白翁物語 その2
「美希ちゃんこそそんないい服で揚げ物をするとはずいぶん思いっきりがいいね」
「今日は春と桜海老がテーマだからな、白翁、桜海老の事は分かったのか?」
「ああ、どうやら浜松ではなくて由比の方らしい」
「ふうん、で、行くのか?」
「ああ、美希ちゃんが来ない日にでも国鉄に乗って行って見るよ」
「今は国鉄じゃなくてJRって言うんだ」
「そうか、まあ、鈍行に揺られて駅弁でも食えば、またいい調子になるさ」
「今言うべき言葉じゃないことはわかってるけど」
「何?」
「生きてるといいな、その知り合い」
「美希ちゃんの期待はたぶん裏切られるだろうな」
「そう思うか」
「ああ、重機の射手なんていうのは真っ先に狙われるんだ。まあ、遺族なり墓なりがわかれば僥倖って所だな」
「切ないな」
「ああ」
「それでも行くか?」
「行かねばならない、進むためには、そうだろう?」
「ああ、白翁の言うとおりだよ」
「あの」 盛り付けをしている美由紀が心配そうな声で 「私のいいかげんな話で、行かれるんですか?」
「美由紀さん、いいかげんな話ではないよ。少なくとも私にとってはね」
「美由紀よかったな」
「何? 唐突に美希ちゃん」
「白翁が誰かにわたくしなどというのは初めて聞いた。私なんかより一段上の扱いじゃないか」
「美希ちゃんったら、逆でしょう、それは」
「あ、すまんがそっちの汁にそろそろ味噌を入れてくれ」
「うん、分量は・・・・・・ こんなもん?」
「少なめに入れて味を見ながら濃くすればいいよ。とき終ったら火をとめてあさつきを入れてくれ」
「うん、お鍋は見てるから美希ちゃんは手を洗って」
「なんか背中がむずむずするな」
「え?」
「いや、白翁に言われるのはいいが、やっぱり美由紀にちゃん付けで言われるとこそばゆい」
「あ、ごめんね、不快だった?」
「違う違う、いつも学校では美希美希言われているからかな?不快じゃないけど、私だって美由紀を呼び捨てにしてるんだから、呼び捨てにしてくれよ」
「うん」
「悪いな、変人で」
「自分で言う言葉じゃないわ、それは」
「うん、でも美由紀だけにはそう言われたくないんだ」
「思ってもいないわよ、そんなこと」 思ってはいないけど、時々美希が違う人に見えることがある、と言う言葉を発することなく飲んでしまったのは美由紀にとって上出来であろう。
ここ1年、美希と差し向かいの食事には慣れたが、違う女性が共にいるだけで、こうも雰囲気が変わるものか・・・
「どうした白翁、今日は食が進まないな」
「そんなことはない、が、いつもより上品に食べているようだ」
「お、いやに素直だな。美由紀を気に入ってくれたか?」
「ああ、美希ちゃんの友達だからな」
「微妙だなそれは、私は嬉しいが、美由紀には複雑だぞ」
「そういうものか?」
「美由紀とも付き合う気があるんだったら少女漫画を山ほど持ってきてやるぞ」
「美由紀さんは漫画がお好きか?」
「白翁、私らの年代で漫画が嫌いな奴って言うのは珍しいぞ。だいたいが理想の男性のタイプがわかるように描かれている」
「そうなのか、しかし今までの生き方が変えられるわけではないからな」
「まじめにとるなって。冗談だ」
「美希ちゃんの冗談は怖いからねぇ」
「でしょ?」 言葉を挟むタイミングを計っていた美由紀が口を出した。 「美希は学校でもまじめな顔で冗談言うから、時々ぐさっと来ることがあるの」
「美由紀、すまない、もともとユーモアのセンスがないんだ、私には」
「そんなことはない、と思うけど」
「美希ちゃん、俺に構いすぎだ。同年代の男性にもいい男はいるだろう」
「あ、白翁、暗に自分のこともいい男だといったな」
「美希ったら、失礼じゃない」
「何で? 私は白翁のことをいい男だと思っているぞ。昔の写真がないのが残念だ」
「出征時の写真は空襲で焼けてしまったからなぁ」
「そのうちに写真屋へ行けばいいさ。私でよければ一緒に映ってもいいぞ」
「いや、美希ちゃんは俺の手で描く」
「え?」
「俺は昔から第三者が撮る写真があまり好きでないんだ」
「ああ、それで想いを込めて描くんだな」
「人物画は特にな」
「あ、美由紀、悪い。飯を食いながらする話じゃないよな」
「いいよ美希、割り込むつもりはないから」
「ん?」
「美希、明日美希の嫌いな体育があるよ」
「まいったなぁ・・・・・・」
「わからないと思ってた?」
「体育がっていうか体育の教師が嫌いでさぼっているのは知っていると思っていたけど、私が何をしようか見抜かれているとは思わなかった」
「帰りに寄っていって。デジカメを貸すから」
「おいおい、何の話しだい?」
「美由紀にばれた」
「ばれたって、美希ちゃん、何をしようとしているんだい?」
「ばれてしまったから正直に言うけど、白翁、静岡行きに私も混ぜてくれ」
「一緒に行ってくれるのか?」
「友人だろう?」
「他人から見れば、孫を連れた老人に見えるだろうけどな」
「尚更好都合だ。帰りに本屋へ寄って時刻表とガイドブックも買っておこう」
「ご両親にはなんて言うんだ?」
「友人と静岡へ行くとだけ言うさ。目的を言っても理解してもらえないだろうし、もともと放任されてるからね、私は」
「そうなのか?」
「出来のいい弟を持った姉はこういうときに都合がいいんだ」
「さすがに朝一番の始発はがらがらだな」
「美希ちゃんも、よく起きられたね」
「起きるのはたいした事ないよ。それよりも音を出さずに家を抜ける方が面倒だった」
「今更だけれど、本当にいいのか?」
「武士に二言はないって言うだろう。本当の友人にも二言はないのさ」
「帰る時間はわからないぞ」
「いいって。前だって白翁の家に泊まったときに何も面倒は起きなかっただろう?」
「夏だったな」
「そうそう、蛍がまい込んで大騒ぎしたよなぁ」
「夏休みだったっけ? あの時は」
「いや、夏休み前。もう時効かなぁ?」
「何かやらかしたのか?」
「うん」
「そうか」
「聞きたいか?」
「話したくなければいいよ」
「話していないと寝てしまいそうだから話すよ」
昨日美由紀から私が体育のときにさぼっていると聞いただろう? その顛末を話すよ。
私はもともと肌をさらすのはきらいだ。 それに、白翁に出会うまでは自分自身が嫌になってつけた傷がまだ残ってるしな。 私が陰口嫌いなのも知ってるよな?
去年の夏、水泳があったんだ。 水着になるのは嫌だったが、まぁ美由紀もいることだし、恥ずかしいっていう感情の方は欠落してるから、最初の日はちゃんと出たんだ。 美由紀は着替えるときに私の傷を見て一瞬ぎょっとしたが、何も聞かなかった。 別に隠すつもりはないから、美由紀に聞かれれば答えるけれど、まだ聞かれていない。