雪は穢れて
「真雪? あ……この前のオカマじゃねぇか」
「……オカマ?」
少し首を傾げるふりをする。その様子に、怒らせないうちにと思ったのか、真雪が美闇は狼を男だと思っていると説明しだしたのだ。
「男だったら、スカート履いてないだろ」
「だから、オカマ。喋り方も、なんか妙に芝居がかった感じだし」
「……悪かったな、僕は元よりこういう喋り方しか出来ん。真雪、彼は君のパーティなんだろ? 僕は彼とは気が合いそうにない。この話は無かったことに……」
「ええ!? そんなぁ!! だ、大丈夫ですって! 美闇! 謝れよ!」
「ああー? この話って、どういうことだよ」
そこで自分の判らない交渉が真雪と狼の間で交わされていることに気づく。真雪は少し離れた場所まで美闇を引っ張る。丁度その頃合いに、抹茶が兎の姿でやってきて、狼の足下にすり寄る。
(蹴りてぇ。これ、蹴ったら、絶対幸せになれるって)
などと思いつつも、彼らの会話を予測してみようとしたが、それは必要なかった。美闇が周りにも聞こえるほど大きな声で喋っているからだ。
「剣士ならオレが居るし、あんな男いらねぇし、分け前減るだろ、あの魔物相手にするにも!」
「美闇ッ、女の人だってば! 怒るよ!? 今度、あの魔物を相手にするのなら、三人じゃ役不足だよ」
「……あんな片腕しか使えない男女に何が出来るってよ?」
その言葉に、よし、いいタイミングだ、と口の端をつり上げて、二人に近寄る。
兎がまとわりつくが、踏まれても仕方がないだろう、これは。
「誰が使えないって?」
「え、あ、狼さん……!」
嗚呼聞こえてしまった、と真雪は溜息をつき、狼狽える。
美闇はというと、好戦的な目をして、狼を睨み付ける。その目の鋭さは、まだまだ死線をかいくぐったようには見えない。まだ、迫力が足りない、と勝手に内心で評価しながら、狼は本当の鋭さを出さない程度に睨み付ける。
「僕は男に負けない自信はあるんだけれど?」
「女は結局最後には男に負けるんだ」
庵が聞いたら怒りそうな台詞だ、とその場にいた軍兵は軽く思ったという。
狼は少し怒ってるように見させ、尚かついつものような鋭さを消して、フンと鼻を鳴らして見せた。
「それなら、この喧嘩を静まらせてみようか?」
「……つまりは、力ずくで取り押さえるってェ? っは、無理だ、過信するなよ」
しているのはお前だ、と毒づきかけて、狼はにこりと頬笑んで……美闇を片腕で殴った。
その衝撃に周りは驚き、今度は新しい喧嘩か、と目をやる。喧嘩が飛び火するのはそう珍しいことではないが、またしても剣士同士だと知ると、周りの者は場を少しあけた。
一言で言うなら、避難。
美闇は立ち上がり、口の中の歯が一本折れているのに気づくと、片腕のくせに良い腕していると少し悔しがりながら、睨み付けて笑う。
「そういうのはな……静まらせるっていうんじゃなく、火を注ぐっつうんだよ!」
あえて、避けずに殴られる。それもその早さについていけない鈍さというものを、見せながら。本来の彼女自身なら、避けるどころか簡単に相手を殺せていただろう。
だが、此処は女らしくなってはいけなく、そして尚かつ自分もある程度力があることを判らせるところだ。
狼は殴られた衝撃にも耐えて、一歩さがってから、何も言わずに今度は回し蹴りを。
少し飛びすぎる姿を見て、力をもう少し加減すべきだったかと思うと同時に、鍛えろと狼は同じ剣士を見る視線を向けた。
否、自分は剣士とは少し違うだろう、自分は、と少し顔を顰めた狼。顔を顰めた彼女を蹴れたのに何故そんな顔をするのだろう、と真雪は首を傾げた。
そんな真雪の様子にも気づかず、狼は無表情に顔を戻し、思いっきり倒れている美闇へ指をちょい、と手招くように煽った。
美闇はプライドを刺激され……上等だ、と狼と喧嘩し合った。
(そこに現れるのは、真雪くんと狼様。そして……剣士の美闇。けんかっ早いのなら、喧嘩好きでしょうからね? 見るのも。そこで貴方は貴方を軽く見ている美闇くんを挑発するのです。ほら、よく言うじゃないですか)
抹茶はつぶらな瞳で、その様を、くだらない茶番だと呆れて見ていた。
(――下手に話し合うより、男の方は拳同士で語り合った方が打ち解けると)
計画はすこぶる、順調だ。
*
「あれ、庵部隊長は見に行かなくていいのですか?」
一人、城で次の策を、そして情報を待っている庵に、通りかかった部下が聞いてきた。
庵はにこりと王女とは質の違う妖艶な微笑みを部下に向けて、それから、自分の匂いは勘づかれたくないと口にした。
千鶴は指揮を執るのを任されたので現場に居なければならないのだが、自分は別だ。
自分は、今の段階では居なくてもいいのだし、それならば、と此処で策を練ることにした。それには狼も、頷いていたので、安心してこうして策を練っている。狼曰く、あの子供は勘が鋭すぎる上に記憶力が良いので、見ない顔もいた方が良い、だとか。
「ねぇ」
通りかかり、そして上司が大丈夫と言えば立ち去ろうとしていた軍兵は、突如庵に話しかけられて、何でしょうか、と慌てて彼女が策を練って見つめている書類の束が出来ている机に駆け寄る。
庵は、その様子を見もせず、ただ資料を見て、言葉を口に乗せる。
「……まだ、真雪くんの親元は判らないの?」
こんなにも数ある資料。それなのに、一切、親に関する情報だけが抜けていた。
それだけが、きっと幽霊が何故真雪に構うか判る判断材料だと、庵は見ているのに。
……役に立ちたい。役に立って、狼の満足のいく結果も出したいし、千鶴とも話が出来る切っ掛けを作りたい。副将と決定した日から、女子が千鶴で騒ぎ出したので、中々接触できないのだ。抹茶、狼、真雪という関連でないと。それに、千鶴はもう候補ではなく、立派な副将。自分なんかが気軽に話しに行ける立場ではないのだ。
まるで抹茶の狼へのかまい方のようだ、と自分でも少し呆れてしまうくらい、気づけば彼女は千鶴に恋いこがれていた。抹茶はきっと、狼への思いは無自覚だろうけれど。……彼、千鶴も自分に対し好意があるのは自負できる。だが、難関がある。王女の存在だ。彼にとって、何よりも大事な存在だ。本来なら仕えるべき主の親族であるし、何より王女とのやりとりを千鶴は頬を僅かに染めて話してくれた。
気ままにパーティを組んだり、禁呪の書と戦っていた自分には、仕えるとかそういうのはあまりよく判らないが、それでもそのかけてくれた言葉のありがたみだけは、何となく判り。
(だからといって、手加減はしないわ)
庵は予想していた、まだ不明ですという部下の報告を聞くと、有難うと頷いて、もう行くよう命じた。
それから、給仕の何時間か前に入れてくれた紅茶を飲み、一息つく。
……ふと、空気のざわめきに気づく。精霊達が何かを囁いて、騒いでいることに気づく。
恐らく魔力がダイアモンドクラスでないと気づかないほどの囁きだが、異質な空気に思わず立ち上がり、純銀の錫杖を手にする。
「……何方のご来訪?」