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ぱんぷきん
ぱんぷきん
novelistID. 38850
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君へ

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 僕は彼女にお土産を買った。ホワイトクリームで全体を優しく包まれた、僕が見た雲のようなバウムロールだった。たった一日だけの旅行。家につくと、僕はお土産をいつ渡せばいいのか迷った。以前、メールアドレスを書いた紙を渡したようにアルバイトが終わるのを待ち、帰り際に渡すか、それとも前もってメールで知らせておいて待ち合わせをし、受け取ってもらうか。結局、僕はメールを送った。返事が来るまで小説を執筆しようと机に向かった。その後の小説はある程度捗ったものの、僕の心は空っぽのままだった。埋めてくれるのは、一通のメールだけだ。
 どれくらい経っただろう。僕が小説を書き続けているときに着信音が響いた。はっと現実世界に引き戻され、僕はいつもどこか遠くの世界に行ってしまっているような気がした。メールには「ありがとう、でも驚いた。だって、お土産くれるなんて思ってもなかったから」とあった。そこに彼女の嫌悪は感じなかった。でも、今になって考えてみると、お土産なんてものは買わず、ただあそこで見た空だけを如実に描写すべきで、そしてそのメールを送り、彼女の心に全てを優しく包む清爽な空を描かせるようにしたほうがよかったのかも知れない。なぜなら、彼女は店内でのみ僕の買ったバウムロールを受け取るといい、僕がそれは恥ずかしい、でもどうしても受け取ってもらいたいと送ると、「ごめんなさい。あたしにとって、それは少し重たいことなの。あたしにはバレリーナになるという夢があって、だから今は一生懸命に夢に向かいたくて――。本当にごめんなさい、今は誰とも恋愛はしたくないの――」と僕を拒絶する返事が送られて来たからだ。いったい僕はなにをしていたのだろう。なにをすべきだったのだろう。メールを始めてこの日でおおよそ一ヶ月ほど。僕はなに一つ彼女の心を知ることは出来なかった。なにも理解していなかった。知っていることといえば、年齢、名前、夢、そして彼女の僕に対する無関心だけだ。彼女は自分のことを語らなかった。僕のことも知ろうとしなかった。思えば、この一ヶ月、彼女は僕の名前も呼んではくれなかったではないか。いつも彼女のメールは明るかった。「ひなこ」という平仮名での名前しか知らなかったけれど、僕はきっと「陽菜子」と書くに違いないと思っていた。それはやっぱり、店内で見せてくれた太陽のような朗らかな明るさと、菜の花のように、小さいながらも凛とした黄色い蝶のような美しさ、嗚呼! 彼女の瞳はアネモネの花だった! 彼女は菜の花畑のような群の中にはきっといられない。卓出する瑰麗なる孤独な踊り子なのだ。しかし、これは恐らくは僕の盲目
 それから僕は、すまない、とだけ送った。そしてもう、二度と店には通うまい、と誓った。


 久しぶりに過ごす独りの夜の時間だった。他人の部屋に上がるような感覚――晴実の愛用する香水「アナスイ」の残り香だけが部屋を占拠している。もしかするとさっきまで晴実はこの部屋にいたのかも知れない。仕事が休みだったのなら言えばいいのに、僕は早く帰ることも出来たのだから。そう思うと途端に、匂いに胸焼けするような不快な感覚に襲われ、僕はそのまま部屋を飛び出した。
 徒歩で五分ほどのところにある行きつけのバー「ジーザス」のドアをくぐる。店内は暗くBGMもかかっていない。沈黙と闇の世界を演出しているとマスターは言った。唯一の明かりはテーブルにある蝋燭と、カウンターの後ろの棚に並べられてあるアルコール類のボトルを照らす青いネオン光だけで、その光はボトルの淵を漂うかのように滑らかに屈折したり、ウイスキーの液体に吸収されたりし、なんとも幻想的な空間を創り出していた。しかし、他の客の会話がまるまる聞こえてしまうことに対して僕はいつも警戒していた。僕以外の、グループで来る常連達は皆、なかなかに話が面白く、笑うわけにもいかないからだ。聞き耳を立てているとは思われたくない。だから僕はマスターと話す。イスラムの女性、もしくは忍者のように顔を布で隠すマスター。一歩間違えば「K・K・K」の逆バージョンに思われてしまうかも知れない。本当におかしな店だと思うけれど、僕を含め、ここに来る客の皆はマスターの人柄、そしてこの店の怪しげな雰囲気に魅了されているのだろう。
 今も店の奥で時おり怒号をあげてはしゃぐグループのいる壁には、石でできたキリストの顔の彫刻が掛けられている。ただ、本物のキリストとの相違は、その打ちつけ方で、石の仮面は額を突き刺すようにして長い鉄の釘で壁に掛けられていた。特に意味はない、とマスターは言っていたけれど、通えばわかる。このマスターは外見もそうだけど、内面までも不思議な人で、それぞれの仕草に絶対に何らかの意味を含んでいる、と今では理解できるのだから。
 青い光を背にし、マスターの目が蝋燭の光を捉え赤く映える。妖魔や狼を思わせる紅い眼光。初めてこの店に入ってきた者はおそらく、慄然として逃げ出すか、興味を惹かれ酒とマスターの言葉に酔うかのどちらかだろう。
「いらっしゃい。一人で来るとは珍しいね。でも、まあ、別れたわけじゃなさそうだな。ジントニックでいいのかな?」
「ええ、お願いします」
 マスターはグラスを、薄明かりを拾い集めるかのように滑らかに揺らし、氷を転がしたあと、ジンを注いだ。カウンターには僕の他に、暗闇で気分が盛り上がったのか見つめ合うカップルと、ミュージシャンを思わせる鋲つきの派手な革の格好をした、首の横にかすかにうかがえるタトゥーの入ったたまに見かける男が座っていた。パンクとキリストは不釣合いな気がしたけれど、結局、なんだっていいのかも知れない。
 コインをカウンターに置き、煙草に火をつけ、ゆっくりとくゆらせた。蝋燭にそっと吹きかける。恥ずかしそうに腰をくねらせる小さな炎――。僕はこの蝋燭の元であの子の瞳を見つめてみたかった。
 すうっと、煙の中からマスターがグラスを置いた。なにも言わず、コインを手元に引いた。半分ほどを一気に飲んだ。全然効きやしない。背後で、どっと歓声がわき起こった。テーブルに座っているグループが騒いだようだった。少し俯いたまま耳を澄ますと、なにやら大学での話をしているらしく、詳しくは合同コンパで起こった可笑しな話題のようだった。
「ねえマスター。恋人がいて、でも僕には恋人の他に今でも想っている人がいる。それって……どうなんだろうね」
「晴実ちゃんか。彼女には酷かも知れないが、その答えは君だけが知っている。どうして人は人を求めるのか。それがわかるかな?」
 ゆっくりとした口調。いつも思うことだけど、マスターと話をしていると、なんだか自分の影と話をしているような気分になる。影は必ずしも悪い奴じゃなくて、時には醜悪だったりもするけれど、ただ自分の見えない部分ということだ。この感覚はやっぱりこの店の雰囲気とマスターの風貌とが創り出すものなのだろうか。まあ、アルコールが回っているということもあるかも知れないのだけれど。
「寂しさを紛らわすため?」
 僕はマスターの問いにそう答えた。
作品名:君へ 作家名:ぱんぷきん