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雪は穢れて

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 前々から魔物や、獣人から聞いていた抹茶、否、ジャムという兎は、誰がどうなっていようと構わない。どんなに親しくてもただの駒だと扱う人物だと聞いていた。そして、それは実際に今までの彼の戦歴からも見て取れる。
 昔、世界各地で動物たちが人々に反逆し、襲いかかり、危うく「魔物」に認定されかけたときがある。その時、それを収めたのは獅子の獣人、アーザーだと聞いたが、その時の彼の様子は魅了時の様子そのもので。そして、その反逆した原因を動物たちは、思い出そうとすると、色々と複雑な事情が絡んでくる。誰も彼もが。そして、最終的には判らない、で終わるのだ。ただ一人、アーザーを除いては。アーザーは、酷く兎の獣人を恐れていた。
兎を見る度に、怯え、昔の彼を知っている者は驚愕するという。此処でまず、出てくる兎。
 そして、他にもう一つ動物が起こした大きな事件と言えば、魔物と動物が協定を結んだことがあって、でもそれは魔物を殺すための偽装だということがあった。
 それでも魔物は未だに動物を信じる。その劇のシナリオを書いた人物を知っているし、それを書いた人物は本気で魔物を滅ぼそうと思っては居ないと言うことを判って居るからだ。
 そのときのキーワードも、確か兎。
 この二つ、きっとジャムのことなのだろう。
 その二つとも、命を何とも思ってない扱い方で、ただゲームをこなしているようだった。
 だけど、目の前に居るこの噂の人物は、何とあろうことかたかが人間一人のことで激高している。
 それも、自分の思い人のことで。
 ――コヨーテってば、どうやっててなづけたのだろう。
 本人がその心の呟きを聞いていたのなら、きっと狼はこれぞといわんばかりに厭そうな顔をして何もしてないと主張するだろう。
 「……ジャム、君は人間だろうが、人の名前を覚えないと聞く。獣人語で話すときは。それなのに、今、何故コヨーテは、性別としての認識じゃなく、馬鹿、と呼ぶ?」
 それは確認だった。抹茶の中の、狼への思いの大きさへ。これで動揺したら、それは自覚していない、そして動揺しなくてもこの返答で大きさを知るだろう。
 「道を与えられないと動けない馬鹿だからだ。今度はオレが道を与える」
 抹茶は、少しだけ悔しげな顔で、脳裏に向日葵色の少年を思い出して、苛立つ。
 それから、部屋を出て行きながら、庵の部屋に、もう一人見張りを増やして貰おう、と思った。
 今、下手に彼女に何かされて、千鶴や狼が動揺しては困るからだ。


 抹茶が出て行った後、庵は詠唱中だというのに、思わず噴き出して笑ってしまった。
 その時の、野良の顔が、酷く悔しげに憎らしいという感情を顔に刻んでいるようだったから。

 「……貴方じゃ、勝負、という道しか与えられないものね?」
「黙れ。黙りなよ。それ以上言うと、殺すよ」
「……おあいにく様。今殺したら、間違いなく誰が殺したかは、抹茶が証言してくれるわ」
「……中々憎い女だな、君も!」
「……安心すればいいじゃない。例え抹茶でも、あの方へは道はあげられないわ。……真雪くんにしか、出来ないのよ。全ての命運を、握っているのはあの仔……それでも、あの方は真雪くんには引いてるから誰もがあの方を手に入れるのは無理なのよ」
「……手に入れるのが無理だって?」
 野良は嫉妬の醜さをこれでもかと表した顔のまま、笑う。醜い笑顔。庵は、何かを呟いてから、野良とは違う美しい笑みを携え、背中を向けてドアへ歩く。
 「どんな人だろうと、あの方はきっと振り向かない。力ずくでも無理よ。特に可能性がないのは、貴方。あの方は触れようとすればするほど、逃げるわ」
「……僕は昔、触れたさ、こうやって」
 そう言い、野良は庵を捕らえようとしたが、その途端手に電気がびりっと走った。
 静電気の鎧を全身に纏い、庵は振り返って加虐的な笑みを浮かべた。
 「舐めないで頂戴。これでも、魔法使いのダイアモンドクラス。詠唱する時間さえあれば、対応だって出来るのよ」
「さっきはしなかった癖にね」
「……貴方が、あの方の敵でも私の敵という確たる証拠がなかったからよ。これからは貴方を見たら、この魔法を使うわ?」
 庵は微笑み、室内をゆっくりと出て行った。向かう先はきっと、……資料室。
 益々油断は出来なくなった。早く魔物の言葉を覚えなくては、と使命感に燃える庵。
 あんな部屋は、野良犬にくれてやろう。資料室には、門番が居るから自分が何処にいたかもきっとその人が名言してくれるだろう。

 「……コヨーテ……君は、もう一匹狼じゃないんだね」
 庵の部屋で一人呟く野良。
 その目に宿る何もかも凍てつくような殺気が、室内中に溢れていて。
 此処に羊一匹でもいたら、八つ当たりで殺されていたかも知れない。それも死体の処理の仕方も野良は巧いので、誰にも気づかれず……。
 (……手に入らない? だから追うんじゃないか。ただ、誰かの手に渡ったときは……)
 暗い部屋で、一人呟いて、にやり。


*

 抹茶は今まで誰かのために水をくんだりなんかしたことなかった。
 そして、その折角汲んだ有難い水をかけられても起きない人間なんて見たことがなかった。ただ今度は魘される言葉に寒いが混じっただけ。
 何をどうやっても起きる気配が無い。悔しいが、本当に数年に一度の深い深い眠りのようだった。
 眠り姫という物語を聞いたことがある。姫にしては随分、雄々しい姫だと抹茶は溜息をついて、狼が寝ている水浸しベッドの淵に座る。
 (早く……早く起きて、テメェのそのトラウマ聞かせろよ。一言一句漏らさず聞いてやるから。オレ、耳いいんだから)
 起きてからなら彼女は何かしら対処出来るだろうし、何かはけ口が必要ならばなってやっても構わない。高くつけるが。
 だがしかし、夢の中で、それも起きないとなると、どうしようもない。
 (深く眠っているっていうけれど、深く眠る場合は夢なんか見ない筈だ。だから、今は浅い眠りなんだろう。……なら、今が起こすチャンス? 水に反応出来たくらいだし)
 狼が反応しそうなこと。……より恐怖に陥らせてみようか、と厭なことを思いつく抹茶。
 耳元で兎が一匹、兎が二匹とどんどんその数を増やしていく。人々が眠りにつきたいためのおまじないのようだ。
 だが、これは狼にとっては逆のようで、効果を発揮した。ばちりと開眼するなり、傍にあるナイフを手に、自分に恐怖を与えていた存在を無意識に切ろうとしていた。
 そして相手が抵抗もせずに自分の顔近くに居るのが判るなり冷静になり、やはりナイフで刺そうとした。
 そこで初めて避ける抹茶。離れて逃げる。
 「ついに寝首かきにきたか」
「違うです。起こしてた」
 狼はよっぽど腹立たしいのか、それとも寝起きだからか苛々としていて、抹茶を睨み付けて持っているナイフを、顔面めがけて投げつける。
 くるっと横へ側転して、抹茶は避けて、鼻で笑う。
 「恐怖心、見えなくなります?」
「……あ? 何が言いたい?」
「落ち着くです? ナイフを投げる、ろーくん、それで冷静?」
「は?」
「兎恐い。なら、抹茶、人になります」
 そういって、抹茶は己の耳を三回撫でて、完全に人の姿と化した。
作品名:雪は穢れて 作家名:かぎのえ