ピアス・マイ・ハート
机の上に積まれた、三十枚のCD。数えなくともわかる。僕と彼女で、一枚一枚作って並べたのだから。真っ黒な背景に、銀のピアスのついた紅い心臓がショッキングにぎらつくジャケット。五曲入りのミニアルバムで、お値段五百円。タイトルは、『ピアス・マイ・ハート』――この心臓を貫いて。訳は「心」じゃなく「心臓」で合っている。こう断言できるのは、このタイトルが他ならぬ僕の案によるものだからだ。そういうわけで、恥ずかしくもあり誇らしくもありで今日はなんだかドキドキしていたのだが、いまとなってはただ責任とむなしさを感じるばかりだ。要するに、一枚も売れなかったわけである。
「なあ、どうだった」
振り向かずに尋ねる。
「あ?」
「ユミのライブ。どう思った」
「お前は?」
「僕は……すごく、良かったと思うんだ。これまで聴いてきた中でも、最高の演奏だったと思う」
「そうか。……おい」肩をつかまれ、無理矢理顔を向き合わされた。「俺もな、良かったと思うわ」
「……ありがとう」顔をそむけつつも言った。「ユミに伝えとく」
「自分で言うわ」
「いや、僕が伝える。気持ちだけ受けとっておくからお前は何もするな」
「信用ねえなあ」
「お前を信用してないわけじゃない。けど相性ってものはあるだろ」
「まあな。でもそれ言うと、ユミは相性悪い相手多すぎやな。世界と相性悪いやろ」
世界と相性が悪い。
きっぱりと否定できないのが困ったところだ。
「あのバンドはどう思った? トリの」
「ん? あー、あいつらな、マジムカつくわ。女の子連れてどっか行きやがった。入れ食いにも程があるやろ。今夜は選りすぐりでパーリーナイトかクソがあーうらやまし」
なるほど、それでこの現状か。おこぼれにあずかろうと、男性陣もついていったのかもしれない。
「……で? 曲は?」
「え? あー……」珍しく考えこんでいるらしい。本当に珍しい。「……忘れた」
「オイ」
「いや、忘れたっつーか、覚えてねえ? でも売れそうな感じやったな。実際売れとるんやろ? メジャーデビューとか言っとったし。ムカつくけどイケメン多いし話おもろいし。アレやな、なんつーか、あんまテレビでやっとる人と変わらんのやな。俺詳しくないけようわからんけど」
「そうだな」的を射ている、とまでは言ってやらない。「じゃあ、ユミと比べてどうだった? お前なら、どっちのCDが欲しいと思う?」
「CD、なあ。それって、ユミが他人やったら、って話やろ? そうやな、みんな聴いてそうなのはあいつらの方やから、あっち買うかなあ。大体のやつが、そんな感じやろ」
「……そうだな」
言い得て妙だなんて言ってやらないが、その通りだ。
苦味より甘味や辛味が受け入れられやすいのは当たり前のこと。多数が評価するものが認められるのは当たり前のこと。認められてから多くの人の手に渡るというのが本当だが、常にそうとはかぎらない。僕だって、そこに牙をむくほど子どもじゃない。甘味辛味が総じて悪いものだとも思わない。純粋に舌を喜ばせてくれるもの、あるいは極端な刺激をくれるもの――求められているなら、それも結構だ。
だけど。
もう一度、彼女のCDに目を向ける。
「ユミの曲は、いい曲だよな?」
「そうやな」
「歌もギターも、巧いだろ? 巧いだけじゃなく、持ってるものがあるってわかるだろ?」
「おお」
「だったらなんで――」
馬鹿げたことを言いかける。なんで? わかりきったことだ。
彼女がほかならぬユミだからにきまっている。そして彼女がユミでなければ、ユミの曲たちも生まれることはなかったのだ。そもそも、ああいう連中と比べること自体が間違いなのだろう。優劣以前に目指しているものが違うのだから、相手にするだけ無駄なのだ。
といっても、これは理屈にすぎない。頭でわかっても、心が首肯しない。どうして自分は認められないのか? その問いをやめられないくらいには、彼女は弱い。だけど不満や怨嗟を言葉にせず喉の奥に閉じこめておけるくらいには、彼女は強い。だから彼女は泣いている。ひとりで泣いている。半端に弱くて半端に強いから。
「ユミは妥協を知らんのやな。自分を曲げなさすぎる。ルックスいいけど顔には頼らん。キャラもいいのに喋ろうとせん」
「マイクは歌うためのもの、だからな」
「さすがやな。まあでも惜しいわ。髪切るだけでも、全然違うやろうにな。誰も責めたりせんのに」
「……そうだな」
いい曲を作って、いい演奏をすれば、みんな認めてくれる。それが彼女の信念だ。立派だと思う。立派だし、正しいことだ。だけど正攻法が最善策とはかぎらない。信念だけで飯が食えるほど、世の中は甘くない。自分が認められないのは、自分の力が足りないからだ――そう結論づけられる強さを持った人間が往々にして敗者となってしまう、嘆かわしい現実。
「でもさ」わざと弾みをつけて、僕は言う。「それがユミなんだよ。僕には変えられない」
友人は少しの間、目を細めて僕を見つめた。そしてこう言った。
「変わってほしくないだけなんやないんか」
「…………」
「ユミは、卒業してからもこっちに残るらしいな? 驚いたわ。前は口癖みたいにトーキョートーキョー言っとったやろ。あいつが前言撤回するとか、一度も見たことなかったけな。……なあ、お前は勘違いしとる。ユミにしたら、もうお前は――」
「わかってる。言われなくたって、わかってるさ。でも、それはどのくらいだ? そこそこ、じゃダメなんだ。そんな、そんな中途半端じゃ」
「それはお前次第やろ。中途半端にしとるのもお前や。俺はな、正直どっちに行ってもいいと思っとる。ユミが音楽あきらめて、お前といっしょにイチャコラ普通の女の子やってくれるんでもな、それはそれでかまわん。ロックスターになるんだけが幸せやないやろ」
笑っちゃいけないところだが、笑いそうになる。彼女の爪に、マニキュアが塗られているのを想像して。
幸せか。
「それは幸せなのかな」
「知らんわ、アホ」ひとりごとだったのだが、律儀に返事をしてくれた。「これは俺の問題やない。お前らの問題や。お前らが――いや、お前が、なんとかせないけんのや」
沈黙が訪れる。
「お待ちどおさま」
見計らったように店長がやってきて、ジンジャーエールを置いた。
「帰るわ」彼は言った。「店長、ごちそうさん!」
「うん、また来てね」
歩き去る彼に気のないフリをして、グラスの中の金色の液体を眺めていた。
ふいに何か小さなものが、視界の端から飛んできた。ポチャン、という音とともに、僕の手の甲にしぶきがかかる。
グラスの中身と同じ色をした硬貨が一枚、氷に挟まり浮いていた。
「五百円やったな?」
顔を上げると、彼はこちらにCDを掲げてみせた。
「……ああ」
「ユミによろしくな。ちゃんと買ったって」
「自分で言えよ」
鼻で笑い、彼は去った。
「店長」
「なんだい」
「もう一杯、つくっといてもらえますか」
「……ん」店長は意味ありげに微笑んだ。「わかったよ」
僕と店長は、同時に背を向け歩き出した。
作品名:ピアス・マイ・ハート 作家名:遠野葯