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女郎蜘蛛の末路・蜘蛛捕り編(後)

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八重は自分の行動の甘さに怒りを感じた。いや、そもそもあの時、翔太たちに構ってさえいなければ。あの小娘が気分が悪いなどと言い出さなければ。自分は確実に苺春の元へと向かえていた。
拳を握りしめる両手がわなわなと震える。丸めた爪が、掌に食い込んで鋭い痛みを感じさせていた。その痛みが、八重の気分を幾分か落ち着かせてくれた。注射器があれば、話は早いのだが、さすがに仕事場でアレを使う気にはなれなかった。
……ふう。と息を吐き出す。
そうだ、よく考えてみれば、ただあの人を席まで案内出来なかったというだけの話ではないか。案内なんて、所詮かかって数十秒の出来事。それがなくなったから、なんだというのか。苺春の元へ向かえば、会話だっていくらでも出来る。
考えれば考えるほど、案内に執着していた事が馬鹿馬鹿しくなってきた。
一瞬、自嘲気味に笑ってから、うーんと伸びをする。
……誰があん人を案内したにしても、そろそろ席についているはずや。
そう考えて、店の中を見回すと、なるほどたしかにすぐに見つかった。
……しかし、彼を見つけられはしたが、八重は怪訝そうに眉をひそめてしまう。
最中苺春の姿は八重のいる場所からはそう遠くない、テーブル席にあった。
だから、ここから移動するのに大した時間も、労力もかからない。
……しかし、今彼の向かい側には、見知らぬ女が座っていた。
素性も、あの人との関係も、何もかもが分からぬ謎の女。
そんな女が愛しの苺春と一緒にいるのだ。怪訝に思わずにはいられない。
その女は、黒いスーツを身にまとい、長いロングの黒髪をゴムで一本で束ねていた。仕事の後か、それとも間の休憩か、もしかすると普段からしっかりした性格なのかもしれない。
一方、苺春の方に目を向けると、彼もまたスーツに身を通していた。目の前に座る女とは正反対のホワイトカラーのスーツだ。
……2人ともスーツやん。
その事実をもとに、八重の頭の中にある一つの仮説が浮かんだ。
もしかすると2人は、仕事の同僚なのかもしれない。
仕事の合間に、気分転換でお茶を飲みに訪れたのか、もしくは今日の仕事が終わったから打ち上げに来たのか。
仕事仲間にせよ、個人的な知り合いにせよ2人で訪れているという事実には変わりなかったが、それでもデートなどに来ていると考えるよりは、こう考える方がしっくり来た。それに何よりもそう信じる方が自分にとって都合が良い。
そう、なんとか自分を納得させると、深呼吸をして八重は苺春たちのテーブルに向かって歩き出した。
徐々に彼らの姿が近づいてくるにつれて、心臓の鼓動が早くなる。
苺春の元にたどり着く寸前で、苺春の目の前に座る女がコチラに気付いた。
ちょうど苺春の座っている位置が、八重に背を向ける形となっており、その向かい側に座る女からは近づいてくる八重の姿が見えるのだ。
「あら」
と、女が声を上げた。思っていたよりも低い声だ。それが、スーツという見た目と相まって、知的な印象を与えさせる。
女の声につられて、苺春も振り返った。
八重の姿を視界に認めると同時に、その表情がほころんだ。
「おお、八重さん」
「久しぶり」という典型的な挨拶をしながら、苺春は友好的な仕草で八重に向けて右手を振った。
八重も、それに応えるように微笑むと、ペコリと律儀にお辞儀をした。
ただ、挨拶をされただけだというのに、胸の鼓動がやけに早い。
「苺春はん、久しぶりやな。達者にしとった?」
言いながら、八重が歩み寄ると、苺春はニコニコとした顔でそれに答えた。
「うん。達者にしとったよ。八重さんも元気そうで良かった」
そこで、苺春は一旦言葉を切った。それからニコニコとした笑みがニヤリとしたものにかわった。
「なんだか、今日は一段と美人に見えるよ」
とても短い言葉ではあったが、それは八重に強い衝撃を与える、意味を持った言葉だった。
この男は時折こうして、相手に向けて甘い言葉を放る。それはまるで、餌付けされた動物に定期的に放る餌の様なものだ。一旦受け取ってしまえば、なかなか離れることは出来なくなってしまう。この苺春という男は、そういう心理も良く心得ていた。
「いややわ、苺春はん。そんなに持ち上げても何も出へんのに」
そう言って、笑い飛ばす。それだけでも一苦労だった。
苺春を見つめていることが出来なくなり、別の物へと視線を移す。
そうすると、彼の向かい側にいる女が自然と目に入った。
彼女はこちらを睨んでいた。いや、睨んでいたという表現は適切ではないかもしれない。その女は八重の体を見回し、“観察”しているかのように見えた。
他人に観察されるというのはあまり気持ちの良いものではない。文字通り舐めまわされているかのような、不快感があった。
「……苺春はん。そちらの人は?」
自分も反射的に女を睨みながら、八重は口を開く。
すると苺春は、思い出した様に「ああ」と言うと女を紹介してくれた。
「ごめんごめん。紹介が遅れてしまったよ」
そこで苺春は、料理を説明するレストランのシェフの様に手を突出し、やや大げさな仕草で女を示した。
女の方は、呆れたように肩をすくめている。
「彼女は垣野花桜(かきのはな さくら)。ぼくの友達で、法医学士なんだ」
やはり、見た目通りしっかりとした人らしい。その職業のことを考えると、自然と白衣をまとった彼女の姿が浮かんだ。
……なかなか、様になっているではなか。
先ほどから自分を観察する冷静な目、その仕事が出来そうな見た目とも相まって、八重はなかなかこの女は好きになれそうにないな、と思った。
エリート系の人間はどうも苦手だ。
「……へえ。お医者さんなん。うちは、雛形八重いうもんですわ」
八重が挨拶をしている間も、女は相変わらず八重をじっと見つめていた。
その視線に不快感を感じながらも、八重は「よろしゅう」と自己紹介をしめくくり頭を下げた。
……さて、自分は自己紹介を終えた。相手にされたというなら、自分のことも相手に紹介するのが筋というものだ。
八重は顔を上げると、今度は自分が値踏みをするように女を見つめた。
その視線を受けて、女は嘲笑するように笑ったが、やがて観念したように肩をすくめると、自分も自己紹介を始めた。
「よろしく。垣野花桜よ」
そう言って、笑いながら、八重の真似をして「よろしく」と頭を下げる。
しかし、にこやかな表情とは裏腹に、その声は良く響く冷たいものだった。
そして、しばらくの間の後、再び顔を上げると、その顔には相手を小馬鹿にしたような笑みが浮かべられていた。
「あと、それからね。あなた、一つ勘違いしてるわよ」
「……え?」
はて、何の勘違いをしているのだろうか。八重には目の前の女が何のことを言っているのかわからなかった。ただ、この女の視線が、露骨なまでの敵意を孕んでいるのだけは容易に理解出来たが。
「あのね、わたしは法医学士であって、医者ではないの」
「……そんなん、どっちも似たような物やないの?」
八重の言葉に、桜はくすくすと笑った。
この女、やっぱり何もわかっていないわ。そんな思いが、桜の表情から読み取れる。
法医学士と医者の違いについて、当然のことながら知識の薄い八重は知らない。しかし逆に、その職業に就いている桜は二つの違いを良く心得ていた。