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女郎蜘蛛の末路・蜘蛛捕り編(後)

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そうこうしているうちに、時は流れて、その時は徐々に近づいてきた。
「……それでね、その橋本くんていう人が……」
「へえ。そんなことあったん。あいつも変わってるなあ」
「……」
綾子の話に適当に相槌を打ちながらも、八重は客の名前を読み上げる従業員の声の方に耳を澄ませていた。
案内を待つ客たちの名前が次々に呼ばれ、それに伴い、苺春の順番が近づいてくるのも身に染みるようにして分かった。
しかし、そちらに意識を集中しすぎたためか、つい綾子たちへの相槌もいい加減なものになってしまう。
それを怪訝に思ったのか、翔太は綾子と軽い目配せを交わし、彼女も同じように感じているのを確認すると、八重の肩を叩いた。
意識がハッ、と覚醒し、途端に感覚が戻ってくる。
突然のことに驚き、目をしばたたいていると、翔太が怪訝そうな顔をして言った。
「八重さん、どないしたんですか。様子が変やよ」
翔太の言葉に、綾子も共感の意を示すように、コクリとうなづく。
そんな彼らを見て、今自分がどのような状況に立たされているのかに気付き、八重は少々居心地が悪くなった。
しかし、だからといって唐突に席を立ちあがるわけにはいかない。
「べ、別にどうもしてへんよ」
いかにも苦しい言い訳が口をついて出てしまった。
口にしてから後悔するが、やはりそれは遅すぎる。
その言葉を聞いて、翔太はますますに怪訝そうな表情を浮かべた。
「……ホンマどすか?俺には何か、別のことを考えている様に見えたんやけど……。綾子の話も上の空みたいやったし、それに八重はん、なんやスゴい深刻そうな顔しとったよ」
またもや綾子がうんうん、とうなづく。
途端にその様子がどうも腹立だしく思えてきた。
……ウチが何を考えていようが勝手やないの。それにいちいち口挟むなや。この餓鬼どもが。
胸の奥から燃え上がる炎。
しかし、それではどうもだめだと別の声が口を挟む。
いい加減に癇癪を爆発させることはやめへんと……でないと、苺春はんにも捨てられてしまうで?
途端に気分がヒュッと冷める様にして、落ち着いてきた。
そうだ……その通りだ。そうして家族に捨てられてしまったのではないか。
なんとか、自分を落ち着けることに成功し、八重はふう……とため息をついた。
それを見て、翔太は自分の言葉が彼女に何か不快な思いをさせたのではないかと思い、頭を下げた。
「……なんか、すんまへん。別に、そんなつもりじゃなかったんどす。ただ、八重はんがなんか悩んでそうやったから……ほんま、堪忍な」
今度は、綾子はうなづかなかった。
また、どうも事態は悪い方向に向かってしまったらしい。
先ほどの黒上の時と同じだ。自分の癇癪1つで、事態はどんどん悪い方向に進んで行ってしまう。
そんな自分自身に嫌気がさして、また八重はため息をついてしまった。
それがますますに事態を悪くさせるとも知らずに。
しかし、幸か不幸か、丁度その時誰かの声が聞こえた。
「次は―最中苺春さま」
あの人の名前を読み上げる、ほかの従業員の声。
気が付けば、八重は「あっ」と声を上げて立ち上がっていた。
……何すんねん。苺春はんを案内するのはウチやで!
だが、これで席を立たねばならない理由が出来る。
「すまんね。ウチこれからちょっと―」
席を立たねばならないことを説明しようと、綾子の方に顔を向けると、彼女の様子がおかしいことに気付いた。
先ほどまで、ほんのつい先ほどまで元気だったのに、今では何かに怯えきった小動物の様に、がくがくと震えていた。
その異変に翔太も気づき、綾子の方へと身を寄せた。安心させるように手を握りながら、そっと声をかける。
「どないしたんや綾子。なんか調子でも悪いん?」
翔太の言葉に、綾子は弱弱しい動作でコクリ……とうなづいた。
「うん……。ごめんね、翔太くん。なんか気分が悪くなっちゃって……」
……ウチの、せいやろか?
途端に八重は自責の念に駆られた。
だって、それ以外に理由が思いつかないではないか。彼女が癇癪を爆発させそうになったのはいまさっきのことだ。その感情をなんとか抑えられはしたが、激怒の感情が、僅かの間ながら表情に現れていた可能性も否定出来ない。
「それじゃ、ちょっと外に出よか」
「うん……ちょっと、外の空気が吸いたい」
……2人が離れて行ってしまう。
たった僅かのきっかけで、離れて行ってしまう。……いつだって、そうだ。
途端に虚しい、という思いが八重の中を駆け廻った。
せめて、謝らなければという思いが浮かぶが、しかしなかなかその言葉を口に出来ない。
そうこうしているうちに、ついに翔太と綾子は席を立ってしまっていた。
「すんまへん八重はん。また今度来るさかい、今日はこのへんでお暇しますわ。すんまへん」
……本当に、また来てくれるん?。
そんな不安が胸をついて、出た。そういった感情は、つい表面にも出てしまうものである。いつの間にか、八重はその言葉を口にしてしまっていた。
「……ホンマに、また来てくれるん?」
八重がその言葉をかけたとき、翔太は綾子を支えて席から立ち上がらせたところだった。
自分の腕を、綾子の腕の下に回し、彼女を支えたまま翔太はコチラへと顔を向ける。
その顔には、唐突な問いかけに対する怪訝そうな表情が浮かんでいた。
微かに片方の眉を吊り上げながら、翔太は口を開く。
「……ホンマに来ますよ。急にどないしたんですか、八重はん」
急に何を言ってるんだ。
そう言葉もなく語る翔太の表情を見ていると、途端になんて馬鹿なことを言ったんだ。という気持ちがこみ上げてきた。
「い、いや……どうもしてへんねん。ただ、ちょっと聞いてみたくなっただけや。気にせんといて」
「そうどっか……」
翔太は、しばらく八重の真意を測るようにして、目を細めていたが、やがて綾子の方へと気持ちを戻し、彼女を入り口まで導いて行った。
八重は、しばらく釈然としない気持ちでその後ろ姿を見送っていたが、やがてその姿が見えなくなると、ふう、と息をついた。
……大丈夫や。あの子、また来てくれる言うてたやないの。それに、どっちにしたかて、今のウチにはあの子の言うたことを信じるしか出来へん。
そう考えると、こうして悩んでいることが途端に馬鹿馬鹿しく思えてきてしまった。
なんでもかんでも、深く悩み過ぎるのはウチの悪い癖や……。
いつまでも気にしていても仕方ないと、気分を引き締めた時、苺春のことが脳裏をよぎった。
そうだ……翔太たちの事に気を取られて、彼のことをすっかり忘れていた―。
苺春のことを思い出した途端、切迫感が体中を駆け巡った。脳裏に思い出される、彼を呼ぶ従業員の声。
苺春の名前が呼ばれたのは、翔太たちが席を立つ前のことだ。彼らのために費やした時間は、決して多くはないが、しかしかといって、完全なゼロというわけでもなかった。だから、きっとすでに苺春の案内は終わっている可能性は高い。仮に、まだ席まで案内されていなかったとして、それでも別の従業員が彼の接客に向かった可能性は高かった。
……もっと、早く行動していれば。