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ぱんぷきん
ぱんぷきん
novelistID. 38850
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君へ

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 いつもと変わらない接客だ。僕はコインを置き、先にいた二人の見慣れない男女の会話に耳を傾けた。しかし、マスターがすぐに、「もしかして晴実ちゃんと別れたのかい?」と訊いたものだから、僕は咄嗟にマスターを見、驚きの表情をした。
「ははは。当たりのようだね」
「なんでわかったんですか?」
「長年この商売をやっていると、なんとなくでもわかるものだよ」
「きっと、表情を読んだりするのでしょうけれど、その風貌といい、占い師にもなれそうですよね」
 風貌だけじゃなく、店内の造りも占いの館として通用するような気がした。
「たまに言われることもあるけどね、占いなんてなんの当てにもならないものだよ。と言いつつも、ついテレビの占いを信じてしまうんだがね」
「昼にもなれば忘れるけど、あれは見ちゃいますね」
 そういった他愛ない会話をして、僕は軽く飲んだ。胃に入ったアルコールの灼けるような感触がなんとも心地よかった。
「マスター、覚えてます? 以前、永遠の愛について語ったことを」
 僕は、晴実に未練を感じていたわけじゃあなくて、なんとなく訊いただけなんだ。
「いや、覚えていないな」
「ほんとに? あんなに熱く語ったのに」
「誤解しないで聞いてもらいたいんだが、私はね、敢えて覚えないようにしているんだよ。すぐに忘れて人の話に本当は耳を傾けていない、上辺だけの語り、と思うかな? でも、そうじゃあない。人の感情はたえず変化する。私は、そのお客の現在の心境に合わせて適切なお話をするだけで、そのときそのときに、私の話した言葉が君達の心に響けばそれでいいんだよ。だからいちいち昔の話は覚えないんだね」
 ああなんと素晴らしい店主だろう! と僕は心服した。気取る様子もなく(口と頭を隠すという怪しげな衣装ではあったものの)、僕らの曖昧でいい加減な心に答えるためにとっていたその行動。僕はこれからもこの店に通い続けるのだろうと思った。そして、なんとなく理解した。このマスターは、プライベートではきっと性格の違う人物で、この店では客の心を癒すためだけに存在し、だから顔を覆っているのだと、そして、この店の常連の誰も、彼の素顔を見たことはないはずだと。
 僕はグラスにあった残りを全て流し込んだ。もう一杯注文し、それからマスターに尋ねたんだ。
「彼女と別れて、もう数日経つんですけれど、わからないんです。僕はどうすべきなのか。いや、それは、晴実とよりを戻したいというわけじゃあなくて、心に穴が開いたような。でも……なんだろう。以前、マスターが、答えは君の心が知っている、と言ってくれました。忘れているでしょうけれど。いや、それはマスターがしめによく使う言葉だから……まあそれはいいんですけれど、とにかく、一つ教えてください。生きるって……なんですか?」
 マスターは手で額を覆ってすぐに言った。
「ああ駄目だ、重症だよ君は。そんなことを訊くなんて。すぐに病院に行くか、それが嫌なら家に帰ったほうがいい。さあ早く」
 マスターはわざわざ僕のほうまで来て腕をつかみ、そして店の外へと引きずり出した。二人の客が僕のほうを見ていたけど、笑っているのか、驚いているのかまではわからなかった。僕はわけもわからぬままに入り口に立つマスターを呆然と見つめた。
「いいかい? そんなことは考えるな。それがわかったのならまた来ればいい。君は大切なお客さんなのだから」
 そう言うと、ゆっくりと扉を閉めた。僕は人通りのない道路に放り出され、ただドアだけを見つめていた。


 僕は、バレリーナの彼女に対し、「僕は君のことが好きだった。意志の疎通も出来ないままずっと君を想い続けてきたけれど、なにも進展しない無意味な恋に僕は疲れたんだ。だから、もう、さよならすることを決意した。一方的ではあるけれど、それが僕のけじめなんだ。そうしないと僕はいつまで経っても悩み続けることになるから――。こんなメールを送ったことを許して欲しい。さようなら」と最後のメールを送った。彼女のことを、生涯想う、とは記さなかった。しかし、それでも心の中では彼女のことを想い続けることを決意していたんだ。なぜなら、人は懲りずに様々な人を好きになるから。この、同じことの繰り返しということが、僕にはもう辛すぎて、だから永遠に彼女一人を想い続けることを僕自身に誓った。色々な人を好きになる人間の中に、僕のように、たった一人だけを想い続けると決心した人間がいてもいい筈だ、と僕は誰かに言いたかった。叫びたかった! そして、慰めてもらいたかった。僕は、彼女を想って、初めて涙を流した。
 結局、そのメールにも返事はなくて、僕は完全に恋に破れた形となった。当然、コンビニエンスストアーにも行かない。彼女はもう、僕の心の中でのみ思い出として、いや、誓いの象徴として生き続けるのだから。その僕の心の中には、今まで僕が見た彼女の全ての笑顔が詰まっていた。僕は呟いた。「さようなら――」と。とても清爽な春の日だった。
 人とは面白いもので、いくらどん底まで落ち込もうとも、やがて時が経てばけろりとする。あの心は偽りだったのかというと、しかしそうではなく、今の心も過去の心も全てが本当の気持ちで、全てが自分自身なんだ。
 僕は彼女とメールをやめてから、しばらくの間は落ち込んでいた。しかし、それも数日間だけだった。想う心をなくしたわけではなく、むしろ、想いは強くあった。しかし、達観したとでも言うべきか、一種の悟りのようなものを得たんだ。幸せすら感じたこともあった。
 そうしていつの間にか僕は日常を取り戻した。それから幾日が経ち、僕は晴実と出会うことになったんだ。その晴実も今はもうそばにいないのだけれど。


 「ジーザス」を追い出され、僕は独り、部屋にいた。マスターに対する嫌悪はなかった。それは、たたずむ僕を入り口から見つめ、最後に、「君は大切なお客さんなのだから」と言ったからだ。きっと意味がある。生の実感ではなく、「生きるとはなにか」ということを尋ねてはいけない理由があったんだ。だから彼は僕を追い出した。僕に対し病院に行けとまで言った。それほどまでに強く、しかし静かに激昂した理由を僕は見つけなければいけない。
 マスターにあんなことを訊いた僕は病んでいたのだろうか。きっとそうなのだと思う。
 ずっとずっと考えても理由はわからず、結局その晩は遅くまで眠ることが出来なかった。朝になって目が覚めると、昨日のことを思い出し、なんて馬鹿なことを訊いたのだと恥ずかしくなった。ああ、そうだった、これは馬鹿なことなのだ、と僕は理解した。生きるという答えは人それぞれで、千差万別、いや、明確な答えなんてものはなく、考えても考えても仕方のないことだった。僕は昨日、アルコールに、自分に酔っていた。なぜなら、遠い昔に、人が生きるということについて考えたことがあったはずで、そのときに、小学生の習う数式のようには答えは出ないのだ、と理解していたはずなのだから。ああなんて恥知らずなのだろう。今すぐにでもマスターに謝りたくなった。でも、マスターならこう言うかも知れない。
作品名:君へ 作家名:ぱんぷきん