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ぱんぷきん
ぱんぷきん
novelistID. 38850
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君へ

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「あたしを大切にしてよ! いつまでなの? いつまで待てばいいの? あなたが全てをなくす日まで?」
 晴実は涙を零しているかのような素振りを見せていた。しかし、僕にはその台詞に聞き覚えがあった。いつ聞いたのだろう、夢だったのか……。そうだ、今日、映画館で観た映画の台詞じゃないか。そのことを思い出すと、なんだかいっぱい食わされた気分になった。
「からかっているね?」
 僕は静かに訊いた。
「あはは、ばれたようね。ううん、ほんとに今日の映画は素晴らしかったわ」
 こうやって明るく振舞う晴実だったけれど、それでも心の中ではあの台詞と同じようなことを思っていたりするのだろう、と考えると、少しいたたまれないような気持ちになった。だから僕はグラスにウイスキーを注ぎ、ストレートで飲んだ。まるで、僕のバレリーナの彼女に対する熱い想いが込み上げてくるような感覚があって、いっそのこと、全部喉から出れば楽になるのかも知れないと思い、それからまた何度か飲みほした。
「ねえ、今まで訊いちゃ悪いと思ってたから訊かなかったんだけど、でも訊いちゃいます。彼女への想いって未練? 未練がいっぱい詰まっているってこと? 振られたの?」
 どう言うべきか迷う質問だった。グラスを掌でもてあそび、しばらく考え答えた。
「結果的に見れば振られたのだと思う。でも、なにもわからないんだ。彼女の心を垣間見ることも出来なかった。いったい、なぜ僕は想い続けているのかわからない。彼女には不思議な魅力があって、僕はその見えない魅力の糸に未だ絡まっているのだと思うよ」
 酔うとなにを言っているのかもわからなくなる。
「呪縛?」
「ああなんてひどい響きだ。そんな悪魔的なものじゃないよ」
 悪魔か天使かと例えるのなら彼女は天使で、光の射す緑の森を舞う妖精だった。僕は彼女を見つけることができない。向こうの木の陰から顔を出したかと思えば反対の木から顔を出し、ずっと微笑み、舞いながら森の奥へ奥へと僕をいざなう。僕は迷った。未だ探し続けている。きっと、彼女はすでに森を抜けていて、他の妖精達と優雅に舞っているのだろう。
「あら、だってそうじゃない。いつまでも惑わせ想い続けさせることができる魅力なんて魔力だわ」
 晴実は強く言った。
「違うさ」
「違わないわよ」
「お願いだ、もうやめてくれよ。このまま言い合ったらどうなるかくらい君にもわかるだろう!」
 僕が幾分語気を強めて言い放つと晴実はなにも言わなくなった。
「先に、寝なよ」
「いやよ」
「なぜさ。明日も仕事があるじゃないか」
 少しの間があった。
「――お願い、キスして」
 彼女は僕の後ろで横になったまま動かずにそう言った。数秒の時間をおいて僕は晴実を抱きしめ、それから口付けをした。あとは自然な流れだった。明かりを消し、また抱きしめ、細い首にキスをする。キャミソールの上から、小さいながらもつんと尖った乳房を愛撫すると、アルコールの混じった熱い吐息が僕の顔面を覆った。興奮で怒張した僕のペニスが晴実の太股に触れる。僕はそれを押し付けるようにして体をよじり、なおも晴実の肢体を、悲哀をにじませる残月のように薄い皮膚を優しく撫でた。晴実は悶えた。彼女の身体から、太股の間から湿ったような熱が伝わってくる。
 ふと、捨てられた仔猫を見るかのような憐憫の情がわいた。僕はゆっくりと手を止め、上半身を起こした。
「どうしたの?」
「このままだと君はただ憐れなだけの存在になる」
「急になによ、あたしを憐れんでいるの? 同情しているとでも? あたしは同情なんていらないわ。同情され、嘲弄されるべきはあなたのほうよ! 世界はあなたへの侮蔑の眼差しでひしめいているはずよ。自惚れもいいところだわ。あなたはずっとあたしをそんな眼で見ていたと言うの?」
「いいや、今日の君がおかしかったからさ」
「あたしがおかしい? 確かに酔ってはいるわ。でもね、酔っているからと言って言葉の全てが嘘偽りというわけではないのよ。あなたに届いた言葉に酒気があった? 肝臓がその言葉のアルコールを分解してくれた? たとえ酔っていたとしても、あなたに向けられた言葉はあなたが感じるままの効果を有するのよ」
 明かりの消えている部屋の闇が僕の心に入り込んでくるようなそんな気がして、照明をつけた。
「なによ。なんで明かりをつけるのよ。なにか言いなさいよ」
「帰って……くれないか」
 僕はきっと、今回ばかりはこれで永遠に晴実とさよならなんだと思った。もう、それでもよかった。バレリーナの彼女に対する想いがある限り、僕はこれからも誰に対しても残酷になってしまうのだろうと思った。
 晴実ははだけた衣服をなおし、「意気地なし」と言い捨てて表へ飛び出して行った。意気地なし――、そんな言葉、久しく忘れていた。意気地ってなんだよ、と妙に心に残ったけれど、知ったところでいまさら晴実との関係がどうにかなるものでもないと思い、僕は独りベッドにもぐった。


 彼女とのメールをやめてから僕は、当然だけど彼女のいるコンビニエンスストアーには通わず、少し離れた場所にある店に通っていた。そこの若い女の店員も愛想がよく、やっぱり僕に向けられていた彼女のあの屈託のない笑顔も接客上のものだったのだろう、と理解するに至った。
 世の中には、なにも意図していなくとも男を惑わせるような思わせぶりな態度をとる女性がいるという。悪女ではなく、心は純粋で、しかし男を勘違いさせてしまう。これは、悪女じゃないだけに相当性質(たち)が悪いようにも思える。悪女であったのなら、やっぱり顔に出る。僕はその心を表す機微を逃さない。僕は浅ましい思考は大抵見抜くことができるのだ。しかし彼女は、悪女とは違う。ただ、なにより彼女の情報が少なすぎた。これでは推量も正しい判断も出来ない。それでも、店に通い、清廉だということだけはおぼろげながら理解できた。
 あるとき、彼女はメールで「外見で人を判断しては駄目」と送ってきたことがあった。それは僕がその店に勤めている他の店員を外見からイメージできたものに悪意なく例えただけだったのだけど、彼女は大変に気分を害していたようだった。しかし、心の内や人格、名前も知らぬ者をどう表せばいいのか、ましてや、彼女に至っては、僕が知ろうとしたことのほとんどを拒絶し(いや、拒絶とはメールを放置していることで、着信を拒否していたわけではなかったのだけど、しかし僕はこれにずいぶん悩まされたんだ)、あまつさえ、会って世間話の一つも断ったのだから、小学生時分から興味もない人間の名前なんて覚えたこともなかった僕には、どうしようもないことで、だから、僕は彼女の瞳を褒めたんだ。もちろん、そのことに関しては純粋に喜んでくれて、でも彼女は人を外見で判断することの必要性をわかってはいないようだった。外見は第一の情報なのに。外見を悪く言うのと外見で判断するのは当然違うのだ。
作品名:君へ 作家名:ぱんぷきん