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白翁物語 その4(完結)

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美希には分かっていた。
別に打粉を振って油膜を拭わなくても、その一本は手にするか、地肌を見れば分かるだろう。
しかし、ここへ来させた魂胆は別なところにあるのではないのか?

「私の守り刀となるかわりに、私を守り刀にしようとしているのですか」

答はなかった。

廊下を伝う健一の足音が近づき、襖が開いた。

「持って来たよ」

健一は息をのんだ。
刀の前に美希が正座している。
それが異様に美しいのだ。
もちろん和服ではない。
学生服である。

足も足袋ではなく白いソックスである。

単に高校生の女子生徒がまっすぐ刀を見て正座している。

それだけのことなのに、近寄りがたいこの雰囲気はなんだろう。


美希は音もなく立ち上がると健一に近づいた。

当然畳の縁などを踏んだりはしない。


「何か言ってなかった?」

美希が省略した主語は山田老人だということは分かっている。
何かが刀以外の事を指しているのもわかる。しかし別段思い当たることはない。

「あれだけだよ」

「そうか」

じっと顔を見ながら何かを思索していたが、

「一緒に見てもらえるか」
質問というよりは確認をするといった口調だ

「鑑定は出来ないよ」

「別に名刀が欲しいと思っているわけじゃない。肌がどうでも実用には差し支えないからね。ただ、山田さんがくれようとしたものを一緒に探して欲しいんだ」

「僕もみるのかい」

「私が抜いたものをね。多分すぐにわかるよ。新々刀か現代刀で直刃だろうから」

「直刃?」

「うん、山田さんはあまり乱れが好きじゃないと思うから、あってものたれだと思う」

「でも美希は若いだろ?」

「うん」

「三本杉のようなのとか」

「孫六を?まさか」

「なんでもいいよ。美希が気に入ればね」

「だから一緒に見て欲しい」

「え?」

「私の気に入る刀が健一の気にも入れば、私の仮説が正しいということになる」

「仮説って?」

「そうなるかどうか分からない段階では言えない」

「分かった。一緒に見よう」



美希は懐紙を口に含むと定寸の短刀から手にし始めた。
ほとんどは抜く前に畳に戻し、抜いても頭を振って鞘に収めるものが多かった。

9寸ほどもある寸延びの短刀を抜いたとき、今までの美希の流れるような動作は止まった。

じっくりと眺めていたが、それも粉を振ることなく静かに鞘に戻した。

美希は懐紙を無造作にスカートのポケットに入れると、健一を見た。

健一は無言で頷いた。


「さっきのは訂正、これは新刀だ」

「そうか」

「本当に柾目肌が好きだったんだな」

「よくわかったね」

「感じなかった?」

「それだけは透き通った感じがして、美希に合いそうだなと思ったよ」

「そうか」

「早速姉貴に言って鑑定書をもらおう」

「何だ、折り紙つきか?」

「なくても気にしなそうだね」

「あまり箱書きや折り紙は信用しないんだ。だって、どんないい銘があったって、気に入らなければ意味がない」

「それもそうだね。でも登録書は渡さないと警察のご厄介になるから、その刀を持って一緒に来て」

「うん」

美希は寸延びの短刀を左手に持つと健一の後に従った。


健一は親戚の老若男女の入り乱れる広間に美希を案内した。
幸子のところに案内しようとしたのだが、部屋に入った途端、美希は健一を無視して床の間に近付いた。

ざわめいていた親戚連中は短刀を手にした長髪の女子高生を注目した。

美希は床の間の前で短刀を右手に持ちかえると正座し、短刀を畳に置いた。

「こんなところで会うとは思わなかったよ」

親戚一同は息を呑んだ。
少女がまるで、床の間に友人がいるかのように話し出したのだ。
「あんたまで関わってるんじゃ、しょうがないね」
「美希」
さすがに周囲が気味悪がっているのを察して健一が声をかけた。

「何やってんだ?」

「何って、ここに白翁がいる」

「白翁?」

「この掛け軸だよ」

「その水墨画がどうかしたの?」

「そうか、健一はそこまで知らなかったんだね」


美希はそれきり黙って掛け軸に見入った。

「お嬢さん」
60歳代の品のいい和服を着た女性が美希に声をかけた。

「私は土浦の分家の鹿島と申す者ですが、その絵がどうかされたんですか?」
美希は振り返ると、右手で短刀を掴んでその女性に正対した。丁度美希が掛け軸を背にする格好になった。

「鹿島様、戦後山崎という男がご厄介になりませんでしたか」

「山崎様のお嬢様ですか」

「いいえ、山崎には子も孫もおりません。白翁と号し、この掛け軸をあなた様に贈ったのはいつごろのことでしょうか」

「どうして私に贈られた物だと?」

「私は白翁の友人です。白翁にこう言われました。日本全国を旅して世話になった者にくれてやったと。それから白翁の絵は相手への思いをこめて描くそうです」

「かないませんね。それを頂いたのは東京オリンピックの年ですよ。一緒にラジオを聴いた記憶がございます。私の家は手狭で周りがレンコン畑で湿気ってますので、ここに置かせていただいているんです」

「そうでしたか。実は白翁の絵を見るのは初めてですが、ここまでとは思いませんでした」

「絵がお分かりになるのですね」

「正確に申しますと、絵に含まれた白翁の相手に対する思いというものが伝わってきます」
「そう言われましたのは初めてです。よい風水画とは言われますが」

「縁というものは不思議なものですね」

「まことに」

「この寸延びの短刀も、この間お亡くなりになられた山田さんが残してくださったものなんです」

「お刀も分かるんですね」

「まさか、柔らかい肌のものをお持ちとは思わなかったので驚きましたが、この刀を今夜この軸の下に置かせていただいてよろしいですか」

「どうぞ、お気持ちのままに」

「ありがとうございます」
美希は夫人に礼をすると掛け軸の下に柄を左にして短刀を置いた。
少し離れて見ると、前から当然置かれていたようにも見える。

美希は鹿島と名乗った女性の隣に座った。
健一とは斜向かいの席になる。
「土浦の分家だとおっしゃいましたね」
美希に誘い水をさされた女性は少し狼狽したが
「ええ、土浦の米倉の長女ですの」
「白翁、いえ、山崎は随分とお世話になったのでしょうね」
「お優しい方でしたよ」
女性は微笑んで
「筑波山に連れて行ってくださって、そこであの絵をお書きになったのです」
「筑波山が見たくて行ったんですね」
「ええ、家は霞ヶ浦の近くで、レンコン畑といっても所詮は蓮の葉だらけの泥沼ですから」
「それでも、花があればそこで描いたでしょうね」
「同じ事をおっしゃいましたよ」
女性は懐かしむように
「あなたと同じような目をしておいででした。」
「健ちゃん」
別の親類が口を出した。
「ずいぶんしっかりとした娘さんを連れてきたな」
「ただの案内だよ」
「照れることなかっぺ」
「んだ」
部屋にひしめく親類連中のぶしつけな視線が美希と健一に集中した。
気の毒に、と美希は思った。
珍獣を見るような目で見られるのは美希は慣れている。しかし、健一ときたら耳まで真っ赤じゃないか・・・