雪は穢れて
フンと鼻を鳴らして睨み付けてくる相手を、抹茶はくすくすと笑い、狼には判らない獣人語で話しかける。
「オレが人間相手に嫉妬するたぁ、思わんかった。だけど、おめーと真雪のやりとり見てたら、むかついたんだよ、ろーくん。どんどん、醜くなってきたのよん」
「? 何だ、人語で喋れ」
「真雪には笑いかけるのに、何でオレにゃ笑ってくれねぇの? 何でオレが恐れられてるって知っていたのに、餡蜜相手にオレに助けを求める行為はしなかったの?」
「だから、判らないってば。僕は暗殺関連の学しかない」
「判らなくていいんだよ、判ンなきゃこうして本音、言えねーんだから。なぁ? 馬鹿馬鹿しいよな? お気に入りのオモチャ取り上げられた気分さ」
「……抹茶、離せ。この二人の術を解け」
「ジャムって呼べよ」
「解け! この二人は大事な戦役だ!」
「ジャムって呼べ、このクソアマ!」
獣人語で怒鳴り、抹茶は狼の胸ぐらを掴む。それでも、揺るがない強い眼差しに、嗚呼居心地が良いと思うと同時に、泣かせたくもなるし、笑う顔が見たくもなる。
胸ぐらを掴んで、一つ判った。
首を絞められた痕がある。首輪のようだ、と抹茶は思った。
気にくわない抹茶は、狼の首元に顔を埋めて、甘えるように抱きつく。
何だか様子が違う。狼は眉を吊り上げたまま、訝しげに抹茶? と聞いてくる。
「甘えるなら、王女様のところに行けよ」
「……ろーくん、欲しい物があるです」
漸く人語を話す抹茶に、安堵して狼は溜息を。
「……王女様に頼めよ。僕は人殺ししか出来ない。元より守れってのが無理だ。だから、今日、ああして一人死んだ」
「……ろーくん、悪くない。真雪の所為」
「……でも、真雪に助けて貰った。嗚呼、くそ、予定外だ」
「……ろーくん、真雪、助けて貰う、厭です?」
「当たり前だろ。僕の存在がばれてしまった。後は、この軍の存在がばれないことを祈るばかりだ」
その解答だけで、少し心が軽くなる抹茶だが、まだむかつきが取れないので、ぎゅうと抱きしめる。そんなことに慣れてないので、狼はただどうすればいいのかと溜息をつくだけだった。
「お前の目的と欲しい物って何なんだ?」
「目的、今変わりました」
「何?」
獣人語で言ってやる。
「おめーを苦しめる真雪の死が目的。ろーくんが、欲しい物」
「……だからぁ、獣人語は判らん」
「判らなくていいです」
そう言って、抹茶は、庵と千鶴にかけた術を解く。途端に夢から覚めたようにはっとする彼ら。そして、千鶴は抹茶を必死に剥がす。庵は今何が? と、狼に状況説明を求める。
「御大将から離れろッ、この兎ー! 王女様だけでなく、御大将にまで手を出しやがってー! 今度は庵か!? 庵に手を出したら、ほんっとう殺すぞ!?」
「やだぁあ! ろーくんと一緒、いいですー!」
「……気に入られてしまったようですね、狼様」
「……参ったなァ」
大変な部下を持ち、狼はまたしても溜息をつくのだった。そして、溜息が癖になりつつあることに気づき、また溜息をつく。
*
明朝の会議で、狼は責められっぱなしだった。
「何故姿を見せた」「何故そのまま死ななかった」「何故真雪に助けられた」「それでも、暗殺者か」。暴言の嵐。それも仕方がないので、狼は甘んじてそれを受けて、ただ苦くタバコを吸った。
その度に庵と千鶴が状況説明をして、彼らを説得しようとしたが、今こそが自分が総大将になり彼女を蹴落とすチャンスだと見たのか、ここぞとばかりに狼は責任追及された。
「じゃあ、聞くが――」
千鶴が普段の威厳のある騎士らしい態度と口調で、彼らを睨む。
「この中で、御大将を殺して、魔物に立ち向かえる勇気のある者は?」
「自分なら殺せます」
「自分も魔物なんて斬れますよ!」
「嗚呼、そうか。じゃあ、餡蜜も倒せるんだな?」
その言葉で一気に静かになり、重い空気が舞い降りる。それに狼は苦笑する。庵は千鶴を少し見直してから、千鶴に続けて言葉を発する。
「餡蜜、黒蜜(くろみつ)、蜂蜜(はちみつ)の、三大魔王が向こうには居りますわ。此方には、抹茶と、人間の有名どころでは何方が居るのかしらね?」
にこりと妖艶に笑い、そう言葉を続ける彼女。誰も何も文句は言えなくなった。
「勇者」が居る、と言いたいが、それは此方の軍勢ではないし、王も許可しないだろう。
魔物が相手となるのなら、勇者が向いてると誰もが思う。だがそれと同時に、勇者でも未だ倒せていない魔王を相手に生き延びた狼の強さを思い知る。
「責任は、辞任でもいいけどな、その後誰が指揮を執りたい?」
執る、ではなく、執りたい? と訊くことで、誰が魔王を相手にしたいかと問うているのだ。
勿論、誰も何も言えない。
自分が魔王を相手に生き延びる自信が無いからだ。狼でも苦戦するのに。それまであった自信は儚く消え散った。と、思ったが、一人の部隊長が手をあげた。
「自分が執りたいです」
誰も手を挙げないと思っていた千鶴と庵は狼狽えたが、狼はふぅんと頷いて、席を立ち上がる。
「じゃあ、僕と殺し合うか、お前」
「ええ、何事もやってみないと判りませんから。もしかしたら、噂だけの人物かもしれませんし? 運がいいだけなのかもしれません。よくあるじゃないですか、小さな喧嘩が大きな喧嘩に見られるって」
「嗚呼、そうだな。そうかもしれんな。それに、男と女だ、力の差があるかもしれんしな」
「いい加減にしろ! 王が頼る程の人材に、自身が敵うと!? 自惚れだ! やめておけ! 御大将、貴殿も煽らない!」
千鶴が即座に立ち上がり、机を叩き怒鳴る。それを目線で狼は制する。久々に鬱憤晴らしが出来る。人を殺せる、そう思うと、狼は凶悪的な笑みを浮かべて、此方へ、と会議していた部屋から内部が見える別の部屋へと連れて行った。
その部屋は、数秒で血生臭い匂いがしてきた。
狼はタバコを吸ったまま。それも、息切れもしてないし、呼吸を大きくしていたわけではない証に、タバコは通常の減り方をしていた。片腕だけで切り倒し、タバコを吸ったまま切り倒した。
――自分に私的に反発するものは殺せ、と言っていたな、と千鶴は思い出した。
まさに、この光景が、それを本気で言っていたことを象徴している。
身の毛がよだった、千鶴。庵は、またしても死者への祈りを呟きながら、自業自得だと思った。人間の中で誰よりも恐ろしいのは、この二人が判っている、一番。
きっと、会ったときから。でも、この人のほんの少しある優しさにも縋りたかった。そして、統率力もきっとこの中では一番にあると思った。
「なぁ」
会議室に戻ってきた狼に、千鶴と抹茶と庵以外の部隊長達は怯えた。
「この話はこれで終わりでいいと思うのだが、どうするか? あいつ、確か物理攻撃対策部部隊長だったよな?」
つまりは、この中で一、二を争うほどの攻撃面での達人だったと。それが赤子扱いだ。
狼は、溜息をついて、どうする、と一同を見遣る。
「……魔物を斬れるとか、皆言ってたよな? 任務、誰がつく?」
これぐらいの嫌味は言って良いだろう、千鶴は一同を睨む。そして、牽制する。この方を怒らせるな、と。