雪は穢れて
僅かに視線が此方を見遣るような動きを見せた気がする。視界に入れるような。はっきりと視線を合わせられないが、様子を見たいため、目の端に入れたいような。
千鶴と庵に警戒しておけ、との意で視線を一瞬だけ送り、二人とも受け止める。
(見えさえ、『出来れば』? ……見えないときもあるということか)
でもそう考えさせることすら、彼の考えの内かも知れない。とりあえず、それは脳の隅に置いておくことにした狼は、続きを聞く。
「普通の見方をすれば、勇者ならば倒せるでしょうね。それなのに、何故、彼らは餡蜜を倒そうとしないのか」
「理由は判るか」
「ええ、これでも専門家ですから。裏事情には詳しいし、勇者一行に会って聞いたこともあります。餡蜜を倒せない理由、それは……大量の人工的な火でないと、彼女は大きなダメージを受けないのです」
「人工的な火? 魔法は違うのか?」
そこで庵に視線をなげかけ、庵の知識を貰わんと。
庵は少し考えた後、ゆっくりと紅の乗った口を開いた。
「どの種類の魔法も、人工的に、そう、例えば自力で火をおこしたり、マッチで擦った火の強さとは少し強さも種類も違うのです」
「自然の火、じゃないのか? 自力で火をおこすのは」
「自力で火をおこす、これは人間の力、人間の本質的な力を使っています。マッチも人間が考えたこと。“人間”が関わっているか、“精霊”や別のものが関わっているか、それによって火力は違い、威力も受ける魔物によっては違います」
庵が説明し終えると、野良は庵に有難う、と頬笑んでから、説明を続ける。
「勇者達はその時、魔法の火力しか作れず、しかも大量に火薬を運べるわけありませんから。旅に食料や、燃料は必要といえど、帰りのことを考えれば、そんなに持って行けるわけがありません。他の冒険者達も、それで苦労しています。だがしかし、我が軍ならば火薬を大量に持って行き、魔法対策部の力を借り、魔法と見せかけて倒すことも可能です。人材もあるし、荷物だけ届けたりする部隊もあるし、いざとなれば、召還魔法で下僕に持たせればいいのです」
「それは、あいつらにその魔力があっても不自然じゃないとしての考え方だろう」
狼が溜息をついて、じろりと野良を睨むと、野良はやはり頬笑んでいた。
その顔の表情の変化はない。
「そこで、真雪の出番です」
「……は?」
「餡蜜は真雪から逃げたいでしょう。だから、きっと魔物を沢山送り込んできます。その間、我々で冒険者を装い餡蜜を真雪の近くにじわじわと近寄せるのです。気づかないように。そして、ばったり鉢合わせ。我々と共闘して、その共闘させる魔法使いの中に魔力が強い者を配置。共に魔法を唱えさせる、すると魔法で火が現れますよね? ……そのタイミングに合わせて、ありったけに込めた火薬を打ち込むのです。嗚呼、貴方の力も見せた方が共闘っぽいですね。ミサイルありますし。きっとそれも効果的です。急所に当たれば、死ぬでしょう。人間ですら、顔に命中すれば、砕け散りますしね」
微笑みながらぐろいことを言う。一同は想像してうっとなったが、狼だけは平然と嗚呼それもありだな、と頷き、綿密にその他の確認をする。
「連絡方法は?」
「通信機を、最先端の技術の他国に作ってもらいました」
「お礼状は?」
「既に贈り終えてます」
「誰が確認した?」
「副将です。使い方は……」
説明を耳にしながら、一回取り上げられた自分の紋章のバッジにつけられた黒いものを弄る。それから、人に頼んでつけて貰い、試しに使ったり使われたりしてみて、最終確認を終えて、狼は今日はよく寝ること、と言いつけた。
何せ、これから先はいつ眠れるか判らないからだ。
*
抹茶はぴょこぴょこと、一歩一歩大きな足で狼の隣を歩く。
狼が少し疲れて見えるのは、庵と千鶴に見張りがついたからではなく、ライバルのように現れてきた野良のせいではなく、一緒に眠ることになった誰よりも危険な存在、抹茶のせい。
その原因と言えば、物凄く嬉しそうな顔で、えへへと笑っている。裏ではどんな笑顔をしているのだろうと、狼は城の廊下に唾をはきたくなった。此処がもし城でなかったら、抹茶にどういうつもりだ、と怒鳴りつけて、剣を抜いていただろう。
「……――」
溜息をつく。相手していると疲れる抹茶、その上更にこれから抹茶を可愛がっている王女に許しを貰いに行くのだ。王女はただでさえ、自分を好いてない。それなのに、抹茶を彼女から取り上げたら自分はどうなるのだろう。
そんな心配を予測していたかのように、抹茶は王女には自分だけでおねだりしにいくと言ったが、当然のように王女の部屋まで自分を付き合わせる抹茶。何を考えているのか、全く判らない。自分だけで、とは部屋かららしい。
笑みを浮かべ続けている抹茶を睨み付けるように見遣っていると、抹茶はふりかえり、鼻で笑う。それを見る度に狼は、この兎を今すぐ切り捨てたくなるのだ。そして、そんな心理を見抜いているからこそ、「鼻で笑う」という行動を取るのだ、抹茶は。
(昔は冷静に対処出来ていたのに……、人間は感情に弱いなァ。まぁ、オレも人のこと言えんがね。もし、ろーくんはオレが心からはしゃいでいるのを知ったら、どう思うンだろうなァ?)
「何をにやけている?」
射抜くような強い視線は、居心地良く、抹茶は半目で首を振って、何でもないという意思表示をする。
あと少しで王女の部屋だというところで、狼が切り出した。身を、ではなく、話を。
「抹茶、お前は本当にどうしたいんだ?」
「……――」
そんなことを言われても、抹茶の表情は変わらない。ただ、ふりかえり、にこにことした人専用の「仮面」を外さない。
でも、言葉の「仮面」は外せる。相手には、その言語は通じないのだから。
「欲しい人間が一人、殺したい人間が一人、操りたい人間が一人」
順番に言うと、狼、真雪、野良。野良も殺したいのだが、殺さずに操って彼女の目の前で苦しませて、彼女が苦しむ姿を見る方が楽しめそうだと思ったのだ。
獣人語で言われても、顔をしかめるだけの反応しか出来ない狼。獣人語が判ったら、この時何かを読み取れていたのかもしれないのに。
この遠征? が、終わったら、庵から獣人語を教わろう、と狼は密かに決心をする。
そして、その決心が固まったときに、王女の部屋に着く。部屋の外で待っていてと意味する言葉を精一杯に人間の言葉で狼に伝えると、抹茶は愛想たっぷり、邪気なんて全くありませんという姿で、茶目っ気たっぷりの姿で、王女の部屋へと入る。
廊下で、狼はタバコに火をつけながら、くだらない茶番だ、と思った。
「モネちゃん?」
室内に入ると、お香が匂う。動物にとっては異臭以外の何者でもない。抹茶には、未だに何故こうやってお香や、香水を庵や王女や、女性が炊くのか理解出来ない。
草木や花に似せようとしても、それはただの異臭以外の何者でもないのに。