白翁物語 その3
3年の男子が2年の教室に何の用やら、と大して興味もなかったが、そのざわつきの原因が二人の前で足を止めた以上、無視するのは失礼であろう。
「何か御用ですか?」
個性のない質問をして相手をじっと見た。
確か、生徒会のときに壇上にいた奴じゃなかったか?
「あ、えっと」
前美由紀が言っていた国立に推薦が決まっている秀才って確かこいつだな、などと観察していたが、客観的に見て告るなら美由紀のほうにだろう。
「席をゆずりますので、ごゆっくり」
美希はそういって立ち上がった。 その男子はあわてて
「ち、ちがう、そうじゃなくて」
「?」
「用があるのは君のほうだ」
「はて、どこかでお会いいたしましたかなぁ?」
とギャラリーの主人を真似てとぼけた口調で言ってみる。 美由紀が困った顔をして
「お邪魔なのは私のほう?」
「さあ?」
「えっと、学校をさぼったことがあるか? 君は」
「あるよ。別に悪いことをしてたわけではないぞ」
「よかった。やっぱり美希と言うのは君のことか」
「友人でもない男子に名前で呼ばれる筋合いはないが」
「ちょっと静かなところで話せないか?」
「静かなところでなければ話せないような用件なのか?」
「まってくれ、誤解しないでくれ」
「誤解されようとしているのはあんたの方だぞ。いらぬ噂を立てられたくなかったら用件を言ってさっさと立ち去った方がいいと思うが」
「老人ホームを訪ねただろう?」
「なんだ。山田さんの親類か。最初からそう名乗ればいいんだよ」
「分かってくれたのなら話が早い、放課後ちょっとホームによってほしい」
「山田さんと私の縁は切れているはずだが?」
「遺言状の中に君へのメッセージが含まれていたらしい」
「言い忘れたことがあったのかな? まあいいや、わかった。寄ってみるよ」 「見つけるのに苦労したよ、名前しか分からなかったから」
「ギャラリーの登紀子さんに聞けばよかったんだよ。携帯の番号まで教えてあったんだから」
「いや、あそことは財産分与を巡ってちょっとあって」
「ああ、話さなくていい。首を突っ込むつもりはないんだ」
「それじゃ、まってるからね」
「おい、あんたもいくのか」
「言葉が乱暴だな。そうだよ、僕が行かないと君が本人だって証明できないからね」
「私にとっては半分どうでもいい話だ。ただあんたの顔を立てて行くだけの話だからな」
「何でもいいよ。校門で待とうか?」
「苦労を背負いたくなければやめた方がいいぞ。いらぬ噂がついてまわることになる。場所は知ってるから先に行っててくれ」
「わかった」
男子はそそくさと逃げ出すように教室を出た。
美由紀は鳩が豆鉄砲を喰らった様な顔をしていた。
よく晴れた午後。 雲の流れが速い。
髪やスカートのギャザーも時折靡いたが、別に気にはしていない。
それよりも気の早いウグイスでも枝にとまっていないかなぁ、などと考えながら坂を上っていた。 やはり美由紀も引っ張ってきた方がよかったかな、と考えては見たが、その意味のなさに自分自身を笑った。
美希は白翁が老人ホームを嫌っているのを知っていた。 美希もそれには同意だ。 こういうところは一人では困る人か、誰かといなければ寂しい人がくればいいのだと思っている。 白翁には寝たきりでなく、自室の畳の上に背筋を伸ばして座しつつ往生してもらうというのが美希の理想である。勿論本人には言ってはいない。
「来てくれたね」
あの男子が「安らぎの家」の門前で待ち構えていた。
「あんたも疑い深いね。寄ると言っただろう」
男子は明らかに狼狽し
「疑ってたんじゃなくて、その・・・・・・」
「美由紀を連れてきたほうがよかったか?」
言いながら自分でも馬鹿な事を言っているのを自覚している。しかし、なんとも妙なのだ、その男子が。
だからつい余計なことを言ってしまう。
「僕は君に用があるとはっきり言ったはずだ」
「その用は聞いた。私がさぼり娘だと証明できればあんたの役割は終わりなんだろう? だったらこんな寒いところで待ってなんかいないで先に入っていればいいんだ」
「学校の門で待とうかと言ったら君が拒否したんじゃないか」
「はぁ?」
「僕の役割は君を証明することじゃなくて、君に聞かせることなんだ」
「ちょっと待った」
美希は瞬時に理解した。
この男子は山田老人の遺書への案内ではなく、その遺書を頭の中に刻んであるのだと。
「それなら、誘う場所が違うんじゃないか?」
「やっぱり誤解してたね。だから静かなところで話せないかといったんだけど、ああも警戒されたんじゃ、ここへ来てもらうしかないだろう」
「悪く思わないでくれ。私には悪い噂がついてまわってるから巻き込みたくなかっただけなんだ」
「巻き込むのはこちらなんだから、気を使うことはないのに」
「聞いた話では、あんたは国立の方から声が掛かっているほどの秀才なんだそうじゃないか」
「PRが上手いだけだよ」
「私に接近すると我が高の教授陣に疎まれるが、それでもいいか?」
「悪いとは思ったが、ちょっと君の身辺を調べさせてもらったけど、先生方に睨まれるようなことなんてやってないじゃないか」
「あんたも喰えないね」
「君ほどじゃないけどね。ところでケーキは好きか?」
「ミルフィーユの美味いところだったら付き合ってもいいぞ」
「美味いかどうかは知らないけど、駅前の喫茶店ではどうだ?」
「あんたなぁ、火のないところに煙が立つぞ」
「それも面白いじゃないか」
「なんだ、私と同類か?もしかして」
「その同類ってのが同じくらいの年頃の異性に興味がわかないと言うんならそうだよ」
「変な彼女が出来たと噂になっても責任は取らないからな」
個性のない外見に個性のないメニュー 洒落っ気のかけらもない喫茶店だが、客も二人窓辺の席を占拠しているだけでがら空きだ。
美希は話が話だけに店の一番奥の少し薄暗い席に陣取った。
「今時あるんだなぁ、チーズケーキしか置いてない喫茶店なんて」
「君は一体いくつだい?」
「はぁ?」
「言葉遣いといい、態度といい」
「ばばくさいか?」
「というのとも違うけど・・・・・・」
「どうでもいいが、私の事は美希でいいが、あんたは何て呼べばいいんだ?名札どおり米倉さんと呼んでほしいか?」
「あ、そういえば名乗ってなかったね」
「別にニックネームでも何でもいいから、呼ばれてむっとしない言い方を教えてくれ」
「君を美希と呼んでいいんだったら、僕の方は健一と呼んでくれ」 「分かった、健一、さっさと用を終わらせないか?」
「せめてコーヒーが来るまでの間でも普通の話ができないかな?」
「普通って、私にとって何が普通なのかという定義のことか?」
「いやいや、男子と女子の話し」
「そういう話を楽しみたかったら美由紀の方にしてくれ。若者向きの話題については不勉強なんだ」
「僕だってそうだよ。テレビを見る習慣がないから、アイドルの話とかされても困る」
「健一はどういったものに興味があるんだ?」