白翁物語 その2
一定時間泳いで休憩するだけのことだから、別に授業そのものはどうということもない。でもね、美由紀と隣合って休憩していると、嫌な視線を感じるんだ。 見比べるんだよ。体育の教師が、美由紀と私を。 昨日見て気がついたと思うが、胸が豊かだろう、美由紀は。 私のほうはこうして学生服を着ているときでも見栄を張ってパッドを入れてるんだ。 水着になるとまっ平らなお子様体型さ、私はね。 別に胸がないだの洗濯板だの言われるのには慣れているから、面と向かって言えばいいんだ。
次の授業のとき、何かが嫌だったんで、教室に残ってさぼってたさ。 そうしたら美由紀が授業途中で泣きながら帰ってきたんだ。 体育教師が言ったそうだ。 おいでかパイ、あのぺちゃパイをつれてこいって。 他の男子生徒にもあの胸がどうのって言ったらしい。
私はキレたね。今でも大人気ないと思っている。 家にとんで帰ったら、ちょうど親父が出張から帰っていたんで、長船を貸してくれと言ったんだ。そうそう、備前長船の刀だよ。血溝が切ってあって軽いから私にも扱えるからね。 親父は今から考えると不思議だが、まったく動揺もせずに、貸すのはかまわないが何に使うのかを言え、と言うんだ。 私は体育教師から陰で侮辱を受けた。討ち入りがしたいので大の方を貸してくれ。もしだめなら小を貸せ、腹を切る。と言ったんだ。 親父は腹を切ると言うのは武士にしか許されていない。 自分自身のために討ち入るのなら許す。ただし相手は丸腰であろう、卑怯と謗られるのでは御先祖に顔が立たぬ。刃をひいたそちらの居合刀を持っていけ。刃をひいてあるといっても突くことはできるし、叩けば骨をたつ事も出来る。 もし怪我をさせる気があるのなら、相手にも何か得物を持たせてからにしろ。 命のやり取りまでになるかも知れぬが、その度胸はあるか?
私が頷くと親父は私を抱き寄せてな、やはり美希は俺の血をひく娘だ。どのような結果になっても、命あれば2〜3日隠れていろ。その間に俺が何とかしてやる。と言った。
私は刀を持って取って返して職員室に入った。 丁度昼休みで他の先生方もいたが、刀を持っているのに気がつかなかったのか、すんなり体育教師のところまでいけたよ。
そいつが何だと言うから、美由紀と私を侮辱した意趣返しに来た。勝負しろと言って柄に手をかけた。 そいつは剣道部の顧問までやってるくせに椅子からひっくり返って、這うようにして逃げ出した。 あまりにそれが滑稽だったので、私もばかばかしくなり、そいつのかわりに机の上にあった西瓜に抜き打ちをかけた。どうせ刃を引いてあるからそこらじゅうに飛び散るだろうと言う計算でね。ところが、西瓜は真っ二つに、きれいに切れてしまった。 親父も人が悪い。居合刀だといって持たされていたのが長船だったんだ。 家に帰って親父に長船に西瓜割りなどさせてしまったとわびてから白翁のところに転がり込んだと言うわけだ。
それ以来、腫れ物をさわるような扱いさ。 私に関する怪しげな噂や陰口は倍増したけどね。 停学にも何もならなかったのは不思議だったな。 もっとも体育の成績はおかげで最低ランクだ。
由比の港は閑散としていた。 もっとも停泊中の漁船はぎっしりと係留されており、閑散としているのは人影が、である。
「8時2分着の電車じゃ早かったかなぁ?」
「そんな筈はない。漁というのは朝帰りするか朝出て行くもので、船にも市場のほうにもひとがいないとは、ちと変だ」
白翁は首をひねっていたが、そこへ丁度白い軽トラックがやってきて、いかにも漁師といった風情の中年男性が降立った。
「もし、ここの港の方かな?」
白翁は漁師らしい男に声をかけた。
「ああ、おはようございます。船の手入れをしに来たんですが、あなたがたは?」
「ここへ来ると由比特産の桜海老が見られると言うので」
「それは残念、いやね、桜海老の漁は春と秋にやるんですが、今年の初漁は3月24日なんですよ。シラスの方も1月で終わりだから、丁度今は何もないんですよ」
「そうでしたか」
「釣りをなさる方なら遊漁船がいつでも出ますが」
「いや、そちらの趣味はないので」
「そうですか、まあ、この時期はわかめぐらいでしょうねぇ、多分桜海老もいいのは売れちゃってお土産には出来そうもないですねぇ」
「残念ですなぁ」
「まあ、時期になったらおいでなさいよ。生シラスや生の桜海老をご馳走できますから」
「桜海老は由比の特産で間違いがないということがわかっただけでも収穫です」
「水揚げは由比が一番でしょう。田子の浦から由比沖にかけてが漁場でね。しかし、観光的には富士川河川敷の方が有名でしょうなぁ」
「河川敷が有名で?」
「ええ、普段は軽飛行機の発着くらいしかやってませんが、時期になると桜海老を広げて干すんで、真っ赤な花が咲いたように見えますよ。それを含めると、まぁ、由比から蒲原、富士川が特産地ということになるんでしょうなぁ」
「そうでしたか」
「もし、興味がおありなら4・5月か11月にいらっしゃい。桜海老漁は早朝にするので、乗せて差し上げますよ」
「そのときまで元気でいたらお願いします。まぁ、この子の方は大丈夫でしょうがね」
「白翁、無理だ。私は船に弱い」
「おや、あなたは白翁とおっしゃるんですか」
「ご存知で?」
「昔じいさん方がそんな話をしていたような気がするんですよ。まぁ、あまり記憶にありませんが。お住まいはこのあたりではないんでしょう?」
「ええ」
「では、せっかくだから由比本陣や広重美術館、それから紺屋なんかを見ていかれるといいですよ。ここへ来るときに1号線のトンネルをくぐったでしょ?」
「はい」
「くぐって道路に出たら右の方へどんどん歩いて行けばありますから。高速道路が道路の上を通っているところまで行ってしまったら蒲原ですから、由比をご覧になるんだったらそこまでですな」
「そうですか。ついでにちと伺いますが、由比出身の方で大東亜戦争でなくなられた方はどちらにお墓がありますかな?」
「由比出身だったら桃源寺か持特院でしょうなぁ」
「わかりました。忙しいところをどうもすみませんなぁ」
「いやいや、どうせ船を出さないから船の手入れをするか網の手入れをするかってところで、まあ、帰りに運良く出会うことがあれば、酒でも一緒にやりましょう」
「運しだいですな。では、また」