白翁物語 その3
「まぁ、忘れてくれ。見ることは出来なくても着物を着た美希ちゃんを描く事は出来るから、心配はいらない」
「なんだ、私を着物姿で描くつもりだったのか」
「最後の作品の前にね」
「今日明日の話か?」
「そんな心配そうな顔をせんでもいい。少なくとも今年ではないよ」
「よかった。私も居場所がなくなってしまうのは困る」
「家には居辛いか?」
「そんなことはないが、落ち着いている場所がない」
「それで図書館に通うんだな」
「探し物は1人で出来るからね。私には団体行動は向いてないらしい」
「だろうなぁ」
夕食は中華料理をピーマンと牛肉で手軽に作った。
白翁はその年齢には珍しく油っこい料理も好んで食った。
「なぁ白翁」
「なんだ」
「若い頃の話を聞いてもいいか?」
「10歳以上の話ならな。それより前は記憶がない」
「白翁の両親ってどういう人だった?」
「ああ、そう言えば家族のことを話したことはなかったな」
「うん」
「俺は華族の3男坊で、あ、華族って分かるかな?」
「貴族のことだろう?」
「もともと山崎家は石取りの士分の出で、じいさんが御一新で功労があったとかで爵位を賜ってな。まぁ、それは代々長男だけが継ぐので俺には何の関係もなかったが」
「そうなんだ」
「兄貴は随分厳しくしつけられたが、俺は単に居候のようなもので、所謂冷や飯食いで、使用人からも相手にされてはいなかったな」
「へぇ」
「で、家にいても窮屈なんで、農民の子と遊んでいたりしたからますます白眼視されてな」
「まだ身分が厳しかったのか?」
「そうさ。華族なんてのは自分じゃ何も出来ないくせに手に汗して働いているものを馬鹿にすると言うか、はっきり嫌っていたな」
「白翁のことだから逆にそういう人たちに親しみを持ったんだろう」
「そうそう。何日も泊めてくれて家族と一緒に飯を食わせてくれるんだ。俺は剣術だけは出来たから、いい遊び相手になったんだ。子供たちと遊んでいると、時々商家の隠居から声がかかってな」
「うん」
「その隠居は日本画を描いていたから、それを表具師のところに持っていき、掛け軸に変えて隠居のところへ返すと手間賃をくれた」
「ほう」
「で、俺はその隠居の絵をすぐには持っていかずに、転がり込んでいた農家の板間で片っ端から模写をした。家でそんなことをしていたら大目玉 だが、使用人のばあやに頼んで倉から和紙をたんと盗んできてもらってな、それを農家で模写していると農家の方では大喜びさ。全部ただであげたからね。その 当時日本画は金になったんだ。下手な夜なべ仕事より実入りはよかったはずだ」
「そうなんだ」
「で、そのうちに徴兵検査になった。一番上の兄貴は医学生になったから徴兵免除で、2番目は体が弱くて丙種合格だったから徴兵期間が短くてね。俺だけが甲種合格で、その時だけは家門の誇りだと両親に喜ばれたね」
「兄弟の中で白翁だけが元気だったんだな」
「元気だけが取り柄だった。その頃は江戸の頃と違って人前で小説本など読んでいたら文弱者だと馬鹿にされたからな。だから俺の絵も金にはなっても評価はされなかった」
「へぇ」
「それでも地元では名士の家の出だから出征のときは大勢見送りに来てくれたよ。お世話になっていた農家のおやじさんや商家の隠居は生きて 帰ってこいよって涙ながらに言ってくれたが、山崎家の連中は揃いに揃って大喜びでお国のために死んでこい、生きて帰ってくるななんて言いやがった」
「それはひどいね」
「まぁ、そういうご時世でもあったわけだが、普通はそれでも出征の前の日に両親が別れの盃など酌み交わしてくれたそうだが、俺の場合はなかったね。やっと厄介者がかたづいたと、それが本音だろう。身分の低いものと懇意にしている面汚しが片付いてよかったと言うのが本音さ」
「白翁はどう思った?」
「俺は別に陛下の御為ならば自分の命にしがみ付くつもりなんぞなかったさ。一応は武士だからね。戦場働きで自分の居場所が見つかればいいと思っていた。戦争がなかったら将校を目指したんじゃないかな?」
「なんで?」
「その当時は将校は兵隊の100倍の俸給をいただけると聞いていたからね。今はどうか分からないが、当時は下士官は偉い人、将校は雲の上の人だった」
「へぇ」
「慰問袋ももらったが、いつも家の者以外の人からだったし、千人針だって、農家のおかみさんが俺のためにあちこち回って作ってくれたんだ。それが効いたのか不思議と弾がかすめもしなかったな」
「山田さんがね、白翁は戦が上手だったといっていたよ」
「小隊長殿が? ああ、あの頃は小隊で俺より上の人たちや新兵は皆砲爆撃でやられるか狙撃されて、規模は分隊程度になっていたが、同期連中 が生き残って、生年月日が一番早い俺が小隊長代理ってことになっていた。それで中隊長に戦闘詳報を報告に行くと、お前は今日から伍長だといわれた。中隊の 文書係も伝令を走らせて連隊に報告してあるからといった。それで、いきなり上等兵から伍長になってしまった。同期連中はなんだ山崎、生きながら戦死扱いか などとからかっていたが、ちゃんと立ててくれて、俺の言うとおりに働いてくれた。全員が同じ頭で戦ってたんだ。戦が下手なわけがない」
「そうなんだ」
「小隊長殿はその頃来られて、まだ連合軍との戦いは知らなかったから俺がそばにいた。連合軍の連中はシナの兵と違って、こちらが健在だって ことを示せば無理に突入しては来なかった。ただ、狙撃兵の腕はよかったから、小隊長が逃げる敵を追撃しようとした時に引き止めたことはある。絶対狙われる からね。あの格好じゃ」
「ふうん、そうだったのか」
「ツルブから撤退するときに一度だけ小隊長殿の刀を預かったことがある。中隊の作戦会議のときに、夜だったから鞘が何かに引っかかって音が するといけないといって拳銃だけで行ってもらったんだ。鞘から抜いてみると、月の光でよく見えたが、あれは昭和新刀などではない、銘のある業物だ。ああ、 小隊長殿も武士だったんだなと親近感を覚えた記憶がある」
「いつかまた、それを見る機会があるよ」
「あの透き通った冷ややかさを湛える名刀だ。今まであちらこちらの刀剣展に出かけてみたが、見かけなかったな」 「なぁ、白翁」 「なんだ?」 「私が成人するまで生きていてくれるって約束してくれ」 「なんだ、いきなり突拍子もなく」 「そうすれば、絶対その刀をみる機会がある」 「そうか、それを楽しみに生きるのも、あちこち歩くのもいいかも知れんな」
「そうだよ。私が成人したらさ」
「うん?」
「その刀を飾って、その前で一献酌み交わそう」
「洒落たことを言うね、美希ちゃんも」
「だから、約束だぞ。死に急ぐなよ」
「わかったよ。天命が尽きるまでは留まっているさ」
いつもの通り昼食を美希は美由紀と向かい合って食べている。
自分で作った弁当なので、たまには美由紀のと取り替えてもらうこともあったが、今日はすなおに自分の弁当を食べ終わった。
ふと、周囲がざわついた。