雪は穢れて
「僕はですねっ、忠実に自分の手足、否それ以上に動いてくれる部下が欲しいのです」
「わしでは、出来ぬというのか!?」
「貴方の古い考えと僕の思考回路は、全く違う! 第一貴方は自我が強すぎる!」
否、それを言うなら、自分もだ、と千鶴は苦笑した。それを大臣に見つけられ、睨まれた。千鶴は、苦笑を消して、一礼する。
それを大臣はフンと鼻を鳴らして一笑する。
狼は、溜息をついて、大臣と王を交互に見遣る。
「もし彼が副将にならないのならば、僕はおります。目に見えた負け戦はしないタチなので」
「狼?!」
流石にその発言には、王は狼狽える。物理担当者が死んだ知らせは聞いているし、今までの依頼からで彼女の力強さを知っている。
彼女が人間の中で、勇者の次ぐらいに力があると見ている王は、その発言に狼狽える。
「君がおりたら、それこそ負け戦じゃないか!」
王はそう言いながら、彼女の弱みを脳内で必死に捜す。軍に縛り付けるため。だが、それは狼に見抜かれ、狼は王をぎろりと睨み付ける。
「僕、そんな難しいこと、言ってます?」
「あ……」
「陛下、僕はね、国って統率者が必要だけど、その代わりは幾らでも居ると思うのですよ」
暗に其れは、自分を殺すぞと脅していることに気づいた王は、真っ青な顔で、視線だけで千鶴に助けを求める。
狼は千鶴にちらりと視線をやる。その目は睨むようで、王を助けるなと言ってるようで。端から見ると。
だが、今がアピールするチャンスだと訴えてる、と本当の意味に気づき千鶴ははっとして、大声を張り上げる。
「陛下! 自分は、確かに情に脆いところがあります! しかし、お言葉でしょうが、今回の件は情が何より大切だと思うのです。目的が、守る、ことですから!」
「若さは過ちを犯しやすい!」
「老いたら過ちは決して犯さないのですか?!」
「少なくとも慎重に……」
「陛下、政をするのと、今回の件は全くもって別なのです。それはもう、お判りでしょう?」
千鶴はその言葉を最後に王へ、視線を。自分を睨む大臣、自分をもう見遣らず王を見遣る上司、そのどちらも気にせず、自分の主人へ視線を。
(御大将のお役に立ちたい。最強の暗殺者の元で、腕を磨きたい。そして磨かれたその腕でこの国を守りたい)
その一心で、強い強い強い眼差しを。
……その視線に、王は負けた。
狼は振り返り、自分の視線だけでタイミングに気づいた千鶴に、よくやったとの意味合いで頭を撫でてやったのだが、千鶴はまたしても子供扱いされたのだと少し心の中で落胆した。
*
これで漸く軍の指揮が取れると安心して、狼はその日はもう動かず、疲れを癒すべく風呂へ入り――この作戦中は城に寝泊まりしているのだ――、ベッドへ横になった。
「あー、疲れた……」
正直に言おう。ぶっちゃけ、面倒だ。こんな事をするのも、調べるのも、守るのも、王を説得したのも。
それでも今、安心して安らげるのは、副将が彼に決定したからだろう。これで安心して自分が何かするときは、指揮は彼に任せられる。
そもそも守るのが目的ならば、彼が指揮をとって後を任せれば大丈夫だと思うのだが、ただ強くなりすぎた自分の腕を憎むのだ。
「新しい物理担当者……探しかぁ」
ベッドでごろんと寝返りを打ったときだった。
布団の中で何かがもぞもぞと動いている。虫にしては大きい。上半身だけ起きあがらせて、布団を捲りあげると……中には、茶色の兎が居た。
(……このクソ兎)
狼は顔の筋肉を引きつらせ、兎の耳を片手で持ち上げて、軽く壁へとぶん投げる。
動物愛護団体が見たら、きっと彼女を訴えるだろう。
きゃうっと鳴き声をあげて、兎は壁へと叩きつけられ、地面へ落ちる。
そして、瞬くとその兎は、ほぼ人の形をしていた。……抹茶だ。抹茶は涙目で頭を労っていた。
溜息をついて、隣にある剣を取りやすい位置に寄せる。
「僕の寝首を取りに来たか」
「痛い、です。乱暴です、ろーくん」
「煩い、死ね」
そう言って、狼は身近なナイフを投げつけた。反射神経で、抹茶は交わす。
「ろーくん、落ち着くです?」
「……落ち着いて殺し合いするか?」
「物騒です」
「お前相手には物騒にならんと、こっちが死ぬわ」
そう言ってもう一本ナイフを投げつけるが、今度も交わされた。自分のナイフを二度も避けるとは生意気だ。
これ以上は労力の無駄だと思ったのか、狼は抹茶へ近づく。
その時にふんわりと香った、風呂のシャンプーの匂いが、王女がいつも身につけている香水の匂いより、とても良い香りがしたので、抹茶はどきりとしたが、それは表に出さない。そして、首根っこを掴まれ、部屋を追い出される。
「二回死ね」
何故二回なんだ、と心の中で狼につっこみつつ、抹茶はちぇーっと王女の部屋へと戻ることにした。一人寂しく廊下を歩こうとした。
(ただ、一緒に寝たかっただけなんだけどなぁー)
心の中で抹茶は拗ねる。丁度その時に肩を掴まれそうになったので、飛び退いて、後ろを振り返ると、そこには千鶴と庵が居た。
「……何の用です?」
「……抹茶? あのね、お願いだから、狼様の安らげる時間を邪魔しないであげて?」
「?」
「御大将は、いつも気を張っていて、否、余計に気張っていて、何処にも隙がない。だから、安らげるのは唯一あの部屋だけなんだ。女性の部屋に入っただけでも、切り捨てたいくらいだ」
「……仕事柄あの方は深い眠りにつけないけれど、それでも安らぐ空間は必要なのよ。だからね、邪魔するのなら……容赦しなくてよ」
そういって、庵は瞳に怒りを宿らせ抹茶を睨む。千鶴は元からいつも抹茶を睨んでいるので気にならないが、彼女が負の部分を見せるのは珍しい。
にやぁっと抹茶は笑った。
「あの雌は何処に居ても安らげねーよ。血の臭いで。血に呪われてる」
獣人語で言った。
だから、判るわけないのに。
「私と千鶴が居れば、安らげるわ」
と、いとも容易く庵が獣人語で言葉を返してきた。
それに、少し目を見開くが、どうせ自分の存在の意味を知って、猛勉強したのだろう、この雌は、と思考して笑った。よく此処まで言葉を操れるようになったものだ。流石は狼が認めた実力なだけはある。獣人語というのは、書物があるわけでもないし、決まった文章の形もないので複雑なのに、それをたったこれだけの日数で操れるとは。
「勉強家だねぇ? そっちの雄と違って」
「彼は彼なりに勉強家よ。今も必死に物理担当者を捜しているわ」
「……ふぅん? まぁ、いいや、どーでも。おめーらがいても、あの雌は安らげない」
「何故? 私たちは信頼されてるわ?」
「……おめーらが、こうやってこそこそとあの雌を守ってると、オレがちくったら、あいつ怒るだろーなァ?」
そのにやけた顔を、ぶん殴りたい衝動にかられた庵だが、自分には腕力が無い。
その上に、彼は王女のペットだ。へたに触れない。出来るのは、言葉の武器だけだ。だから、自分は冷静になるように努める。
「逆に喜ぶかもしれないわ?」
「あの雌の習性はもう、知ってるだろ?」