雪は穢れて
抹茶は顔をまだ少し赤くしたまま、隣でちょこんと体育座りをする。その様子を見届けてから、狼はタバコを取り出して、その全てが水でしけって使えないことに苛つきながら、言葉を紡ぐ。
「僕の家系は代々暗殺業を営んでいて、まぁ、今生き残ってる僕の血族は居ないんだけどね。……僕の家系は、村を徐々に壊滅させるとそれで一人前と認めるんだ。誰にも気づかれず、ただ引っ越してきた家庭として暮らし、人を暗殺する。練習さ。その最初の殺しが、アルテミスの飼っていた兎。あいつ、殺すのを笑って許したんだ。最愛のペットを。何よりも可愛がっていたのに……しかも、あいつ、僕の家系の秘密を探って、秘密を知ると自分も暗殺者になるって言い切って、姿を消した。現れたのは、仕事先さ。再会するとあいつは、あの兎殺しを許したときと同じ笑みで、僕へ笑いかけた」
「…………」
狼はタバコを高級品とされるカーペットへ投げ捨てて、天井を見上げて苦い顔をする。彼女は何を思いだしているのか、その瞳には確かに自分は居ないことを感じた抹茶。
過去には別に居なくても構わない。だが同じ兎だからと連想されるのは厭だった。
「僕には言う資格が無いのは判っているけれどね、自分から殺しをしたがる奴にろくな奴はいないよ。僕は綺麗ぶるつもりはない。僕は汚い人間だって言っただろう。僕だって殺してるさ。見ろよ、その剣。綺麗な色だろ。……綺麗って奴は、どうして危ないものになればなるほど、綺麗になるのだろう」
「折れたことは?」
「ないよ。ただの一度も。本当さ。お前で切れ味、試そうか? ……冗談さ。作戦が終わるまではしないさ」
今すぐではない所が最初とは違い、好意を少しでも抱いてくれてる証拠なのだろうけれど、それでは抹茶は満足はしない。作戦が終わったら用済みのような物言いだからだ。
抹茶は剣を抜いて、それを手に持ってみる。暗い室内へ窓からはいる星明かりを僅かに集めて、輝くその太刀筋は綺麗だ。綺麗だが見た目に反して、重い。抹茶は、やはり攻撃などとは自分は無縁だと感じた。
「小さな頃から使って居るんだ。手に馴染む剣は今やそれしかない、かな。その剣が何を言うか判るか? 判らなくて良いんだ、判らない奴のがまともだ。……聞いちゃいけない要望が聞こえるんだよ。手を通して。……殺せ、とか、血を吸いたい、とかね。もう、妖刀になってるのかもしれないね。それに僕は、答えるつもりはないと言えたらかっこいいんだけれどね、こんな生業だ。答えれば剣は強くなるし、金も手に入る。文句はない。僕には、人殺ししかないんだ。……僕は、暗殺者の宿命を受けて居るんだよ。僕に関わった人は、大抵死んでしまうんだ。……野良もそう遠くない未来に、きっと死ぬだろう」
「それは何より」
抹茶の素直な返答に、それまで天井を見上げていた狼は吹き出し、苦笑を浮かべた後、小さく笑い声をたてて、頷いた。同じ気持ちだ、ということだろう。
庵の見立て通り、一番靡かないというのはあっているようだ。例え昔なじみでも。
「それなのに陛下は、僕を総大将にする。僕に人を護れと言う。庵は僕を信じている、千鶴も僕を信じている。……僕にはそれが辛い。僕の所為で死んだら、厭だ。でも僕は……」
「……――」
「一人で、立ち続けるのは、疲れるよ」
暗殺者の本音かどうかはそれは判らない。その場の空気に流されたのかも知れないし、何気なく語ったらそういう言葉が出てしまっただけなのかも知れない。
でも、それを言った後の狼は酷く清々しそうで。
自分は悪夢から解き放すことが出来たのだろうか、抹茶は首を傾げながらそう問うと、狼はふんと鼻で笑い、剣を奪い取る。
「今の言葉は、魅了技の所為ということでいいんだろう? 僕は庵が心配だから、見に行くよ。お前は寝ていろ。移動中は抱えないぞ。何処に何が何時出るか判らないんだからな。僕は知らないなりの行動をしなけりゃならない」
「……確かに逃げ道を残したけれど、それぐらい答えても損はねぇんじゃねぇの? それと、テメェが明日から一番疲れるんだから、……寝てろ」
最後の言葉は強い魅了技を使い、狼を床につかせた。
深い眠りに陥っても、もう連ねる単語が何もなく色気のない寝顔を見ると、抹茶は深い溜息をついて、自分が部屋を出て行く。
「あの雌は、オレが見てやるよ。しょうがねぇから。代金は、さっきのキスでいい。……畜生、人の気持ち利用しやがって! 可愛くねぇ肉食動物だ!」
口は罵っているのに、抹茶のその顔には笑みが宿っていた。悪戯好きをしそうな子供のような笑みに。
*
目を覚めて気づいたことがある。
一つは、窓に魔物、否、魔王餡蜜がいること。
もう一つは、餡蜜の羽衣が自分の首を絞めていて、生死を彼女が握っていること。
更にもう一つは、その餡蜜からは殺気が感じられないこと。
狼は起きあがろうとせず、横にごろんとなって、窓へと視線を向ける。窓はすぐそばにあるのだ。
「……ロウ、久しぶり。貴方の返事は、イエスかノー。首をふるだけでいいの。それ以外のことをしたときは、判るわね? 利口なロウなら」
こくり、首を縦に振り、狼は目覚めの悪いこの光景が一刻も早く解放されるのを願う。
このような状況になってもきゃーきゃー騒がない度胸に、餡蜜は苦笑して、それから顔をひきしめて少女は子供から大人の顔つきをする。否、魔物を纏める頭領としての顔つきを。
「ジャムを呼んできて」
二人きりで何かを企むつもりなのだろうか。そうだとしたら、それは困る。なので、狼は首を横に振った。縦に振るほうが命拾いする空気だが、朝日の位置を見て、そろそろ誰かが迎えに来る頃合いだと思ったので、その誰かの気配に運を任せようと思った。
騒ぐことも許されないのなら、きっと人には見つかりたくないのだと悟った。
案の定、餡蜜は殺す気配もなく、そう、と静かに頷いて、自分を解放した。
「私、貴方達のこと調べたの。でも、動物が邪魔をして情報は来なかった。ただ情報は、貴方と真雪が接触したことだけ。そしてジャムが此処にいることだけ。だからね、貴方に教えておくわ」
「……けほ、なんだ?」
狼は解放された喉に痕がついていることを確認もせず、ただ少し咽せて、冷静に尋ねた。
その落ち着き払った性格は人間にしては中々で、流石暗殺者と餡蜜は感じながら、一言残して、姿を空に混ぜる。
「あの仔は、貴方の手に余るわ。あの仔どころか、あの仔の仲間も。ジャム以上に危険分子よ」
一瞬、理解が出来なかったと言えば嘘になるだろう。
元から危険分子だと思っていた。存在は、何せ、此方の世界全てに影響する。
それなのにそれを改めて言う意味も判らないし、何より彼の仲間を含める意味が判らなかった。
(整理しよう。真雪の親は、蜂蜜と黒蜜という推測がある。もし、これが本当ならば、何故冒険者などという職業を許したのだろうか。それは勇者を目指す行為であって、いずれ自分たちの元へくるというのに)
(そもそも餡蜜を彼らに倒させる必要があるんだろうか。こんな時期に。早すぎる、成長速度から見ても。まだそんな強さはないのに、ただの自信家だとしてもそこまでいけるか?)