃったよ」
真雪の無邪気な声が聞こえる。子供独特の。酸いも甘いも知らないような。
だがこの子供は他の子供に比べれば、色々なものを見てきた部類に入るのだろう。
真雪の存在に気づくと、野良は真雪を睨み付ける。
睨まれれば、真雪は現れて、木の杖を両腕に抱き、にこりと微笑む。
「この瞬間を待ちわびていたんだよ、野良犬のアルテミス」
「何故本名を?!」
「……――」
同じ暗殺者でも、こうも反応が違うのかと真雪がため息を。
その様子で、もう野良には救える可能性が無いと狼は悟る。
「千鶴、あいつが死んでも、僕の側から離れるな。僕の側以外の場所は全て危険だと思え」
「御意」
狼を主だと決めつけたことを狼は知らないが、それでも主らしく命令した。
ただその命令は千鶴を思いやってのことなのだが。
「アルテミス、今からでも遅くない、呪詛返しを……」
「パプリカさん、これは呪いじゃないよ。例えば、これを仮に一般市民へやっても彼らはなんてことないと思う。じゃあ何故あなた方は動けないんだろうね? ……これは、あなた方が殺した人の分だけ霊圧がかかって、重くなっているからだよ! 因果応報ってやつさ!」
「僕は殺していたのは動物だ! 魔物だ!」
「……人でないなら、いいと思うの? 野良犬。そう、じゃあ俺の父様と母様、他の親族は動物って言うんだ?」
「は?」
「アルテミス、その子供は僕らが賭けに使っていた家の生き残りだ」
その言葉に、野良は漸く落ち着きを取り戻すが、そこから出た言葉は意外なものだった。
それはきっと、聞くのは一番狼が辛いだろう。
「あれは、僕たち暗殺者が悪いんじゃない。確かにゲームにしたのは僕らだけれど、元からターゲットだったんだから、殺される予定だったんだ。依頼した人が悪いんだ」
その言葉を聞くなり、真雪の笑みの温度が変わった。種類が変わった。否、正確に言えば、笑みは徐々に消え去り、……憎悪だけしか宿らぬ、静かな鬼の顔となった。