小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

珈琲日和 その14

INDEX|2ページ/3ページ|

次のページ前のページ
 

 彼女が、まるで切り捨てるようにすっぱりと断言しました。毎度の事ながら、彼女のこの潔い発言には肝を抜かれる所がありますが、成る程確かにその通りなのです。3人で過ごしていた時でさえ、彼女のその居合い抜きのような発言に誰も頭が上がらなくなるのです。
 渡部さんはぎょっとしたような表情になり、気まずそうに視線を飲みかけのカップに落としました。僕は又しても慌てて彼女を止めにかかりました。彼女は冷淡過ぎて、時々周りの雰囲気共一緒に切り捨ててしまう事があるので、居合わせた人を傷付けてしまう事も多々あるからです。それが100%の真実だとしても、紛いない根本だとしても、そう簡単には受け入れられる程、人は単純には出来ていないのです。人を統制している気持ちと心理と感情と思考とが複雑に絡まりついている奥深くに答えが眠っている事なんかいくらでもあります。
 人と人の間で生きているのですから、竹を切ったようにいつも真っ直ぐになんて無理に決まっています。それが、一番親しい家族の事なら尚更です。恋人だって難しいのですから。
 それに、いくら親しい間柄でも、渡部さんが落ち込んでいるのは傍目にも明らかです。それに追い打ちをかけてどうするのかと。僕は彼女に向かって首を振りました。
「いいからっ!君は、ちょっと待って・・・」
「そろそろ行くわ。ご馳走様!」
 今度は渡部さんが、僕の言葉を無理に遮るようにして騒々しく音をたてて席を立ったかと思うと、慌ただしくお勘定を置いて店を出ていきました。残された僕は振り返ると、何事もなかったかのように呑気にチョコレートを摘んでいる彼女を恨めし気に見遣りました。
「・・・どうして、あんな事言った?」
 渡部さんのカップを下げながら、苛々と僕が訊くと、彼女はチョコレートを味わいながらすました顔をして、横目で僕を見てしれっと言いました。
「彼は言わなきゃ、気付かない。いつだってそうだもん」
「それはそうかもしれないけど、僕達には彼の気持ちを汲んでやれないじゃないか」
 僕がそう言うと、彼女は一瞬少しだけ目を大きくさせ、又何事もなかったかのようにカップを持ち上げて徐に唇につけて籠った声で呟きました。
「・・・そんな事 わからない」
 僕は深いため息をつきました。窓の外にはまだ音もなく霧雨が降りしきっていました。


 それから3日後の、夏のように暑く天気のいい昼下がりに、峰子さんが来店されました。
 夜間も診ている師匠さんのお手伝いをしている事もあって、何処か疲れて窶れたようではありましたが、いつものように歌うように朗らかにカフェバレンシアとミックスサンドイッチを召し上がっておられました。
「渡部さんは、その後いかがですか?」
 僕が訊ねると、峰子さんはミックスサンドイッチを口に入れたまま困ったように笑って、ゆっくり首を振りました。それから、口に入ったサンドイッチを飲み下すと、バレンシアを一口飲んで、丁寧に口をナプキンで拭いて答えました。
「そうね。元気とは言えないと思うわ。昨夜遅くにやっと帰ってきてからだから、あまりわからないけど。まあ、この世で唯一の掛替えのない自分のお父様が亡くなられたんだから、誰でもそうなるわ。仕方ない事よね。近々寄ると思うから話を聞いてあげて欲しいの」
「勿論。そのくらいお安い御用ですよ」僕は息せき切って答えました。
「良かった」
 小さな窓から投げかけられる採光に美しく縁取られた峰子さんは、本当に嬉しそうににっこり笑うと、又食事に取りかかりました。


 ほぼ見た事のない数え切れない程の来賓の客への応対も粗方済むと、彼は息苦しさから逃れるようにして厠へ立った。母は涙を流してはいたが、思いの外、打ち拉がれてしまい今にも倒れてしまうんじゃないかという程でもなかったので安心すると同時に、不審な気持ちにすらなってしまう。家を空けてばかりいた父には、到底寂しがりやの母の相手等務まる筈もなく、彼が出て行ってから父が不在の時に母がどうしていたのか等想像に難くない。
 まぁ、もうガキじゃないから。母さんが誰とどうしようが、あんまり関係ないんだけど。
 彼は久しぶりの実家の庭に出て、これ又久しぶりにとっくに止めた煙草を吸った。
 小児科医になってから、患者の子どもにニコチン臭混じりの息をかけるのが嫌で禁煙したまま忘れていた煙草の味は、不味いばかりで何ともなかったが、今日だけは特別だろうと思い、わざわざ降りた駅前の煙草屋で買ってきたのだ。
 深く吸い過ぎた煙に軽く咽せながら、ふと顔を上げると、縁側の奥にぽっかりと口を開けている父の書斎への入り口が目に入った。生きている間には家族であろうとも、決して立ち入りを許す事のなかった父の書斎への扉が無防備にも開け放たれている。彼は腕時計に目をやった。まだ、開式には間がある。
 迷う事なく彼は部屋に上がり、初めて入る父の書斎に足を踏み入れた。
 握った手が汗ばむ程緊張しているのがわかるのは、それだけ父の威厳が長い間この書斎という孤島を頑なに守っていた結果だからかもしれない。とは言っても、書斎は彼でもよく見知っている医療書や辞典等の仕事関係の本が古いものから新しいものまで、隙間なくぎっしりと詰まっているだけのごく当たり前の書斎だった。
 それらを見回してから、ほっと胸を撫で下ろす自分が不意におかしくなってしまい、彼は徐に父の愛用の年季の入った机の引き出しを開けた。
 引き出しには、それぞれ父の愛用していた万年筆や時計等の小物が所狭しと入って、じっと主人が引き出しを開け取り上げてくれるのを待っていた。
 彼は順繰りに上から引き出しを開けていったが、彼が求めているようなものは1つもなかった。そこにあったのは、ただ医療に人生の全てを捧げてきた1人の医者の元で働いていた物達がただ眠っていただけだった。それ以外のもの、例えば家族の写真一枚見つける事はできなかったのだ。
 今更、自分はなにを思っているのだろうかと、彼は自分がしている事が心底馬鹿馬鹿しくなって乱暴に引き出しを閉めた。すると、その弾みに机の下から、なにかの箱が転がり落ちてきたのだ。
 それは鍵のかかった古びた木箱で、それでもかなり触られているらしく、所々塗装が剥げかかっていたものだった。彼は不思議そうにそれを拾い上げると、試すしかめつ眺め回し、箱を開けようとした。けれど、余程頑丈に作られているのか鍵はびくともしなかったのだ。
 そうなると、増々中に何が入っているのか見たくなるのが人間の性というもので、彼は再び弾き出しを開けて鍵を探し始めた。けれど、それらしき鍵はなかなか見つからずに、開式の時間が迫ってきた。誰かが自分の名前を呼びながら廊下を歩いてくる音が聞こえる。
 この箱の中にはきっと自分が無意識に探していた何か大切なものが入っているに気がするのに、父はそれすらも一緒に持っていってしまったのかと、彼は絶望に暮れてぼんやりと木箱を眺めた。声は増々近付いてくる。彼は諦めて目を閉じた。


作品名:珈琲日和 その14 作家名:ぬゑ